松田 明彦(まつだ あきひこ、1965年6月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。
京都府京都市伏見区出身。1986年に東レ九鱗会(現・東レアローズ)に入団。1990年に日新製鋼ドルフィンズに移籍。
1992年にバルセロナオリンピックに出場するなど、全日本でも1990年代前半に国際大会で活躍した。
1997年に、所属チーム日新製鋼の廃部を受けて、当時実業団リーグ(2部リーグ)であった豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)に他のチームメイトと一緒に入団し、リーグで低迷していたチームが一気に強化されてのVリーグ(1部リーグ)昇格に貢献した[1][2]。
2005年に豊田合成の監督に就任、2010年に監督を退任し、同チームのアドバイザーに就任した。アドバイザーの時期は、同チームがサブホームタウンにしている縁で富山県氷見市の氷見高等学校に派遣され、男子バレーボール部を指導した[3]。2012年に退任[4]。
2014年5月30日、V・プレミアリーグ女子の日立リヴァーレの監督に就任[5][6]。3シーズン監督を務めて、中国の女子チームでもセッターのコーチを1シーズン務めてから、ウルフドッグス名古屋にスタッフとして復帰した[7]。
2023年、埼玉上尾メディックスの事務局に普及担当として就任した[8]。