岩手県立盛岡第一高等学校(いわてけんりつ もりおかだいいちこうとうがっこう, Iwate Prefectural Morioka Daiichi High School)は、岩手県盛岡市上田三丁目にある県立高等学校。
概要
- 校訓
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- 「忠實自彊」(ちゅうじつじきょう)
- 「質實剛健」(しつじつごうけん)
- 教育目標
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- 時代の先駆者として、社会に広く貢献する人間を育成する
- 高い知性と教養を身につけた人間を育成する
- たくましい精神力と思いやりの心を兼ね備えた人間を育成する
- 強健な身体と豊かな感性をあわせ持った人間を育成する
- 重点目標
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- 勉学に真摯に取り組む体制を確立する
- 文武両道の校風を確立する
- 自律性を持った自主的人間を育成する
- 基本的生活習慣を積極的に身につける気風を確立する
- 校歌
- 校歌は1908年(明治41年)に在校していた伊藤九万一によって作詞され、選曲は同じく当時在校していた佐香貞次郎によって行われた。旋律は軍艦行進曲と同じ。
- 男子寮(自彊寮)
- 同校には「自彊(じきょう)寮」と呼ばれる寄宿舎(男子用)があった(2020年3月をもって廃寮[1])。この寄宿舎は旧制盛岡中学校時代の名前を受け継いでいるものであり、盛岡中学の卒業生であった宮沢賢治も入寮していたことがある[2]。
- 同窓会
- 「白堊(はくあ)同窓会」と称している。
- 昼食方法
- 基本は弁当持参。2021年8月31日まで「学食」と呼ばれる食堂も設置されていた[3]。また購買でおにぎりやサンドイッチ、パン、お弁当、飲料、福田パンやデザートなども販売。
設置課程・学科
- 設置課程・学科 (2010年度募集まで)
- 全日制課程 2学科
- 2007年度(平成19年度)から、1年次は全日制普通・理数科に改変(括り募集)。2年次から、普通科(6クラス)または理数科(1クラス)を選択する。
- 設置課程・学科 (2011年度募集から)
- 全日制課程 2学科
- 普通科(文系1〜3組、理系4〜6組)
- 理数科(7組)
- 2年次から、普通科(6クラス)または理数科(1クラス)を選択する。
沿革
1880年(明治13年)に創設された「公立岩手中學校」に端を発し、県内の高等学校の中では岩手県立盛岡農業高等学校に次ぐ歴史を有する[4]。2020年(令和2年)に創立140周年を迎えた。
- 旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1880年(明治13年)
- 5月13日 - 盛岡市内丸に「公立岩手中学校」が設立される。(8級4年制)
- 6月15日 - 開校。
- 9月9日 - 専修科(6級3年制)を設立。
- 1882年(明治15年)6月27日 - 初等中学科8級4年、高等中学科4級2年制とする。
- 1885年(明治18年)7月9日 - 盛岡市内丸に新校舎が完成。
- 1886年(明治19年)6月7日 -「岩手縣尋常中學校」と改称。修業年限を5ヶ年とする[5]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 尋常中学校の増設に伴い、「岩手縣盛岡尋常中學校」と改称。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 「岩手縣盛岡中學校」と改称。
- 1901年(明治34年)3月30日 - 「岩手縣立盛岡中學校」と改称。
- 1902年(明治35年)
- 1908年(明治41年)5月13日 - 校歌と校旗を制定。
- 1917年(大正6年)8月14日 - 現在地に移転。
- 1925年(大正14年)10月 - 白堊同窓会(はくあ)を設立。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 補修科の募集を停止。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 旧制中学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:岩手縣立盛岡中學校併設中學校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで暫定的に設置されたため、新たな生徒募集はおこなわれず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学4・5年生となる。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制盛岡中学校は廃止され、新制高等学校「岩手県立盛岡第一高等学校」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業生(希望者)を新制高校3年として、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生として編入。
- 併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
- 併設中学校は新制高等学校に継承(名称:岩手県立盛岡第一高等学校併設中学校)され、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学へ入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1949年(昭和24年)
- 4月1日
- 通信教育部を設置。
- 定時制不来方中心校、雫石分校、好摩(こうま)分校を設置。
- 高校三原則に基づく公立高校再編により、県立盛岡第二高等学校(女子校)と盛岡商業高等学校を統合し、総合制高等学校「岩手県立盛岡高等学校」が発足。
- 普通科と商業科を設置。
- 組織は統合されたものの、校舎は旧3校とも既存の校舎を使用。旧・第一高校の校舎は上田校舎、旧・第二高校の校舎は白梅校舎、旧・商業高校の校舎は商業部と呼ばれた。また、この時点では普通科男子が上田校舎を、普通科女子が白梅校舎を使用する「校舎による男女別学」の形態をとっており、まだ完全な男女共学ではなかった。
- 5月2日 - 定時制中心校を上田校舎内に収容。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 普通科において男女混合の学級を編成し、完全な男女共学を開始。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 統合を解消し、「岩手県立盛岡第一高等学校」(現校名/普通科/男女共学)に復称。
- 1952年(昭和27年)3月8日 - 盛岡二高等学校通信教育部を統合。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 定時制好摩分校玉山出張教室を開設。
- 1959年(昭和34年)
- 1961年(昭和36年) - 校舎(第二期工事)が完成。
- 1962年(昭和37年)
- 5月7日 - 一本木教室を開設。
- 8月28日 - 校舎(第三期工事)と第二体育館が完成し、移転を完了。旧校舎は岩手県庁の仮庁舎として転用されることとなる。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 定時制雫石分校の募集を停止し、全日制雫石分校に切り替える。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 一本木教室を分校に昇格。
- 1966年(昭和41年)12月17日 - 部室・合宿室が完成。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 理数科を設置。
- 1971年(昭和46年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 1972年(昭和47年)8月20日 - プールが完成。
- 1975年(昭和50年)3月 - 好摩分校の生徒募集を停止。
- 1978年(昭和53年)3月31日 - 好摩分校を廃止。
- 1980年(昭和55年)10月 - 創立100周年を記念し、白堊記念館が完成。海外派遣事業「白堊の翼」を開始。
- 1983年(昭和58年)11月30日 - 第二体育館を改築。
- 1986年(昭和61年)3月4日 - 第一体育館が完成。
- 1990年(平成2年)- 創立110周年記念式典を行う。
- 1992年(平成4年)3月 - 一本木分校の生徒募集を停止。
- 1995年(平成7年)3月31日 - 一本木分校を廃止。
- 1999年(平成11年)12月 - 新校舎が完成し、使用を開始。
- 2000年(平成12年)10月 - 校舎落成並びに創立120周年記念式典を行う。
- 2001年(平成13年)8月 - グラウンドを改修。
- 2004年(平成16年)4月 - 同窓会と振興会によりグラウンドに照明が設置される。
- 2006年(平成18年)6月 - 同窓会有志により石川啄木歌碑が建立。
- 2007年(平成19年)3月 - 生徒募集の形態を改変し、これまでそれぞれで行われていた普通科・理数科の募集を一括で行うこととする。
- 2010年(平成22年)5月 - 創立130周年記念式典を行う。
- 2015年(平成27年)4月 - 文科省よりSGH(スーパーグローバルハイスクール)指定。
- 2017年(平成29年)7月 - 女子應援委員が誕生する。
- 2019年(平成31年) 3月 - 自彊寮閉寮
- 2020年(令和2年) 10月 - 創立140周年記念式典を行う。
- 2021年(令和3年) 8月 - 校内に所在する学食の営業が終了する。
- 2022年(令和4年) 4月 - 1時間の授業時間が45分となる。
生徒活動
部活動
- 運動部・同好会
- 訴訟
2017年11月10日、同校卒の男性が男子バレーボール部での活動中、遠征試合を無断欠席したことにより顧問教員に一時間に渡って人格否定を含む叱責を受け、在校中の2008年に心的外傷後ストレス障害を発症、登校が困難になったとして顧問と県を相手に約200万円の損害賠償を求める訴訟で盛岡地方裁判所 (中村恭裁判長) は過剰な指導と不登校の因果関係は認められないとしながらも「指導として社会的正当性を欠いている」として、県に計20万円の支払いを命じる判決[7]。同地裁は過失を認めて慰謝料の支払いを教員に命じたが、当該教員は判決を不服として控訴審で係争中に岩手県立不来方高等学校へ赴任、赴任先にて男子バレーボール部顧問就任。
- 2019年2月1日、仙台高等裁判所 (小川浩裁判長) は「暴力や暴言は指導の裁量を超えた違法行為」と指摘、心的外傷後ストレス障害については一審同様認めず県に20万円の支払いを命じた一審盛岡地裁判決を変更、40万円の支払いを命じる判決[8]。
- 文化部・同好会
委員会
- 應援
- 放送委員会
- 白堊(生徒会誌)編集委員会
- 中央執行委員会
應援團
應援團があり、全校生徒による選挙で選出された應援委員が中心となる[9]。同校では生徒全員を「應援團(応援団)」と位置づけ、その中核を「應援委員」、全校應援練習の場で新入生の指導にあたる三年生の有志を「團有志」、クラスで新入生の指導にあたる二年生の有志を「指導有志」と定義している。[要出典]
制服
アクセス
主な行事
- 4月
- 入学式
- 対面式:入学式の後日行われる。
- 應援歌練習
- 5月
- 6月
- スポーツ祭:クラス対抗で、球技を中心として行われる。
- 應援歌練習:夏の甲子園地方予選に照準を合わせて練習する。
- 8月〜9月
- 白堊祭(文化祭):各部・クラスの研究成果の発表を始め、模擬店出店が行われる。
- 11月
- 研修旅行:2年生が対象。関西コースまたは台湾コースに分かれて行われる。かつて戦後の長い期間、修学旅行がなかったのが同校の特色の一つだった。
- 1月
- 予餞会:受験を控えた3年生を観客として招待し、1・2年生や教職員、應援團が出し物(劇・映像など)をする。
- 2月
- 應援歌練習:翌年度の4月の應援歌練習に向けて、1・2年生によって行われる。
- 3月
- 卒業式
- 白堊の翼:生徒海外派遣事業で、1・2年生数名がカナダのビクトリアに約3週間滞在し、現地の学生との交流や、探究活動のフィールドワークを行う。
一般公開
開かれた学校作りを進めるため、日にちを限って学校を一般に公開している。以下、日程。
- 星を観る会:最新式屈折望遠鏡の一般公開を行う。毎年7月頃と10月頃に行われ、在校生による説明・著名人を招いての講演会も行われる。
- 学校へ行こう週間:日常的な学校生活の参観を目的としている。毎年11月頃に行われる。
- 白堊祭
- 大運動会
著名な出身者
戦前
- 政治・経済・軍事
- 学術・文化・芸術
- 芸能・マスコミ・スポーツ
戦後
- 政治・行政・経済・軍事
- 学術・文化・芸術
- 芸能・マスコミ・スポーツ・その他
脚注
- ^ 岩手県立盛岡第一高等学校 自彊寮 閉寮 - ファイナルアクセス(2019年3月)2022年2月27日閲覧。
- ^ 岩手県立図書館、宮沢賢治
- ^ “青春の味、学食に別れ 盛岡一高、業者撤退で今月終了”. 岩手日報. (2021年8月27日). https://web.archive.org/web/20210827050856/https://www.iwate-np.co.jp/article/2021/8/27/101849
- ^ 沿革抄
- ^ 太平洋戦争中に修業年限が4年に短縮されたが、戦後から廃止までは5年に戻った。
- ^ 現在の岩手県立盛岡第三高等学校とは無関係。
- ^ 部活指導「過剰」 岩手県に賠償命じる 盛岡地裁 朝日新聞 2017年11月11日
- ^ 岩手県立高バレー部顧問の体罰と暴言「違法」 賠償増の判決 サンケイスポーツ 2019年2月1日
- ^ 同校では応援を「應援」、応援団を「應援團」と旧字体で表記するのが伝統である。[要出典]
- ^ アクセス岩手県立盛岡第一高等学校 2023年12月4日閲覧
- ^ “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記 岩手県”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2018年7月10日). https://mainichi.jp/articles/20180704/org/00m/010/032000c 2024年4月11日閲覧。
- ^ "YTV・沢口実歩アナ スポーツ少女が運女の出合い…ヨガ検定4級持ってます". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 23 September 2018. 2020年8月24日閲覧。
参考文献
関連項目
外部リンク