金子 敏和(かねこ としかず、1964年6月27日[1] - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。
神奈川県鎌倉市出身[1]。
藤沢商業高等学校(現・藤沢翔陵高等学校)では、春高バレーの第12回大会でベスト8、第13回大会で優勝の成績を残した(バックアタックなどで貢献[2])[3]。
明治大学に進学、卒業後の1987年に日本電気(NECブルーロケッツ)に入社[1]。
同チームにおいて、1993年度から選手兼任コーチ、1996年度は選手兼任監督、翌1997年度からは専任監督となった。1998年度(第5回Vリーグ)では優勝監督賞を受賞した。2003年度(第10回Vリーグ)まで監督を務めた(2004年5月17日付、後任は楊成太)[4]。
なお、ビーチバレージャパンでは、日本電気同期入社[4]の楊成太とペアを組み、第5回準優勝、第7, 9回優勝を果たした。
その後、2003年ワールドカップ中継(海外戦)などで、解説者を務めた[5]。