日本鉄道建設公団(にほんてつどうけんせつこうだん、英称 : Japan Railway Construction Public Corporation、英略称:JRCC)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)などの鉄道建設事業を行っていた国土交通省所管の特殊法人である[4]。日本鉄道建設公団法に基づき1964年(昭和39年)3月23日に発足し、特殊法人改革により2003年(平成15年)10月1日に解散した[1]。その業務は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構に承継された[1][2]。公式な略称は鉄道公団(てつどうこうだん)だが、鉄建公団(てっけんこうだん)とも通称された[5]。
1960年代初頭、国鉄は東海道新幹線など主要幹線や首都圏の輸送増強策に伴う過大な経営・組織上の負担がネックとなって、地方の新線整備が進まない事態となった。また、日本国有鉄道諮問委員会が提出した「国鉄経営の在り方についての答申書」においては、国の政策による「出来上がっても儲けにならない線区を国家の要請によつて国鉄が作るもの〔ママ〕」の負担が、今後の経営に深刻な影響を与える要因の一つになると警告していた[6]。
政府はこれに対して、地方の新線建設を積極的に推進するため、「鉄道の建設等を推進することにより鉄道交通網の整備を図り、もって経済基盤の強化と地域格差の是正に寄与する」ことを目的とする鉄道公団を新設することで国鉄から新線建設事業を切り離した[7]。公団の工事線は、地方開発線(A線)、地方幹線(B線)、主要幹線(C線)、大都市交通線(D線)、海峡連絡線(青函トンネル、E線)、新幹線(G線)、民鉄線(P線)及び都市鉄道線の8つに区分され、完成した路線は公団が国鉄や民営鉄道事業者に貸し付けた。
なお公団発足から2年後の1966年(昭和41年)には、国鉄決算は赤字に転落しており[8]、国鉄解散まで一度も黒字浮上することはなかった。
歴史
公団発足にあたっては当時自由民主党の有力議員で、鉄道による国土開発を積極的に主張していた田中角栄が大きく関与したとされる[9]。特にAB線は政治的意向を反映したいわゆる「我田引鉄」の温床となり、国鉄の累積債務増大の主な原因となった。
国鉄時代
国鉄に代わって新線建設を行い、完成した鉄道施設を国鉄に貸し付けまたは譲渡することを目的として、1964年(昭和39年)2月29日の日本鉄道建設公団法の公布に伴い、1964年(昭和39年)3月23日に国と国鉄の出資で発足した。建設事業は運輸省の鉄道建設審議会の諮問に基づいて運輸大臣が指示する基本計画に従って行うこととされ、工事線62線、調査線3線の計65線が示された。1970年(昭和45年)5月18日には全国新幹線鉄道整備法の公布に伴い、新幹線の建設事業(国鉄と公団が合同で整備)、1972年(昭和47年)6月9日には公団法の一部改正に伴い、東京都、大阪市、名古屋市とその周辺の民営鉄道(民鉄)線の建設事業も追加された。一方、1970年(昭和45年)7月1日には本四淡路線と本四備讃線の調査業務が本州四国連絡橋公団に移管された[7]。
なお公団発足後も山陽新幹線や東北新幹線(盛岡以南)、埼京線、中央本線塩嶺トンネル、貨物線(未成線では南方貨物線)の路線建設、そして千歳線など一部路線の線路付け替えなどは国鉄自らが行っている[10][11]。
国鉄は1968年(昭和43年)、慢性的な赤字に陥っている全国83路線(いわゆる「赤字83線」)を廃止する方針を決めたものの、一方で公団が建設する新しい赤字ローカル線を次々と引き受けさせられる事態となった。建設路線の大半を占めた地方開発線及び地方幹線(AB線)は計画段階から黒字が見込めないローカル線で、完成後は国鉄に無償貸し付けまたは譲渡されたが、国鉄の経営を圧迫する基となった。
1970年(昭和45年)10月に完成したA線の白糠線上茶路 - 釧路二股(のち北進)間のように、開業しても膨大な赤字が避けられないとして国鉄側が路線の引き受けを拒否したにもかかわらず、政府が強制的に国鉄に移管させた例(1972年9月8日開業、1983年10月23日全区間廃止)や、油須原線のように国鉄が引き受け拒否を貫いて、未開業のまま終わったケースもあった。
1979年(昭和54年)、不正経理問題が発覚し、川島広守総裁が引責辞任、後任には仁杉巌西武鉄道副社長(鉄建公団総裁退任後、第9代国鉄総裁)が就任した[12]。
国鉄再建法
1980年(昭和55年)12月27日、国鉄再建法施行に伴い、運輸省は同法の特定地方交通線基準に準じ、開業後見込まれる輸送密度が1日当たり4,000人未満の路線については、受け皿となる第三セクターなど国鉄以外の運営主体がない限り建設を凍結することを決めた。このため鹿島線のうち鹿島新線として計画された区間(現在の鹿島臨海鉄道大洗鹿島線)および内山線(現在のJR四国予讃線向井原 - 内子間および新谷 - 伊予大洲間)以外の工事中AB線38線区はすべて工事が凍結された。
- 凍結されたAB線のうち、工事着工率が50%以上で、のち開業を果たした線区一覧 [13]
- 樽見線、鷹角線、阿佐東線、久慈線、盛線、智頭線、野岩線、宿毛線、阿佐西線(後免 - 奈半利)、井原線、北越北線、宮福線
- 凍結されたAB線のうち、工事着工率が50%以上で工事再開されなかった線区一覧
- 美幸線(仁宇布 - 北見枝幸)、白糠線(北進 - 足寄)、名羽線、興浜線、佐久間線、阪本線、今福線、岩日北線、油須原線、呼子線、高千穂線(高千穂 - 高森)
他に凍結されたA線である岩内線(岩内 - 黒松内)、紅葉山線(占冠 - 金山。紅葉山 - 占冠は石勝線として開業)、狩勝線(日高町 - 占冠。占冠 - 上落合は石勝線、上落合 - 新得は根室本線として開業)、芦別線、北十勝線、根北線(越川 - 根室標津。斜里 - 越川は既に廃止)、小本線(岩泉 - 小本)、下呂線、岡多線(瀬戸 - 多治見)、氷見線(氷見 - 羽咋)、越美線(九頭竜湖 - 北濃)、小鶴線、南勝線、阿佐線(甲浦 - 奈半利)、北松線、小国線(宮原線参照)、B線の中津川線、C線の丸森線や、1984年凍結のCD線である岡多線、瀬戸線、当時凍結済みの整備新幹線、成田新幹線については当該項目を参照。これらの中にも開業または活用された線区がある。
国鉄民営化後
1987年(昭和62年)9月26日には、国鉄分割民営化により、東北新幹線(盛岡以北)と九州新幹線の建設主体及び関係職員が、一時JR東日本・JR九州を経て、公団に引き継がれた[7]。
1998年(平成10年)10月22日には、日本国有鉄道清算事業団法の廃止により日本国有鉄道清算事業団が同日をもって解散となったことから、それ以降、同事業団の業務は固定資産やJR株式などの処分資産だけを当公団が承継し、当公団内に国鉄清算事業本部(特例勘定)を設置した。なお、従来からの建設公団業務は、一般勘定となった。償還スキームが破綻した清算事業団の国鉄長期債務は、公団には引き継がれず、政府の一般会計に組み込まれ、60年間の国民負担で処理されている。
2001年(平成13年)3月現在の職員数は約1800人であった。国の特殊法人改革の一環で、2002年(平成14年)12月18日の独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構法の公布に伴い、2003年(平成15年)10月1日付で解散し[1]、同日、運輸施設整備事業団と統合されて設立された独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構に業務が承継された[1][2][7]。
組織
役員組織
|
本社部局
|
支社など
|
総裁
|
審議役
|
盛岡支社
|
副総裁
|
監査室
|
東京支社
|
理事
|
企画室
|
関東支社
|
理事
|
総務部
|
大阪支社
|
|
経理部
|
札幌工事事務所
|
|
用地部
|
北陸新幹線建設局
|
計画部
|
北陸新幹線第二建設局
|
工務部
|
九州新幹線建設局
|
設備部
|
名古屋建設局
|
新幹線部
|
|
リニア実験線建設室
|
電気部[* 1]
|
設計技術室
|
民鉄線部
|
- ^ 変電設備、電車線路設備、電灯電力設備、通信設備などを担当。
歴代総裁
出典:『写真で見る日本鉄道建設公団の歩み』[7]
- 太田利三郎(1964年3月‐1967年3月)
- 綾部健太郎(1967年3月‐1970年3月)
- 篠原武司(1970年3月‐1979年3月)
- 川島広守(1979年3月‐1979年10月)
- 仁杉巌(1979年10月‐1983年12月)
- 内田隆滋(1983年12月‐1987年10月)
- 永井浩(1987年10月‐1989年7月)
- 岡田宏(1989年7月‐1992年5月)
- 棚橋泰(1992年5月‐1993年6月)
- 塩田澄夫(1993年6月‐1999年1月)
- 豊田実(1999年1月‐2001年8月)
- 松尾道彦(2001年9月‐2003年3月)
- 小森博(2003年3月‐2003年9月)
開業実績
AB線(地方における開発等のための鉄道)
AB線は無償資金を財源として建設が行われ、完成後は鉄道施設を国鉄に無償で貸付けていた。しかし、国鉄の経営悪化に伴い、こうした鉄道公団によるAB線建設は、国鉄再建法が施行された1980年(昭和55年)に運輸省が建設凍結を決めたことで事実上終了した。
2021年7月30日時点で、国鉄が公団から引き受けて開業したAB線25線区のうち、JRに承継され現存する線区は半数以下の10線区にとどまっている。5線区が国鉄分割民営化までに廃止され、7線区が第三セクターに承継されたが、その後三セク承継3線区とJR承継3線区が廃止、JR承継1線区が一部BRT(バス高速輸送システム)に転換された。一方、工事途中で凍結された未成線区のうち14線区は、国鉄に代わる受け皿の第三セクターが設立されて工事が再開され、2002年(平成14年)までにすべて建設が終了した。
CD線(主要幹線及び大都市における鉄道)
CD線は公団が路線を建設し、国鉄に有償で貸し付けていた。国鉄民営化にあたってその大部分はJRに貸付もしくは承継されたが、一部線区は第三セクターに承継された。民営化後も京葉線や瀬戸線の建設が続けられた。貸付線については貸付期間が経過した後、鉄道施設は有償で譲渡される。貸付料の基準は、建設に要した費用のうち借入れに係る部分を国土交通大臣が指定する期間(40年間)および利率による元利均等半年賦償還と租税および管理費等である。譲渡代金は、建設に要した費用から、鉄道事業者が既に支払った貸付料の合計額を減じた額である。
E線(海峡線鉄道)
青函トンネルを含む津軽海峡線は公団が鉄道施設を建設・保有し、JR北海道は租税および管理費を支払う。
E線(海峡線鉄道)[14][16]
線名 |
区間 |
建設 延長 (km) |
営業 延長 (km) |
開業年月日 |
事業者の変遷 |
種別 |
現状 2022年9月30日時点
|
津軽海峡線
|
中小国 - 木古内
|
87.8
|
87.8
|
1988年3月13日
|
JR北海道
|
貸付線
|
海峡線
|
G線(新幹線鉄道)
全国新幹線鉄道整備法に基づく整備計画のうち、公団が建設主体として指名された路線の建設を行った。公団は昭和47年の整備計画において上越新幹線、成田新幹線、昭和48年整備計画(整備新幹線)において北陸新幹線、北海道新幹線の建設主体とされた。
上越新幹線は公団が建設主体として建設を行い国鉄が運営していたが、国鉄分割民営化の際に新幹線鉄道保有機構が鉄道施設を保有し、JRにリースする方式となった。その後、新幹線鉄道保有機構は解散し、上越新幹線の鉄道施設はJR東日本に有償で譲渡された。成田新幹線は着工したものの、成田空港周辺を除いて建設工事が進展できず、国鉄分割民営化と同時に整備計画が失効した。
国鉄民営化後、国鉄を承継したJRが建設主体とされた整備新幹線である東北新幹線盛岡以北および九州新幹線の建設主体を引き受けた。北陸新幹線および東北新幹線盛岡以北の区間は、公団が建設主体として建設し、完成後は鉄道施設を保有して営業主体に貸付けを行い、貸付料を収受する(上下分離方式)。貸付料の基準は、受益の額(新幹線鉄道の開業により営業主体に発生する受益(30年間))を基準としたものに租税および管理費を加えた額である。
G線(新幹線鉄道)[15][16]
線名 |
区間 |
建設 延長 (km) |
営業 延長 (km) |
開業年月日 |
事業者の変遷 |
種別 |
現状 2022年9月30日時点
|
上越新幹線
|
大宮 - 新潟
|
275.4
|
303.6
|
1982年11月15日
|
国鉄→JR東日本
|
承継線
|
上越新幹線
|
北陸新幹線
|
高崎 - 長野
|
125.7
|
117.4
|
1997年10月1日
|
JR東日本
|
貸付線
|
北陸新幹線
|
東北新幹線
|
盛岡 - 八戸
|
94.5
|
96.6
|
2002年12月1日
|
JR東日本
|
貸付線
|
東北新幹線
|
P線(大都市における民営鉄道)
東京、大阪、名古屋の三大都市圏において民鉄線の新設または大規模改良工事を公団が施工し、完成後は事業者に譲渡する。譲渡代金は国土交通大臣の指定する期間(25年間)、元利均等半年賦償還で管理費等を加えた額を支払う。なおP線制度では、公団が発行した債券または借入金の利子のうち5%を上回る部分に対して国と地方公共団体が2分の1ずつ利子補給をする。利子補給期間は25年(ニュータウン新線の場合は15年)である。特殊法人改革の際に都市鉄道線および民鉄線等事業については現在実施中の事業に限定し、新たな路線の新規採択は行わないこととされた[4]。
主要鉄道幹線
都市鉄道線
受託業務
鉄道事業者から鉄道事業の受託要請があった場合に、公団が受託して調査や建設を行う。
関連項目
脚注
注釈
- ^ JR東日本が気仙沼線BRTとして運行。
- ^ 貸付期間経過に伴い、鹿島線 香取 - 北鹿島間は2010年8月20日にJR東日本に譲渡。
- ^ 貸付期間経過に伴い、根岸線 桜木町 - 磯子間は2009年7月1日に、根岸線 磯子 - 洋光台間2010年3月17日にJR東日本に譲渡。
- ^ 貸付期間経過に伴い、根岸線 洋光台 - 大船間は2013年4月9日にJR東日本に譲渡。
- ^ 貸付期間経過に伴い、武蔵野線 新松戸 - 府中本町間は2013年4月1日にJR東日本に譲渡。
- ^ 貸付期間経過に伴い、武蔵野線 新鶴見 - 府中本町間は2016年3月にJR東日本に譲渡。
- ^ 貸付期間経過に伴い、伊勢線 南四日市 - 河原田間は2013年9月1日にJR東海に譲渡。
- ^ 貸付期間経過に伴い、京葉線 塩浜操車場 - 東京貨物ターミナル間は2013年10月1日にJR東日本に譲渡。
- ^ 貸付期間経過に伴い、京葉線 千葉貨物ターミナル - 都川間は2015年5月にJR東日本に譲渡。
- ^ 貸付期間経過に伴い、湖西線 山科 - 近江塩津間は2014年7月にJR西日本に譲渡。
- ^ 貸付期間経過に伴い、小金線 新松戸 - 西船橋間は2018年10月2日にJR東日本に譲渡。
- ^ 北初富 - 新鎌ヶ谷間は1992年7月8日に廃止。
出典
参考文献
雑誌記事
- 大貫富夫「日本鉄道建設公団民鉄線工事の概要」『JREA』第30巻第4号、日本鉄道技術協会、1987年4月、17185-17191頁、ISSN 04472322。
- 斉藤俊彦「日本鉄道建設公団発足す」『JREA』第7巻第7号、日本鉄道技術協会、1964年7月、3505-3507頁、ISSN 04472322。
- 中井善人「全国新幹線鉄道網の建設」『JREA』第17巻第1号、日本鉄道技術協会、1974年1月、9650-9654頁、ISSN 04472322。
報告書
外部リンク
|
---|
歴史 |
前身 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
後身 | |
---|
|
---|
組織 |
|
---|
組合 | |
---|
カテゴリ |
|
---|
|
×は廃止された施設・路線・設備等 カテゴリ |