ケント・アンダーソン(Kent Andersson、1942年8月1日 - 2006年8月29日)は、スウェーデン・ヨーテボリ出身の元オートバイレーサー。ロードレース世界選手権で活躍し、スウェーデン出身のライダーとしては唯一(2008年現在)の世界チャンピオン経験者である。
経歴
アンダーソンのレースキャリアは、19歳の時にモナークの250ccのマシンで出場したスウェーデンとデンマークの国内選手権からスタートした。1962年からはブルタコのマシンに乗り換え、頭角を現し始めた。アンダーソンは、マシントラブルさえなければ自分が速く走れることを周囲に見せつけ、より信頼性の高いマシンを得たことでしばしばレースに勝利して見せた。1965年にスウェーデンの250ccチャンピオンとなったアンダーソンは、翌年には自らチューニングしたハスクバーナのマシンでロードレース世界選手権に挑戦する。
1968年からはヤマハの市販250ccマシンを駆り、結果を出し始めた。1969年にはケル・キャラザースとサンチャゴ・ヘレロとの三つ巴のタイトル争いの末、ランキング2位を獲得した。これらの活躍がヤマハの目に留まり、1970年、アンダーソンはロドニー・グールドのチームメイトとしてヤマハのファクトリーチームに迎えられた。この年はグールドがタイトルを獲り、アンダーソンはキャラザースに次ぐランキング3位となった。
1971年、ヤマハは125ccのニューマシンの実戦開発ライダーとしてアンダーソンを選んだ。そして1973年、アンダーソンは自ら開発したマシンで125ccクラスのタイトルを獲得し、続く1974年にも5勝を挙げ、それ以外でも2戦で2位に入るという成績でタイトル防衛に成功した。
1975年のシーズンをランキング3位で終えた後、アンダーソンは現役を引退し、ヤマハ・ヨーロッパの開発・製造部門を新たな職場とし、レーシングマシンの開発に携わった。1977年に片山敬済がタイトルを獲った時にライディングした3気筒のTZ350の開発には、アンダーソンが重要な役割を果たしている。
晩年は、趣味としてスウェーデンのアマチュアレースに出場していたが、当然ながらその走りはアマチュアのレベルを超えており、1995年には53歳でスーパーモノ・ナショナルチャンピオンを獲得した。近年はオランダのヤマハ・クラシック・レーシングチームの最も有名なメンバーとなり、ヨーロッパ各地で行われるエキシビションのクラシックレースに出場した。また、時々ユーロスポーツでスウェーデン国内のロードレースの解説も勤めた。
2006年8月、病気のため64歳で死去。[1]
エピソード
面倒見の良い性格で、日本から一人でヨーロッパに渡ってきた片山敬済に何かと世話を焼いたのがアンダーソンであった。マシンのセッティングやチューニングについても片山にアドバイスをしており、片山はインタビューで「ファクトリーチューンのエンジンよりもアンダーソンのチューンの方が速かった」と語っている。また、とあるレースでは自分でチューニングしたシリンダーを他のライダーに貸してやったところそのライダーが自分の前を走ってしまい、「人の道を外れている」と言って怒っていたという。[2]
- 凡例
- イタリック体のレースはファステストラップを記録。
脚注
外部リンク
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125 ccクラス |
1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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Moto3クラス |
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