煙山 専太郎(けむやま せんたろう、1877年(明治10年)6月3日 - 1954年(昭和29年)3月21日)は、明治から昭和にかけての西洋史学者[1]、政治学者[2]。日本のロシア史研究の「草分け」[3]。早稲田大学名誉教授。岩手県出身。
生涯
煙山専太郎は、岩手県大川目村(現在の久慈市大川目町)に生まれた。盛岡尋常中学を経て東京帝大の史学科に進んだが、のちに哲学科に転科した。有賀長雄が主宰する『外交時報』に、在学中から寄稿しており、有賀の知遇を得ている。早稲田大学で研究者、教育者として過ごした。
『外交時報』
『外交時報』は、1898年(明治31年)に有賀が創刊した国際・外交問題専門誌である。埴原正直が編集人をやめた後、編集事務の方面で田中唯一郎が、執筆面で煙山専太郎が
有賀を補佐する存在となったとされる[4]。同誌に煙山が初めて書いたのは、1989年9月「樺太回顧」であり、その後も煙山は数多くの論文を寄稿している[5]。
『近世無政府主義』
1902年の著書『近世無政府主義』(東京専門学校出版部)は当時としてはロシア・ナロードニキの「唯一のガイドブック」であり、幸徳秋水、宮下太吉、管野スガらに影響を与えたと見る見解がある[6]。またナロードニキを代表する秘密結社「土地と自由」が1879年に「人民の意志」派と「黒い割替」派に分裂したことをめぐって煙山は前者を「民意党」、後者を「分黒党」と訳しており[7]、後者はいわゆる「分黒党事件」で死刑となった中浜哲らによって組織名として採用されており[8]、この点で明らかに当時の無政府主義運動への影響はあった。
もっとも、煙山の伝記を書いた千葉瑞夫によれば、煙山が同書を書いた目的は、無政府主義の宣伝にあったのではなく、正確な認識に基き批判しようとする点にあったという[9]。
略歴
人柄・学風・人脈
- 煙山が史学科から哲学科に移った理由として、増田冨寿は、当時史学科において地図を描く課題が出されて、それに煙山がバカバカしくなったからであると推定している[11]。
- 煙山の学問上の特徴は、個別的な事実を丹念に調査していき、その成果によって「一般的把握」を行う帰納的なスタイルである[12]。
- 煙山のロシア史研究を継いだ者としては、増田冨寿が挙げられている[13]。
- 日本近現代史専攻の木村時夫(早稲田大学社会科学部教授)は、大学院時代に主として煙山から指導を受けたと記している[14]。
- 煙山は、有賀長雄が主宰する『外交時報』を通じて有賀と交流があり、有賀を「学問上の師」としていたという。[15]。また煙山は、有賀の推薦で早稲田大学講師となったとする記述がある[16]。
著書
単著
訳書
監修
- 薄田斬雲『十六世紀史』坪内逍遥・煙山専太郎監修、早稲田大学出版部〈通俗世界全史 第10巻 近代史 第2〉、1916年9月。
- 高須梅渓『十九世紀史 上』坪内逍遥・煙山専太郎監修、早稲田大学出版部〈通俗世界全史 第14巻 近代史 第6〉、1917年1月。
- 高須梅渓『十九世紀史 下』坪内逍遥・煙山専太郎監修、早稲田大学出版部〈通俗世界全史 第15巻 近代史 第7〉、1917年2月。
共著
- 煙山専太郎、中島半次郎、エ・グレー『日露同盟論・学制改革論・独乙の抱負遂ひに実現するか』新時代学会〈新時代の問題 第1編〉、1915年10月。
- 煙山専太郎、信夫淳平『昭和四年夏期特別講座 通俗日本外交史 資料』日本放送協会関西支部、1929年8月。NDLJP:1098715。
- 上田務、煙山専太郎『朝鮮統治論征韓論の実相』亜細亜文化社〈旧韓末日帝侵略史料叢書 政治篇 9〉、1984年8月。
- 煙山専太郎、柴山尚則 著、惜香生 編『征韓論実相・朝鮮李舜臣伝 文禄征韓水師始末』龍溪書舎〈韓国併合史研究資料 復刻版 20〉、1996年11月。ISBN 9784844764588。
参考文献
- 千葉瑞夫『愛と先見の人―煙山専太郎』岩手日報社、1985年、など他。
脚注
- ^ 秦郁彦編『日本近現代人物履歴字典 [第2版]』東京大学出版会、2002年、228頁。
- ^ 三省堂編集所編『コンサイス 日本人名事典 [第4版]』三省堂、2004年。
- ^ 増田冨寿『ロシア史研究五十年』早稲田大学出版部、1991年、86頁。
- ^ 伊藤信哉『近代日本の外交論壇と外交史学』日本経済評論社、2011年、16頁。
- ^ 伊藤・同書、22、23、86頁参照。
- ^ 三省堂編集所編『コンサイス 日本人名事典 [第4版]』三省堂、2004年、502頁参照。また盛岡市の「盛岡の先人たち」の記述も参照
- ^ 煙山専太郎『近世無政府主義』東京専門学校出版部〈早稲田叢書〉、1902年4月、131-132頁。
- ^ 古田大次郎『死刑囚の思ひ出』組合書店、1948年10月、153頁。
- ^ 千葉瑞夫『愛と先見の人 煙山専太郎』岩手日報社、1985年、35頁以下、199頁以下参照。
- ^ 略歴は秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典 [第2版]』東京大学出版会、2002年、国史大辞典編集委員会編 『国史大辞典 第5巻』吉川弘文館、1985年、三省堂編集所編『コンサイス 日本人名事典 [第4版]』三省堂、2004年を参照して、作成した。
- ^ 増田冨寿『ロシア史研究五十年』早稲田大学出版部、1991年、8頁、88頁、97頁以下参照。
- ^ 増田冨寿『ロシア史研究五十年』早稲田大学出版部、1991年、89頁参照。
- ^ 千葉瑞夫『愛と先見の人 煙山専太郎』岩手日報社、1985年、216頁。
- ^ 木村時夫『日本ナショナリズム史論』早稲田大学出版局、昭和48年(1973)、奥付参照。
- ^ 千葉・前掲書、189頁参照。国史大辞典編集委員会編 『国史大辞典 第5巻』吉川弘文館、1985年参照。
- ^ 千葉・前掲書、同頁。盛岡市HP「盛岡の先人たち」を参照。
外部リンク