財政健全化(ざいせいけんぜんか)とは、財政を、その目的とする機能である「資源配分機能」と「所得再分配機能」と「経済の安定化機能」の三つをしっかりと持続的に果たしている状態[1][2]健全財政にする活動である。
大蔵大臣の高橋是清が実行した,いわゆる高橋財政(1931年12月から1936年2月)によって,日本は世界に先駆けて,恐慌(日本では,昭和恐慌と呼ばれる)からの脱出に成功し,高い経済成長率と緩やかなインフレという世界的に見ても抜群のパフォーマンスを達成した。[8]
1920年から1929 年の10年間は,実質成長率の平均が1.9%へと第1次大戦期の4分の1に低下し,消費者物価指数は年率平均でマイナス1.6%にまで低下するなどデフレが進行した.この間,株価は64%も下落した。[8](中略)
さらに1930年から1931年にかけては,金輸出解禁(金本位制への復帰)とその後の米国発の大不況の影響も受けて,日本経済は昭和恐慌に陥り,名目成長率と実質成長率の年平均は,それぞれマイナス9.6%と0.7%へと低下し,物価はマイナス11%もの下落を記録した。[8]
ところが,1931年12月から1936年2月までの高橋財政期は,2%の緩やかなインフレの下で, 実質経済成長率は7.2%,株価は70%も上昇した.1920~29年の長期低迷期と比べて,高橋財政期は抜群の経済パフォーマンスを実現した。[8]
高橋が採用した主要な政策は,①金本位制の停止(=金輸出再禁止),②積極的な政府支出による需要面の下支え(緊縮財政の放棄),③赤字国債の発行とその日銀引受による金融緩和であった。
これは,「清算主義+デフレ」レジームである「井上財政」から,今日「高橋財政」(正確には,高橋財政金融政策)と呼ばれる,新たな政策へのレジーム転換であった。[8]