この項目では、鉄道路線について説明しています。かつて国鉄バス に存在した路線については「松山高知急行線 」をご覧ください。
予土線 (よどせん)は、高知県 高岡郡 四万十町 の若井駅 から愛媛県 宇和島市 の北宇和島駅 に至る、四国旅客鉄道 (JR四国)の鉄道路線 (地方交通線 )である。
愛媛県(旧伊予国 )南西部の南予地方 と高知県(旧土佐国 )西部を走る、両県を直接結ぶ唯一の鉄道路線で、愛媛県側で予讃線 と、高知県側で土佐くろしお鉄道中村線 と接続している。高知県内では四万十川 の上流部に沿って走る路線であることから、「しまんとグリーンライン 」の愛称が与えられている[2] 。
なお、土佐くろしお鉄道中村線からの分岐点は正確には若井駅ではなく中村線の若井駅 - 荷稲駅間にある川奥信号場 で、若井駅 - 川奥信号場間は土佐くろしお鉄道中村線にも属する重複区間となっている。また、当路線各駅の駅ナンバリング は番号部分に限り、土讃線 の高知駅 からの通し番号になっている。
路線データ
管轄(事業種別):四国旅客鉄道(第一種鉄道事業者 )
建設主体:日本鉄道建設公団 (現 独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構 )(江川崎駅 から若井駅まで)
路線距離(営業キロ ):76.3km
軌間 :1067mm
駅数:20(起終点駅含む)
予土線所属駅に限定した場合、終点の北宇和島駅(予讃線所属[3] )が除外され、19駅となる。なお、起点の若井駅はかつて中村線所属[3] であったが、同線が土佐くろしお鉄道へ転換されたため、JRの駅としては予土線所属となる。
複線区間:なし(全線単線 )
電化区間:なし(全線非電化 )
閉塞方式 [4]
若井駅 - 川奥信号場:自動閉塞式
川奥信号場 - 北宇和島駅:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
交換 可能駅・信号場:6(川奥信号場、土佐大正駅 、江川崎駅、吉野生駅 、近永駅 、伊予宮野下駅 )
最高速度:
若井駅 - 川奥信号場間 110km/h
川奥信号場 - 江川崎駅間 85km/h
江川崎駅 - 北宇和島駅間 65km/h
最急勾配:30‰ (標準勾配 としては 26.1‰=北宇和島駅 - 務田駅 間)[5]
最小曲線半径:160m
沿線概況
停車場・施設・接続路線
↑JR四 :土讃線
(4.4)
TK26 窪川駅
土佐くろしお鉄道 :中村線
0.0
G27 若井駅
若井トンネル
2134m
土佐くろしお鉄道:中村線 1963-
3.6
川奥信号場
第一家地川トンネル
1397m
5.8
G28 家地川駅
10.7
G29 打井川駅
轟崎トンネル
812m
17.6
G30 土佐大正駅
芽吹手トンネル
1060m
第一四手トンネル
506m
26.5
G31 土佐昭和駅
大保木トンネル
817m
31.0
G32 十川駅
今成トンネル
894m
長更トンネル
808m
38.9
G33 半家駅
42.7
G34 江川崎駅
45.4
G35 西ケ方駅
↑高知県 /愛媛県 ↓
51.3
G36 真土駅 1960-
52.7
吉野駅 -1933
53.0
G37 吉野生駅 1933-
55.3
G38 松丸駅
58.8
G39 出目駅
60.4
G40 近永駅
62.5
G41 深田駅
65.4
G42 大内駅
66.9
G43 二名駅
69.1
G44 伊予宮野下駅
70.0
G45 務田駅
椿谷橋梁
74.3
光満駅 -1941
75.8
高串駅 -1941
予讃線
76.3
G46 北宇和島駅
77.6
G47 宇和島駅
(II) 1916-1941
(III) 1941-
北宇和島駅 - 吉野生駅 間は宇和島鉄道 という軽便鉄道 であった名残から低規格で非常にカーブが多く、この区間の列車は極度に低速である。江川崎駅 - 若井駅間は1970年代 に新たに開通した高規格路線で、比較的高速の運転が行われる[5] 。
清流四万十川 沿いに走る線として有名で、土佐大正駅 - 江川崎駅間は蛇行する四万十川を串刺しにするように線路が敷かれており、進行方向のどちらからでも四万十川を見ることができる。この区間では風景を写真に収める人も多々おり、非常に眺めの良い絶景が続く。毎年5月頃に十川駅 前では四万十川の両端で「こいのぼり の川渡し」を見ることができる。江川崎以西は流域に人家の多い支流(広見川 )沿いに走るが、川の風情は本流ほどではない。
そのように恵まれた沿線風景を旅客誘致につなげる目的で、国鉄 時代の1984年 から、トロッコ列車 「清流しまんと号 」の運行が開始された。国鉄・JRグループ としては最初のトロッコ列車で、以後各地の国鉄・JR線でトロッコ列車が運行されるようになった。
途中にある半家駅 (はげえき)は、「ハゲ 」に通じるその読み方からクイズ番組などに取り上げられることが多い。「若い(若井 )と言われ喜び、ハゲ(半家)と言われて怒り出す。大正 (土佐大正 )、昭和 (土佐昭和 )があって、なぁーせ(方言で何故)明治 (、平成 と続くことも)がない」と地元で謡われている。
運行形態
幹線交通路からは外れた閑散路線であり、特急列車は運転されておらず、全列車が普通列車 かつワンマン運転 である。
高知県側からは土讃線 窪川駅 から列車が発着している。窪川駅発着列車の場合、窪川駅 - 若井駅間は土佐くろしお鉄道 中村線 であるので、この区間は土佐くろしお鉄道の運賃210円[6] (2022年現在)を別途要する(運行乗務員は中村線内もJR四国の担当)。「青春18きっぷ 」の利用期間中は、車内放送 で、「青春18きっぷ」で乗り通す旅客は若井駅 - 窪川駅間の運賃が別途必要である旨がアナウンスされる。
全線を走行する窪川駅 - 宇和島駅 間の列車が1日4往復あるほか、江川崎駅・近永駅 - 宇和島駅間などに区間運転列車があり、1 - 3時間に1本運行され、宇和島駅からは21時台まで運行されている[7] 。
輸送量が少ない事情から、古くは1960年代 のキハ02形 レールバス 、1987年にはキハ32形 などの小型気動車 が投入された。一時高松駅 - 窪川駅 - 宇和島駅間運転の急行 「あしずり 」が1往復設定されていたことがあり、予土線内は快速 となっていた[注 1] [8] 。直通がなくなってからもしばらくは窪川駅 - 宇和島駅間運転の快速が1往復残っていた時期があり、初期の「清流しまんと号」が宇和島駅から連結されていた。
現在はキハ32形での運用のほか、キハ54形 で運用される列車もある。また、2006年 5月頃までは宇和島駅 - 江川崎駅間の1往復のみキハ185系 (3000番台もしくは3100番台)が運用されたこともあった。
2010年頃より、車両の前面下部に鉄棒が装着されているが、これは沿線で増加するシカ との衝突を想定したもので、車両の下へ巻き込ませないための予防的措置である[9] 。
このほか、「しまんトロッコ」「海洋堂ホビートレイン」「鉄道ホビートレイン」(それぞれ次節以降参照)が運行されている。
トロッコ列車
1984年夏に二軸無蓋貨車 のトラ45000形 トラ152462を改造し、国鉄初のトロッコ列車として運行開始。以来、春から秋にかけて「清流しまんと号」「清涼しまんと」「四万十トロッコ」「しまんトロッコ」などの名称で運行され続けている。1997年にキクハ32形 キクハ32 501も加わり「清流しまんと51・52号」として運転し、トロッコ列車が1日2往復していた時期もあった。なお、貨車改造トロッコに連結される気動車はエンジン出力の大きいキハ54形 が充当されている。キクハ32形トロッコに連結される気動車はキハ185系 である。
貨車改造トロッコは2013年 (平成25年)10月にキハ54形キハ54 4とともに九州旅客鉄道 (JR九州)などの車両デザインを手掛けている水戸岡鋭治 によってリニューアルされ、黄色のラッピング車体 となり現在は「しまんトロッコ 」の愛称をつけて運転している[10] 。運行期間は毎年4月から5月と7月から11月までの土曜・休日や大型連休で、1号(窪川駅発宇和島駅行き)・2号(宇和島駅発窪川駅行き)ともに定期普通列車にトロッコ車両を併結して運転されている。トロッコ車両に乗車可能な区間は1号・2号ともに江川崎駅 - 土佐大正駅間で、それ以外の区間は締め切られ回送 扱いとなる。また、トロッコ車両は全席指定席 のためトロッコ車両に乗車するには指定席券 が必要であるが、併結している一般車両は自由席 のため、指定席券を購入する際は、乗車区間は1号は土佐大正駅 - 江川崎駅相互間で、2号は江川崎駅 - 土佐大正駅相互間でそれぞれ購入することになる。なお、この定期普通列車は「しまんトロッコ」として運転される日は江川崎駅 - 土佐大正駅間で速度を落として運転するため、途中の半家駅、十川駅 、土佐昭和駅では発車時刻が変更される。
トロッコ車両は動力を持たないほかキクハ32形とは異なり運転台 も持たないため、先に2号として運用されたあと、窪川駅に到着後は同駅構内にて入替作業が行われ、1号として折り返す際も一般車両の後ろに連結された状態で運行する。車掌 が乗務しており、トロッコ車両の乗車区間では観光案内(列車によっては地元の観光ガイドが添乗することもある)のほか記念乗車証の配布などが行われる。
過去は、2013年から暫くの間は予土線の窪川駅 - 宇和島駅間の1往復を臨時列車として運転した。トロッコ車両乗車可能区間は、ダイヤ改正の際に変更になることがあったが、2013年は土佐大正駅→江川崎駅間(1号)と十川駅→土佐大正駅間(2号)であった。2014年からの運転では、全席指定の臨時快速列車となり、トロッコ車両に乗車できるのは、窪川駅→江川崎駅間(1号)と宇和島駅→十川駅間(2号)となった。2016年の運転では、途中停車駅は近永駅、松丸駅 、江川崎駅、土佐大正駅のみ、トロッコ車両乗車可能区間は、窪川駅→江川崎駅間(1号)と宇和島駅→土佐大正駅間(2号)となった。
トロッコ列車「清流しまんと号」(窪川駅)
キクハ32 501+キハ185-20「清流しまんと51号」(1997年、窪川駅)
キハ185-20+キクハ32 501「清流しまんと51号」(1997年、窪川駅)
キクハ32 501+キハ185-20「清流しまんと51号」(左)とコトラ152462+キハ54「清流しまんと2号」(右)(1997年、江川崎駅)
コトラ152462+キハ54 4「しまんトロッコ」
ホビートレイン
海洋堂ホビートレイン
予土線では、利用促進を図るためホビートレインを企画し、運行している。2011年7月から、「海洋堂ホビー館四万十 」の開業に合わせて、海洋堂 のフィギュア を展示する「海洋堂ホビートレイン 」の運行を開始した[11] 。当初は1年間ほどの運行予定であったが、期間が延長された。2013年7月にはSF をコンセプトとした2代目デザインにリニューアルされ、以後も定期運用されている。
2016年には沿線地域で「2016奥四万十博」と「えひめいやしの南予博2016」が開催されるのに合わせて四万十川 に住む「かっぱ の世界」をコンセプトとした3代目デザインの、「海洋堂ホビートレイン『かっぱうようよ号 』」にリニューアルされ、7月から運行されている[12] [13] 。
鉄道ホビートレイン
予土線の全線開通40周年および宇和島駅 - 近永駅間開通100周年に合わせ、0系新幹線 をイメージした「鉄道ホビートレイン 」を2014年3月15日から運行開始している[14] 。2017年 3月にタカラトミー の鉄道玩具・プラレール とのコラボレーションを発表。2018年3月までの1年間の予定で、「鉄道ホビートレイン『プラレール号 』」として車内でプラレールの展示を行っている[15] 。宇和島駅、窪川駅でもプラレールジオラマ の展示を行っている[16] 。
ラッピングトレイン
鬼列車
2021年7月4日よりラッピング列車 「鬼列車 」が予土線および予讃線松山駅 - 宇和島駅間で運転されている。これは「愛媛県鉄道ネットワークあり方検討会」で検討された利用促進策で、予土線沿線の鬼北町 が「鬼 のまちづくり」を推進していることから、キハ32 に同町のシンボル「鬼王丸」など鬼をテーマとしたラッピングを施し、同町および南予の魅力の発信を目的としている。車内ではAR アプリを利用した鬼王丸の観光ガイドや記念写真撮影サービスを行っている[17] 。
海洋堂ホビートレイン「ウルトラトレイン号」
2021年7月22日から2022年5月22日まで、ラッピング列車「海洋堂ホビートレイン『ウルトラトレイン号 』」が予土線で運転されていた。これは「高知県鉄道ネットワークあり方検討会」で検討された利用促進策で、海洋堂ホビー館四万十で開催されるウルトラマン 55周年記念特別展および予土線のPRを目的として、キハ32に同展をテーマとしたラッピングが施されている。なお、ウルトラトレイン号運転期間中は、既存の海洋堂ホビートレインかっぱうようよ号は予土線に加え予讃線松山以南でも運転された[18] 。
しまんと開運列車 すまいるえきちゃん号
2022年 1月29日よりラッピング列車「しまんと開運列車 すまいるえきちゃん号 」が運転されている。これは四万十町で行われている「窪川ポップアートプロジェクト」とコラボレーションしたもので、キハ54形にアーティスト・SHETAがデザインしたラッキーセブンリーフやJR四国マスコット・すまいるえきちゃんなどのラッピングが施される。2月20日までは車内にこたつ テーブルを設置し、土・日曜日に四万十交通 の「しまんと開運バス」とタイアップした「しまんと開運街道日帰りツアー」で使用される。ツアー終了後はこたつを外し、予土線及び予讃線松山以南で普通列車として運転されている[19] 。
臨時特急「I LOVE しまんと」
キハ185系臨時特急「I LOVE しまんと」(1997年、窪川駅)
1997年7月28日から8月18日の間、臨時列車 ながら特急列車 として「I LOVE しまんと」が高知駅 - 宇和島駅 - 松山駅間で運転された。2日間で1往復していた。同年9月以降の運転は高知駅 - 宇和島駅間1日1往復になり同年11月までの土曜・日曜・祝日と、1998年、1999年は7月 - 9月の土曜・日曜・祝日(夏休み期間は毎日)の間運行された。土佐くろしお鉄道内の特急料金・指定席料金は収受されなかった。
運行時の状況
宇和島駅 - 江川崎駅間は路盤、線形 が非常に悪く同線を走行するトロッコ列車並みの低速、さらに、松山駅 - 宇和島駅間、窪川駅 - 高知駅間は臨時列車のため行き違い、運転停車 の連続で、松山駅 - 高知駅間は5時間以上、宇和島駅 - 高知駅間約154kmを3時間以上かけて走行していた。
使用車両
キハ185系2両(キハ185-1016+キハ185-9)。公募で選ばれたデザインの専用車両で運行された。前面にはかわうそ の顔が描かれており、側面はもとより車内天井、床面までペイントが施されていた。
なお、宇和島寄り1号車が禁煙指定席(12席が自由席)、高知寄り2号車が一般自由席であった。
停車駅
高知駅 - 松山駅間の運転では次の駅に停車していた。
高知駅 - 佐川駅 - 須崎駅 - 土佐久礼駅 - 窪川駅 - 土佐大正駅 - 十川駅 - 江川崎駅 - 松丸駅 - 近永駅 - 宇和島駅 - 卯之町駅 - 八幡浜駅 - 伊予大洲駅 - 内子駅 - 伊予市駅 - 松山駅
高知駅 - 宇和島駅間の運転では次の駅に停車していた。
高知駅 - 佐川駅 - 須崎駅 - 土佐久礼駅 - 窪川駅 - 土佐大正駅 - 土佐昭和駅(1999年のみ) - 十川駅 - 江川崎駅 - 松丸駅 - 近永駅 - 伊予宮野下駅 (1998年から) - 宇和島駅
伊予灘ものがたり
2021年12月5日に『伊予灘ものがたり 南予きずな旅』「いやし編」の「いやし編」が催行され、観光列車「伊予灘ものがたり 」が初めて予土線(宇和島駅 - 松丸駅 - 宇和島駅)で運行された[20] 。
新聞輸送
朝の列車で県紙 朝刊の輸送を行っている(2007年5月時点)。下り4833Dが『高知新聞 』を、上り4832Dが『愛媛新聞 』を数十部積み、共に江川崎駅で業者に引き渡している。
予土線3兄弟、Yodosen Fun Fun Trains
「予土線3兄弟 2015秋の遠足号」(2015年10月3日、伊予宮野下駅)
2014年2月にJR四国が「鉄道ホビートレイン」を同年3月15日から運行を開始することに伴い、「しまんトロッコ」と「海洋堂ホビートレイン」とともに観光列車のユニットとして「予土線3兄弟 」と名付けた。長男を「しまんトロッコ」、次男を「海洋堂ホビートレイン」、三男を「鉄道ホビートレイン」とし、同時にロゴマークを発表した。通称は「YODO LINE BROTHERS 」である[21] 。2015年3月7日にデビュー1周年記念として、宇和島運転区 機関庫前に展示した[22] 。また2014年10月に、宇和島駅 - 近永駅間開業100周年記念として予土線3兄弟を連結したイベント列車「なかよし3兄弟 はじめての遠足号」を運転[23] 。翌年以降も「予土線3兄弟 2015秋の遠足号」(2015年10月)、「奥四万十クリスマス号」(2016年12月)[24] 、予土線全線開通45周年記念「幸せのもちまき号」(2019年11月)[25] など予土線3兄弟連結のイベント列車を運転している。
2021年7月には、予土線3兄弟に加えて、「鬼列車」「ウルトラトレイン号」が登場したことから、これらのラッピング列車をまとめて「Yodosen Fun Fun Trains 」と命名した[26] 。同年10月9日・10日には「予土線 Fun Fun 祭り」というイベントが初めて開催され、予土線の全列車を「Yodosen Fun Fun Trains」と予讃線のラッピング列車「おさんぽなんよ号 」で運行した[27] [26] 。
輸送密度
路線全体の平均通過人員(輸送密度 :人/日)は以下の通り[28] 。
1989年度:575人/日
2011年度:252人/日[29]
2012年度:276人/日
2013年度:268人/日
2014年度:291人/日[30]
2015年度:307人/日
2016年度:333人/日[31]
2017年度:340人/日
2018年度:312人/日[32]
2019年度:301人/日
2020年度:205人/日
収支と利用促進策輸送
北宇和島駅 - 若井駅間の輸送密度は2022年度で220人と低迷したままで、赤字路線であり、営業係数 (100円の収入を得るために必要な費用)2021年度で1761円とJR四国各路線でも最悪である[33] 。このため沿線自治体は路線存続に危機感を抱いており、両県にそれぞれあったに利用促進対策協議会[34] を統合して「予土線利用促進対策協議会」を2023年10月27日に設立した[33] 。
愛媛県側の協議会は2018年10月から、予土線応援企画として「YODOSENサポーター」の募集をしている[35] [36] 。
歴史
予土線は、私鉄の宇和島鉄道 によって開業した軌間 762mmの軽便鉄道 が始まりである。宇和島鉄道発起人の今西幹一郎 はかつて宇和島-吉野生村 間の鉄道計画に参画していたが不況により実現しなかった。1910年ころ伊予鉄道 の井上要 に宇和島地方の交通事情の話をしたところ、井上より鉄道計画の再考を助言されたため有志を募り宇和島鉄道を出願。1911年に免許状が下付された。株式の申込も東京方面の実業家から得ることができたが今西、井上などの役員が去るなど社内の混乱もあり1914年になって開通した[38] 。
1933年(昭和 8年)に国有化された。この時点では宇和島駅から吉野生駅までの路線で宇和島線 と称しており、また他の国鉄路線と接続のない孤立路線であったが、1941年(昭和16年)に、後に予讃線となる宇和島駅 - 卯之町駅間が開業し、これに合わせて1,067mm軌間への改軌 と起点付近の線路の付け替え工事を実施し、北宇和島駅が起点となった。
第二次世界大戦 後に愛媛県(伊予)と高知駅(土佐)を結ぶことを目的に2回にわたる延長が実施され、1974年(昭和49年)の全線開通に合わせて旧国名の頭文字をとって予土線 とした(江川崎駅 - 窪川駅間は日本鉄道建設公団 による工事線で、建設当時「窪江線」と呼ばれていた)。愛媛駅と高知駅を結ぶ鉄道はこのほか松山 - 佐川間[注 2] や宇和島 - 宿毛 - 中村 - 窪川間[注 3] などが計画されていたが、実現したのは予土線だけである。
国鉄末期の特定地方交通線 の廃止に際しては、輸送量では存続基準を満たしていなかったが、並行道路の未整備を理由に存続した。しかしこれに関しては、窪川町 で当時計画されていた窪川原子力発電所 と絡んだ政治決着であるとの指摘もある[39] 。
年表
2010年 (平成22年)3月13日 :宇和島発22時台の最終を近永止まりに短縮。
駅一覧
便宜上、末端部の全列車が直通する窪川駅および宇和島駅も含めた区間を記載する。
累計営業キロは若井駅からのもの。
予土線の定期列車は全列車普通列車(すべての駅に停車)
線路(全線単線) … ◇・∧:列車交換 可、|:列車交換不可
予土線内は起点駅・終点駅・他路線と接続する駅を含めて係員が常駐している駅が皆無であり、実質は全駅が無人駅 である(一部の駅が簡易委託駅 となっている程度)。そのため、みどりの窓口 が設置されている駅も皆無である[注 6] 。ただし、両端の駅から全列車が直通している窪川駅と宇和島駅にはみどりの窓口が設置されている。
廃止区間
1941年7月2日の経路変更により廃止された旧線。
宇和島駅 - 下村駅 - 高串駅
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
予土線 に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
北海道 東北 関東・甲信越 北陸・東海 近畿 中国・四国 九州
路線名称は指定当時。この取り組みにより廃止された路線には、「*」を付した。
^ 現在の只見線 の一部を含む。
^ 旅客営業のみ廃止し、路線自体は日豊本線の貨物支線として存続したのち1989年廃止。