松永 理生(まつなが りお、1981年10月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。
京都府京都市出身。母親の影響で第三錦林小学4年よりバレーボールを始める。
中央大学在学中の2001年アジアジュニア選手権に出場、2003年ユニバシアード大会準優勝などを経験。
2004年にパナソニックパンサーズに入団。2007年6月29日付で退部。同年、豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)に移籍。2010年、選手兼コーチに就任。2011年5月、黒鷲旗大会終了後に現役引退し、コーチ専任となった[1]。
2012年に、豊田合成からの外部派遣として、母校の中央大学男子監督に就任し、3月の合宿より合流[2][3]。2014年12月には、平成26年度天皇杯全日本バレーボール選手権大会で豊田合成と対戦した(ストレート負け)[4]。
2017年10月1日に自身のSNSで2017年度末をもって監督を退任することを発表した。2019年1月15日、中央大学監督・アドバイザーの任期を満了し、豊田合成運営会社「TG SPORTS」に帰任[5]。
2019年、TG SPORTSを退社し、母校の東山高校男子コーチに就任した[6]。
2022年、東山高校の監督に就任[7][8]。2024年に監督を退任しアドバイザーに就任した[9]。
2025年2月、サントリーサンバーズ大阪のアシスタントコーチ就任が発表された[10][11]。
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