中川郡(なかがわぐん)は、北海道(十勝国)十勝総合振興局の郡。
人口40,181人、面積1,778.05km²、人口密度22.6人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口)
以下の4町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね上記4町から幕別町の一部(忠類各町)、豊頃町の一部(湧洞・長節・大津・打内および大津各町)を除き、下記を加えた区域にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
江戸時代の中川郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。中川郡北部(現在の足寄郡足寄町の利別川以西に相当)にある芽登温泉は蝦夷の人々の間では古くから知られていた。
江戸時代後期、中川郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年中川郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復した。安政2年中川郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年以降は仙台藩領となった(6藩分領)。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して中川郡が置かれた。郡名の決める際に松浦武四郎は当郡を「下川郡」と命名し、開拓使公文録でも「下川郡」であったが、その後現在の中川郡に変更されている。変更の経緯は明らかになっていない。十勝国では、他にも現在の上川郡、十勝郡で郡名が変更されている。
郡発足以降の沿革
明治9年の大区小区
- 第23大区
- 6小区 : 旅来村、安骨村、豊頃村、十弗村、凋寒村、様舞村、誓牛村、信取村、蓋派村、居辺村、押帯村、勇足村、幌蓋村、負箙村、嫌侶村、本別村、蝶多村、止若村、咾別村、幕別村、白人村、別奴村
行政
- 浦河郡外十郡長
| この節の 加筆が望まれています。 (2021年3月) |
- 釧路郡外十一郡長
| この節の 加筆が望まれています。 (2021年3月) |
- 釧路郡外十郡長
| この節の 加筆が望まれています。 (2021年3月) |
- 釧路郡外十二郡長
| この節の 加筆が望まれています。 (2021年3月) |
- 河西郡外五郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
|
1 |
吉田直太郎 |
明治30年(1897年)7月 |
明治30年(1897年)11月5日 |
河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く
|
脚注
- ^ a b c 相次ぐ町名変更のため、公開資料を用いての境界線の比定は難しい。
- ^ 現在の湧洞・長節・旅来・大津・打内および大津各町。
参考文献
関連項目