蔭山 弘道(かげやま ひろみち、1967年8月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。
千葉県夷隅郡大原町(現・いすみ市)出身。習志野高校在学中に、第16回春の高校バレーでエースとして初優勝に貢献。卒業後は法政大学に進学。法政大学時代の在学中から日本代表に選出され、1988年のソウル五輪に出場。
1989年のワールドカップに出場し卒業後はバレーボールの名門・富士フイルムに入社し、1990年の世界選手権にも出場した。2メートルの長身を武器にエースとして活躍し、第26回日本リーグでは優勝に貢献し、高校、大学、社会人と全て日本一に輝いている。故障やチーム事情もあり、後年はセンタープレーヤーへ転向するも、晩年までチームの主力選手として活躍した。
2000年に現役引退。その後は社業の傍らでフジテレビのFNS春高バレーコーチングキャラバンを始めとするバレーボールの指導・普及活動にも携わっている。
2010年9月に、第118代 鹿児島県の奄美大島観光親善大使に任命された。
2012年に東京ドームスポーツの特別会員に任命された。
2013年からは富士フイルムデジタルプレスで部長を務めている[1]。
FNS春高バレーコーチングキャラバンには、第1回~第8回、第11回に参加。
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