ニコラス・テロル・ペイドロ (Nicolás "Nico" Terol Peidro, 1988年9月27日 - ) は、スペイン・バレンシア州アリカンテ県アルコイ出身のオートバイレーサー。2011年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。
経歴
キャリア初期
1999年、テロルは10歳のときにミニバイクレースに初めて参戦する。翌2000年には50ccの地方選手権、2001年は70ccの全国レース、2002年は125ccのアプリリアカップとステップアップしていった。
2003年にはスペインロードレース選手権(CEV)125ccクラスにデビューする。翌2004年にはホルヘ・マルチネス率いるチーム・アスパーに移籍し、シリーズランキング4位の成績を残した。またこの年のロードレース世界選手権最終戦バレンシアGP125ccクラスのレースに、負傷欠場となったマイク・ディ・メッリオの代役として参戦を果たした。
ロードレース世界選手権
125ccクラス
2005年、テロルはデルビのマシンを駆ってロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦デビューを果たした。しかしトレーニング中に負った脾臓を切除するほどの重傷に苦しみ、僅か1ポイントの獲得でシリーズランキングは36位に終わった。翌2006年は53ポイントの獲得でシリーズ14位と成績は改善したが、2007年にはスランプに陥りシリーズ22位に沈んでしまった。
2008年にはジャック&ジョーンズWRBチームに移籍し、アプリリアのマシンに乗り換えた。第2戦スペインGPで初表彰台(2位)を獲得、雨でレース短縮となった第14戦インディアナポリスGPで初優勝を挙げるなどの活躍を見せ[1]、シリーズ5位と大きく成績を伸ばした。
チームに残留した2009年シーズン、テロルは最新ファクトリー仕様のRSA125を手に入れた。しかしチームは資金難に苦しみ、開幕前のテスト不足が影響してシーズン序盤は苦戦が続いた。だが中盤以降は調子を取り戻し、第14戦チェコGPで1勝、他にも3回2位表彰台に立つ活躍を見せ、最終的なランキングは3位となった。
2010年シーズンはスペイン選手権時代の古巣であるアスパー・チームに移籍し、ブラッドリー・スミスのチームメイトを務めることとなった[2]。テロルはシーズン3勝、全17戦中14戦で表彰台に立つ安定した速さを見せたが、チャンピオン争いではシーズン10勝を挙げる強さを見せたマルク・マルケスに14ポイント差で敗れてランキング2位に終わった。第7戦カタルニアGPのファイナルラップで転倒し、腰椎を骨折して次の第8戦ドイツGPを欠場したのが大きな痛手となった[3]。
2011年は前年の上位勢の多くがMoto2クラスにステップアップする中、アスパー125ccチームに残留した[4]。テロルは開幕から3連勝を遂げてチャンピオン争いをリード、第7戦ダッチTTでは予選での転倒で右手の小指を負傷し決勝レースを欠場したものの、次戦イタリアGPでシーズン5勝目を挙げて復帰を飾った。その後第12戦インディアナポリスGPから再び3連勝を挙げて年間8勝を達成、最終戦バレンシアGPで125ccクラス最後のワールドチャンピオンに輝いた。
Moto2クラス
2012年、アスパー・チームに残留するテロルは中量級Moto2クラスにステップアップを果たす。チームメイトは2010年チャンピオンのトニ・エリアスが務める[5]。
ロードレース世界選手権 戦績
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
脚注
外部リンク
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125 ccクラス |
1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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Moto3クラス |
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