野村 胡堂[注釈 1](のむら こどう、1882年(明治15年)10月15日 - 1963年(昭和38年)4月14日)は、日本の小説家・人物評論家[2]。『銭形平次捕物控』の作者として知られる。音楽評論家としての筆名はあらえびす[2][3][4][5][6][注釈 2]、野村あらえびす[8][9][10][11]とも。本名:野村 長一(のむら おさかず)[2]。娘は作家の松田瓊子[12]。
1938年発行の『レコード音楽』昭和13年3月号に、読者からの投書に答える形で、次のように述べている。
「ところで震災の前の年から私は美術と音楽のことも書くやうになつた。さうなると胡堂といふ名では少々堅苦しい感じがあるので、何か他の名を考へることにしたのが抑々あらえびすの名の出来るきつかけだつた。有名な浄瑠璃の「袖萩祭文」の中で「奥州のあらゑびす……」云々と阿倍貞任が威張るくだりがあるが、胡堂の胡がそのあらゑびすに相当するので(ゑびすに「にぎゑびす」即ち熟蛮と「あらゑびす」即ち生蛮の二種がある、その荒つぽい方なのである)ゑはえに変えて、斯くして茲にあらえびすの名が誕生を見た次第だ。柔く平仮名で書いた」(『証言―日本洋楽レコード史(戦前編)』掲載)
参照:二上洋一『少年小説の系譜』(幻影城、1978年)
(※“あらゑびす”を,“あらえびす”の表記に変えて使用したと云う)