ディーター・ブラウン(Dieter Braun、1943年2月2日 - )はドイツのウルム出身の元オートバイレーサー。ロードレース世界選手権で2度ワールドタイトルを獲得している。
略歴
1970年にスズキのマシンで125ccクラスのタイトルを獲得。1973年にはヤマハの250ccで2度目のタイトルを獲得している[1]。
ブラウンは、東ドイツGPが世界選手権から外れるきっかけとなったライダーとしても知られている。1971年の東ドイツGPで西ドイツ出身であるブラウンが勝利し、表彰台で西ドイツ国歌が流れた時、東ドイツの群集が合唱を始めたのである。この事態に危機感を覚えた東ドイツ政府は、翌年の東ドイツGPに西側諸国のライダーが出場することを制限した。その結果、東ドイツGPは世界選手権としての権利を失い、1973年からはグランプリのカレンダーから外されることとなった[2]。
1977年のオーストリアGPでクラッシュし、この時の怪我により引退した[3]。
戦績
ロードレース世界選手権
1950年から1968年までのポイントシステム
順位
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1
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2
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3
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4
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5
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6
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ポイント
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8
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6
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4
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3
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2
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1
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1969年から1987年までのポイントシステム
順位
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1
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2
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3
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4
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5
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6
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7
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8
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9
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10
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ポイント
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15
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12
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10
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8
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6
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5
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4
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3
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2
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1
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- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
脚注
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125 ccクラス |
1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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Moto3クラス |
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250 ccクラス |
1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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Moto2クラス |
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