小泉 進次郎(こいずみ しんじろう、1981年〈昭和56年〉4月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党神奈川県支部連合会会長。
環境大臣(第27・28代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)(菅義偉内閣)、気候変動担当大臣(菅義偉内閣)、内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院安全保障委員長[1]、自民党青年局長、同農林部会長、同筆頭副幹事長、同厚生労働部会長、同国会対策副委員長、自由民主党選挙対策委員長(第12代)を歴任した[2]。
来歴
生い立ちから学生時代
小泉純一郎の次男として神奈川県横須賀市に生まれた(現住所は同市三春町1丁目)。産まれて間もなく両親が離婚し小泉家が引き取ったため、多忙な父に代わり、純一郎の実姉で同居する道子に育てられた。純一郎は道子と息子たちの関係(伯母と甥)を進次郎には伝えておらず、進次郎は中学2年生まで伯母とは知らされていなかったため、それまでは伯母・道子を実の母と信じていた。兄の孝太郎は伯母の存在を認識していたが、進次郎には伝えていなかった。中学生の進次郎は少なからずこの事実に驚いたが、2016年8月に道子が他界するまで実の母として大切にした。
1988年(昭和63年)に関東学院六浦小学校に入学して、大学卒業まで関東学院で過ごす。
関東学院六浦中学校、関東学院六浦高校ではスポーツ、特に野球に熱中した。
高校卒業後
2001年(平成13年)4月26日、進次郎が20歳の時に父・純一郎が内閣総理大臣に任命される。
2004年(平成16年)3月、22歳の時に関東学院大学経済学部経営学科を卒業。その後、コロンビア大学大学院に入学のプロセスとしては「例外中の例外」と言われる「条件付き合格」し[4]、条件である「TOEFLのスコアが600点に達するまでコロンビア大学内の語学講座で英語の授業を受ける」に従い1年ほど英語を学ぶ。
2005年9月より知日派で米国要人と太いパイプをもつジェラルド・カーティスに師事して修士課程をスタート[5]。
2006年(平成18年)に政治学で修士の学位を取得した[6]。その後、アメリカ合衆国にある、ロンドンタビストック人間関係研究所配下の戦略国際問題研究所非常勤研究員を経て2007年(平成19年)に帰国し、それ以後は父である純一郎の私設秘書を務める。
衆議院議員初当選
2008年(平成20年)に父、純一郎が政界引退を表明して、進次郎を後継候補に指名する。自由民主党の公認を受け、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙に神奈川11区から出馬し、初当選。選挙戦では重複立候補を辞退し、当時の連立与党である公明党からの選挙協力も受けなかった。地元の一部有権者からは世襲を批判されたものの父から受け継いだ強固な地盤と後援会をバックに終始優勢を維持し[7]、投票総数の過半数である150,893票(得票率57.1%)を獲得して初当選した[8]。この総選挙で初当選した5人の自民党の1期生のうちで、政治や行政の経験がない唯一の新人議員である[9]。また、小選挙区で当選した新人議員は小泉、橘慶一郎、伊東良孝の3人のみである。
当選後
2009年12月13日、自民党が小泉による海上自衛隊横須賀基地(神奈川県横須賀市)見学ツアーを実施した際には、50人の定員に約5,200人の応募が殺到するなど、「スター不在」とされる自民党内で際立った存在と見られている[10][11]。
2010年1月の時点で衆議院では内閣委員会、総務委員会、安全保障委員会に所属し、自民党では遊説局長代理、青年局次長、外交副部会長、財務金融副部会長、環境副部会長などの役職を兼務して、外交、財務金融、環境の、3つの部会に所属していた。同年10月には自民党学生部長、新聞出版局次長にも併せて就任した。
2011年10月に自民党青年局長、国会対策委員会委員に就任した。
2012年4月、郵政改正法案に造反[12]しても処分されなかった。同年6月26日の消費税増税法案には賛成票を投じた。同年8月9日、国民の生活が第一など野党6党が提出した野田内閣不信任決議案の採決では、棄権方針の自民党執行部に造反し、元幹事長の中川秀直などとともに賛成票を投じた。同年9月26日の自民党総裁選挙で青年局主催の候補者公開討論会を自民党青年局長として仕切る立場であり、当初は9月19日の公開討論会後に支持候補を表明すると明言していた[13]が、人気や知名度の高い小泉の支持表明は党員票や議員票として総裁選に影響を与えると目されるとして報道が過熱したことから、「衆議院1回生の私の1票が影響を与えるのは不本意。身の程をわきまえて行動する」と述べ、総裁選が終わるまで支持表明を行わない方針を示した[14][15]。総裁選終了後に石破茂に投票したことを発表した[16]。
同年12月の第46回衆議院議員総選挙で再選し、党職では本人の希望もあって2期目の青年局長続投となった。この選挙で自民党が大勝した結果、青年局所属議員は82人となった[17]。
2013年9月30日、青年局長を退任し内閣府大臣政務官(経済再生、経済財政、環太平洋経済連携協定(TPP)等担当[18])兼復興大臣政務官に就任した。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で3選。
2015年10月23日、自民党農林部会長に就任[19]。同年12月、政府が2015年度補正予算案に、低所得の年金受給者に1人あたり3万円を支給する臨時給付金を盛り込む方針について、「軽減税率対策として6000億足りない。一方で臨時給付金の4000億は簡単に出る。これが国民にどう思われるか。」と主張[20]、これらがきっかけとなり、2016年2月、若手議員の視点からの議論を期待して、自民党財政再建に関する特命委員会の下に、「2020年以降の経済財政構想小委員会」が設置され、小泉は事務局長に就任した[21]。
同年8月、2020年以降の経済財政構想小委員会の委員長代行に昇格しつつ[22]、自民党農林部会長に留任。党部会長の人事では小泉のみ留任となった[23]。9月に第3次安倍第2次改造内閣下で設立された内閣府規制改革推進会議から、11月に「農薬などの資材を農家に売る事業からの撤退」や「農産品の委託販売の廃止」などの組織改革を早期に行うよう迫る厳しい提言があったが、党内で話合いの末に全農による自主的な組織刷新を行うという政府・自民党の農業改革案が了承されている[24]。「全農の体制こそ農家の経営の自由を奪う存在だ」と主張し、自民農林部会長として農業改革を主導している[25][26]。
2017年8月より柴山昌彦とともに自民党筆頭副幹事長[27]。
同年の第48回衆議院議員総選挙で4選。
2018年10月9日、自民党筆頭副幹事長を退任した[28]。同月から自民党厚生労働部会長。
環境大臣
2019年9月11日、第4次安倍第2次改造内閣で環境大臣として入閣。男性としては戦後最年少(38歳)で閣僚となった(女性には1998年に37歳で小渕内閣で郵政相に就任した野田聖子や、2008年に34歳で麻生内閣少子化担当大臣になった小渕優子がいる)[29]。
2020年9月16日、菅義偉内閣で環境大臣に再任。この内閣の閣僚では唯一の首相経験者の子女だった。自民党総裁経験者だが首相経験のない者の子女としては河野太郎(父:河野洋平)もいた。
2021年3月に自民党有志が結成した「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」に参加し、同連盟の顧問に就任した[30]。
同年9月の自民党総裁選挙では河野太郎を支持し、石破茂とも連携し、3人の頭文字から「小石河(こいしかわ)」という造語ができて話題になったが[31]、岸田文雄に敗北。小泉は「全力で河野さんを応援して負けました。完敗に近い。負けは負けです。ルールの中でやって負けたんです」と語った[32]。
環境大臣退任後
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で5選[33]。
同年11月、自民党総務会長代理に就任[34][35]。
2022年2月10日に告示された自民党神奈川県連の会長選に立候補。自身が唯一の立候補者であったため無投票で選出され、その後の県連総務会で了承された。3月26日の県連会合で正式に会長就任が承認された[36]。
2024年1月26日、衆議院安全保障委員長に就任[37]。
自民党総裁選に立候補
2024年9月6日、記者会見を行い、同月27日投開票の自民党総裁選挙への立候補を表明した[38]。会見では「長年議論ばかりを続け、答えを出していない課題に決着をつけたい」と訴えた。自らが当選し、首相・総裁に就任した場合、できる限り早期に衆議院を解散することを明言した[39]。1回目の投票で議員票1位を獲得するも、党員票が伸び悩み、党員・議員の双方から安定した人気を得ていた、石破茂、高市早苗の2人の後塵を拝す結果となった。
自民党選挙対策委員長
同月30日、自民党選挙対策委員長に就任した[40]。しかし、同年10月1日に第1次石破内閣が発足してから27日後に行われた総選挙で自民党と公明党が過半数に届かなかった責任を取る形で、翌28日に総裁である石破に辞表を提出し、受理された[41][42]。
年譜
選挙歴
小選挙区比例代表並立制が導入された当初は重複立候補を辞退した議員も多数存在したが、近年は安倍晋三元総理や石破茂元自民党幹事長ですらも重複立候補を行っている中で、小泉は父の純一郎とともに現職総裁および党の内規により重複立候補が出来ない73歳以上の候補者を除く自民党公認候補の中で[注釈 1]唯一重複立候補を辞退し、公明党からの推薦も受けていない[注釈 2]。
政策・主張
経済・財政
- ライドシェアや人材の流動化はじめ、会社側が従業員を今より解雇しやすくする雇用の規制緩和に積極的であり、新自由主義的な立場であるとされる。[47][48]。
- 「財政健全化に向けて、国と地方をあわせた基礎的財政収支を2025年度に黒字化する政府の目標について、どう考えるか」との問いに対し、2021年のNHKのアンケートで「先延ばしはやむを得ない」と回答。
- 大企業や所得の多い人への課税を強化し、国の財源に充てることについて、2021年のNHKのアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答。
- アベノミクスについて、2017年の朝日新聞社、同年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 2016年6月1日、安倍晋三首相は記者会見し、2017年4月に予定していた消費税率の10%への引き上げを2019年10月まで2年半延期すると発表した[52]。消費増税の先送りについて、2017年の朝日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 「交渉参加に賛成。交渉の中で勝ち取るべきは勝ち取る」との立場をとる[53]。TPPが自民党の政策になる以前からこの立場をとっており、当時は反対派が多かった党内で、賛成派は少数だけに「血まみれになっている」と述べていた[54]。
- 2017年4月13日、日本経済新聞のインタビューに応じ、将来の社会保障制度について「真の全世代型にする」と述べた。「自民党が高齢者偏重を助長してきた面もある」という指摘に対しては「これは政治の責任がある。60歳以上は投票率が7割、20代は3割くらいの中でどちらの声が大きいか。全ての予算の裏にはそういった人たちがいる。ここと真剣に向き合っていかないといけない。こども保険はその覚悟の表れでもある」と主張。「消費税率を引き上げる選択肢はないのか」という疑問に対しては「8%から10%に上がるのは2年後だ。使い道は決まっている。新しいことをやるには10%以上の消費増税の話を決め、理解を得て執行されない限りできない。何年かかるのか。筋論として消費税はそうだと思うが、現実的な解としてはない」と答えた[55]。経済学者の田中秀臣は、財務省の消費増税路線やその背景にある財政再建主義に親和的であると評している[56]。
- 自民党内で浮上した教育国債案については、「次世代への負担のつけ回し」と批判的な立場を取る[57]。代案として社会保険料に上乗せして徴収する「こども保険」を提唱した[57]。
外交・安全保障
- 5兆円を超えている防衛費について「日本の防衛力をさらに強化すべきだと思うか」との問いに対し、2021年のNHKのアンケートで「強化すべき」と回答。
- 敵基地攻撃能力を持つことについて、2021年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 普天間基地の辺野古移設問題について、2012年、2021年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- アメリカ合衆国との同盟関係を強化することについて、2021年の日本テレビのアンケートで回答しなかった。
- 「北朝鮮に対しては対話よりも圧力を優先すべきだ」との問題提起に対し、2014年、2017年の朝日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 2012年9月11日、日本政府は尖閣諸島を地権者から20億5000万円で購入し国有化した[62]。国有化を評価するかとの問いに対し、2012年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 徴用工訴訟などの歴史問題をめぐる日韓の関係悪化についてどう考えるかとの問いに対し、2021年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 日本による過去の植民地支配と侵略を認めて謝罪した「村山談話」の見直し論議について、2014年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 従軍慰安婦に対する旧日本軍の関与を認めた「河野談話」の見直し論議について、2014年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
ジェンダー
- 選択的夫婦別姓制度の導入について、2017年の朝日新聞社のアンケートで回答しなかった。2021年のNHKのアンケートで「賛成」と回答。
- 同性婚を可能とする法改正について、2017年の朝日新聞社のアンケートで回答しなかった。2021年のNHKのアンケートで「賛成」と回答。
- クオータ制の導入について、2021年のNHKのアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答。
憲法
- 憲法改正について、2021年のNHKのアンケートで「賛成」と回答。
- 憲法9条への自衛隊の明記について、2021年のNHKのアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答。
- 憲法を改正し緊急事態条項を設けることについて、2017年、2021年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
その他
- 「原子力発電への依存度について今後どうするべきか」との問題提起に対し、2021年のNHKのアンケートで「下げるべき」と回答。
- 安倍内閣による森友学園問題・加計学園問題への対応について、2017年の朝日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 森友学園への国有地売却をめぐる公文書改竄問題で、2021年5月6日、国は「赤木ファイル」の存在を初めて認めた[64]。しかし5月13日、菅義偉首相はファイルの存在を踏まえた再調査を行わない考えを報道各社に書面で示した[65]。9月の自民党総裁選挙で総裁に選出された岸田文雄も10月11日、衆議院本会議の代表質問で再調査の実施を否定した[66]。国の対応をどう考えるかとの同年の毎日新聞社のアンケートに対し回答しなかった。
- 首相の靖国神社参拝について、2014年、2017年の朝日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 「ドナルド・トランプ大統領を信頼できるか」との問いに対し、2017年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- カジノ解禁について、2017年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- ヘイトスピーチを法律で規制することについて、2014年の毎日新聞社のアンケートで回答しなかった。
- 1993年のウルグアイ・ラウンドへの対策は、農家を過剰に守る補助金のバラマキであったとし、むしろ競争原理を働かせることで消費者のニーズを捉えた持続可能な「儲かる農業」への構造改革を目指している。また、このような「攻めの農業」を推進することで地方での雇用を創出し、人口減少に歯止めをかけることができるとしている[67]。
- 炭素税などのカーボンプライシングについて「議論を深める必要がある」と述べた[68]。炭素税の導入に前向きであるとされる。
- 環境大臣として、前任の原田義昭が推し進めたレジ袋有料化を施行した[69]。有料化の目的は、ゴミ削減ではなく国民の意識啓発であるとの見解を示した[70]。実際に、レジ袋の削減は2019年から2021年までの間に約10万トン減少している[71]が、プラスチックごみ全体は、廃プラスチックの総量は小泉就任前の2018年から就任後の2022年の間に38万トン減少しており、意識啓発の効果が現れている[72]。
- 環境大臣として、プラスチックの製造・販売事業者による自主回収及び再資源化を促進するための法律である「プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律(プラ新法)[73]」を制定した。
- 2024年自由民主党総裁選挙にて、解雇規制の見直しを主張した[74]。
活動
日経・CSISバーチャルシンクタンク
日本経済新聞社と米国戦略国際問題研究所CSISとで設立された日経・CSISバーチャル・シンクタンクに民主党に在籍していた前原誠司・長島昭久・近藤洋介・玄葉光一郎、みんなの党に在籍していた浅尾慶一郎、自民党の林芳正・西村康稔・齋藤健・岩屋毅等と共に、政治フォーラムとして在籍している。上級アドバイザーは石破茂が務めている。CSIS上級顧問兼日本支部長であるマイケル・グリーンはCSIS在籍時に秘書として従事した上司であり、直接指導を徹底的に施して小泉を親米派として作り上げることに成功した人物であると評論家の中田安彦は解説している[75]。
TEAM YOKOSUKA
2011年1月10日にまちおこしを目的とするグループ「TEAM YOKOSUKA」を立ち上げた。Tourism(観光)、Eco & Environment(エコと環境)、America、Merchant & Manufacture(商業と工業)の頭文字から成る[76]。
発言
- 高校時代は野球に打ち込み、「平日は朝練があるので1時間目から6時間目まで授業中に寝て体力温存。そして放課後の練習で全てを燃焼させました」と語っている[77]。
- 小泉が初出馬をする予定の衆院選を控えた2009年5月に、横須賀市内の祭りで民主党候補の予定者であった横粂勝仁から握手を求められたが応じずに、小泉が市民と握手し続ける様子が撮影された動画がYouTubeで25万回再生され、批判のコメントが投稿された。2009年7月の産経新聞の取材に対し、「恐らくそういう風に受け止められることは予想がついた」、「私にとって祭りとは有権者の方との握手の機会、ふれ合いの機会だから、一人でも多くの有権者と、一秒でも多くふれ合いたい。あの時はマスコミの方もたくさんきていた。何もあの場所でそういうこと(対立候補との握手)をすることもないと思った」、「横粂さん本人に対して何も思いはない。一緒に頑張っていきたい」、「顰蹙を買ってしまったとしたら大変残念です」と述べている[78]。
- 2010年1月、民主党幹事長・小沢一郎の陸山会事件で現職国会議員1人を含む元秘書3人が逮捕されても民主党内部から批判の声が出ないことに「自由があるのが自由民主党、自由がないのが民主党。まさに党名が表しているなと思いますよ」と述べた。
- 2010年11月10日の衆議院予算委員会の質問の中で、尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件に関し、「そもそも、(政府がビデオを)もっと早く公開していれば、流出事件も起きなかったんですよ」と発言した[79]。
- 慰安婦問題について「まあ、この議論というのは、どう議論をしてもね。その結末をね、どうするのか考えたときに、一体誰が得をする議論になるのかね。これは非常に難しいところ、ありますしね。この前(大型連休中)、イギリスの会議に行ったときも、やはりこの歴史の問題というのは、おそらく日本で報じている以上に、(諸外国では)関心を持ってみてますよね」「そういった中で、この歴史というのは政治家だけがね、議論をするべきことじゃなくて、有識者だったり歴史の専門家だったり。そういったところで、しっかりと研究をして、いろんな方と議論して判断していただく問題もありますから。これはもう、そちらの手に委ねた方がいいんじゃないですか」と発言している[80]。
- 安倍晋三総理大臣の後任を選ぶ自民党総裁選挙について、福島市内で記者団に対し、みずからは立候補しないとしたうえで、「河野太郎防衛大臣が出るのであれば応援したい。防衛省と環境省の連携を深める中で、省庁や永田町の難しい壁を越えなければできない改革も一緒に突破できる可能性を感じた」と話した[81]。
- 2019年9月22日に開かれた地球温暖化などを議論する国連の気候行動サミットにて環境大臣として参加した際、別の出席者である国連気候変動枠組み条約前事務局長のクリスティアナ・フィゲレス氏の言葉を引用し、「気候変動のような大きな問題は楽しく、クールで、セクシーに取り組むべきです」と発言し、大手海外メディアも報じるほどに国内外で物議をかもした[82]。また、2019年12月11日、第25回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP25)での日本の消極的姿勢が理由で日本が「化石賞」に選ばれた際は、「驚きはない。授賞理由で、まさに私が言ったポイントを挙げていただいた。的確に国際社会に発信できている」と発言した[83]。
- また、気候変動サミットでの訪米時にステーキを「毎日でも食べたいね」と発言し、訪米初日にステーキを食した。その後、牛の飼育は温室効果ガスを比較的多く出すという指摘を記者から受けると、「ステーキと気候変動の関連がニュースになるなら、環境問題を考える良いきっかけになると思う」と述べた[84][85]。
- 2021年4月23日のニュース番組『NEWS23』(TBS)に出演した際に温室効果ガス削減目標26%から46%に引き上げたことについて「くっきりとした姿が見えているわけではないけど、おぼろげながら、浮かんできたんです。“46”という数字が」「シルエットが浮かんできたんです」と発言して炎上した[86]。
- 先述の気候変動サミットにおいて、記者の「温室効果ガスの削減を進める環境省の大臣が(温室効果ガスを排出する牛の)ステーキを毎日でも食べたいと発言すると矛盾が生じるのではないか」という趣旨の質問に対し「毎日でも食べたいということは毎日でも食べているという訳ではないです」、「でも、好きな物食べたいことありません?」、「皆にばれないようにステーキを食べている方が嘘くさくないですか?」と釈明している[87]。
- 日本国内で新型コロナウイルスの感染が発生している中、2020年の2月16日に開かれたコロナウイルスの感染症対策本部を欠席。小泉氏は後援会の予定を変更せず、神奈川県横須賀市の後援会に出席した。衆議院予算委員会で野党からの追及を受け、立憲民主党の本多平直から「『反省をしている』と言うが、本当に悪いと思っている謝り方なのか」と謝罪を求められると、小泉は「私が会議を欠席し、地元の会合に出席をしてきたことは問題であるという指摘を受け、改めて私としては真摯に受け止めて反省している。『反省をしているとは言っているけれど、反省の色が見えない』というのは、まさに私の問題だ。なかなか反省が伝わらない自分に対しても反省をしたい」などと「反省」という言葉を何度も口にして釈明を繰り返し、最後まで謝罪を拒んだ[88][89][90]。
- 2021年3月18日にJ-WAVEで放送された番組「JAM THE WORLD」に出演した際、「プラスチックの原料って石油なんですよね」「意外にこれ知られてないケースがある」と発言し、インターネット上を中心に物議を醸した[91]。
- 福島の汚染土の問題について、「私の中で30年後を考えた時に、30年後の自分は何歳かなと発災直後から考えていました。だからこそ私は健康でいられれば、30年後の約束を守れるかどうかという、そこの節目を見届けることが、私はできる可能性のある政治家だと思います。だからこそ果たせる責任もあると思うので」と答弁[92][93]。
- 明治大学文学部教授・齋藤孝は「『約束』『節目』『可能性』など、夢のあるような、誠実そうな言葉が並びますが、現実感がない。だからネット上で、『ポエム』と揶揄されてしまった。『具体的に』と聞かれているのに、答えに具体性がまったくなく、コミュニケーションとして成立していません。大臣は、具体的な案について明言できないときもあります。しかし、こんな回答ばかりでは、『逃げ』『ごまかし』と、とらえられても仕方ありません」と評している[94]。このような「何か言ってそうで何も言ってない話法」に対し、プチ鹿島は竹下登元首相の「言語明瞭、意味不明瞭」話法との共通点を指摘している[95]。
これらの文章は、ネット上では「小泉構文」や「進次郎構文」などと揶揄されている[96][97]。こうした「小泉構文」には、同じような言葉の繰り返しが多く、トートロジー(同語反復)とも解釈できそうだが、言語学者の尾谷昌則は、「何らかの含意を持つ反復とは思えませんね。主語が省略されていたり、修飾語が足りなかったりしていて、意味が分かりにくい。要するに言葉足らずということでしょう」という見解を示している[98]。
人物
家族・親族
小泉家
- (神奈川県横浜市金沢区、横須賀市)
- 高祖父・由兵衛(生没年不明、とび職人、請負師)
- 高祖母・徳(岡崎文五郎の二女、由兵衛の妻)
- 曽祖父・又次郎(1865年 - 1951年、由兵衛・徳の次男、正妻:ナオ、元とび職人、元請負師、元小学校助教員、東京横浜毎日新聞元記者、元横須賀市長、政治家、第33代逓信大臣)
- 曽祖叔父・岩吉(1867年 - 没年不明、由兵衛・徳の三男、又次郎の弟、小泉組の土木建築請負者)
- 曽祖母・石川 ハツ(又次郎の妾、小泉家の女中)
- 小泉家の女中だったハツは、又次郎の娘・エシエ(後に芳江に改名)を産んだ後、神輿などを作る宮大工の山口忠蔵と結婚した。
- 祖父・純也(1904年 - 1969年、鮫島彌三左衛門の息子、政治家、第18 - 19代防衛庁長官)
- 祖母・芳江(1907年 - 2001年、又次郎・ハツの娘、純也の妻)
- 芳江の母・ハツが山口忠蔵と結婚した後、又次郎に認知され、小泉家が引き取って育てられた。
- 父・純一郎(1942年 - 、純也・芳江の長男、政治家、第87 - 89代内閣総理大臣)
- 伯母・道子(1932年 - 2016年8月、純也・芳江の長女、純一郎の長姉)
- 母・佳代子が離婚して小泉家を出た後、道子が兄・孝太郎と進次郎を育てた。進次郎が中学2年生の頃、父・純一郎から実母だと思っていた道子が実は伯母である事を告白され、ショックを受けた。一緒に聞いた孝太郎はこの事実を知っていたが、進次郎には敢えて言わずにいた[106]。
- 伯母・隆子(純也・芳江の次女、純一郎の次姉)
- 義伯父・豊島格(1930年 - 、隆子の夫、通産官僚、元資源エネルギー庁長官)
- 伯母・信子(1938年3月 - 、純也・芳江の三女、純一郎の三姉、政策秘書)
- 叔父・正也(1946年3月 - 、純也・芳江の次男、純一郎の弟、私設秘書)
- 母・佳代子(1956年 - 、宮本輝久・志計子の娘、純一郎の元妻、実業家、三井不動産グループ会社元経営コンサルタント、宮本アソシエハイツ代表)
- 来歴に記載の通り、両親は幼少期に離婚。小泉は中学2年まで実母や両親の離婚後に生まれた弟・佳長の存在を知らされておらず、その後、弟とは大学生の時に初めて面会したが、実母とは「会ったら母親代わりとして、育ててくれた伯母(道子)を裏切ることになると思った」として断絶状態が続いた。実母と初めて面会したのは2024年のことで、小泉は同年9月に「そんな思いに変化が生まれたきっかけは、私自身が子供を持つ親になったことだ。今年初めて母に会いに行った。詳しくは控えるが、会って良かった」と述べた[107]。
- 両親の離婚後に誕生し、母に引き取られたため、母方の宮本姓を名乗っている。
その他先祖・近戚
- 五世祖父
- 高祖父
- 宮本央(1851年 - 没年不明、茂兵衛の次男、書籍商人、金融業者、地主、資産家、政治家)
- 泰道勘吉
- 及部盛種
- 高祖母・宮本うた(1856年 - 没年不明、央の妻)
- 高祖叔父・川口豊吉(うたの弟、合資会社今井商店支配人)
- 曽祖父
- 鮫島彌三左衛門(生年不明 - 1915年頃、純也の父)
- 事業が失敗した後、地元の鰹節工場に勤務。
- 1914年、第七高等学校造士館卒業。1917年、東京帝国大学法科大学法律学科卒業。
- 明治大学商学部卒業。
遠戚
- 義叔母・美枝子の再従兄弟(4名とも石原慎太郎と典子の息子)
- その他
- 石原慎太郎(1932年 - 2022年、作家、政治家、第14 -17代東京都知事)
- 石原裕次郎(1934年 - 1987年、慎太郎の弟、俳優、歌手、実業家)
- 石原典子(1938年 - 2022年、慎太郎の妻、エッセイスト)
- 石原まき子(1933年 - 、裕次郎の妻、元女優、芸能プロモーター)
関連書籍
出演
新聞
脚注
注釈
- ^ 総裁が写った掲示済みの党のポスターの掲示が公選法が禁じる事前運動に当たり、自身の小選挙区のある都道府県以外の同一比例ブロックにある他の都道府県において、当該ポスターを撤去する必要があることが挙げられるため、総裁は重複立候補を行わない。
- ^ 三重5区で活動していた三ツ矢憲生も第45回衆議院議員総選挙から第48回まで公明党からの推薦は受けていたものの重複立候補を辞退していたが、第49回には出馬せず政界引退。公明党からの推薦を受けていない候補は平沢勝栄や2022年の参院選での小野田紀美などの例が存在する。
出典
参考文献
- 政治資金収支報告書
- 候補者アンケート
外部リンク
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