2002年のオリックス・ブルーウェーブでは、2002年のオリックス・ブルーウェーブの動向についてまとめる。
この年のオリックス・ブルーウェーブは、石毛宏典監督の1年目のシーズンである。キャッチフレーズは「BASEBALL SENSATION 熱くなろう神戸」。
1994年からチームの指揮をとり2度優勝(うち1996年は日本一)に導いた仰木彬前監督の勇退を受けて、西武OBの石毛宏典が新監督に就任。投手コーチに藤田学、打撃コーチに立花義家、二軍監督兼打撃コーチに石毛とプリンスホテル同期中尾孝義が就任した。しかし4月を借金3で終えたものの、5月以降は大型連敗を繰り返して最下位に転落。それでも7月に9勝9敗と五分の成績を残してロッテをマークするが終盤は負けが込み突き放された。前年チーム最多勝の加藤伸一がFA移籍、またイチローに続いて田口壮のメジャー挑戦、ジョージ・アリアスは阪神に移籍し、さらにジョー・ビティエロの解雇や五十嵐章人のトレード等で戦力が激減した。さらに石毛新監督の確率を上げる為の打撃指導が合わず、藤井康雄、塩崎真、葛城育郎等は打撃が崩れ大幅に打率を落とし、新ストライクゾーンの影響もあって大島公一も成績を落とした。新戦力のスコット・シェルドンやフェルナンド・セギノールが石毛新監督と揉め、スタメンを外れるケースもあり特にセギノールは腰痛での欠場や離脱もあった。戦力不足や様々な要因で打撃陣が貧打に陥った事が原因で最終的に前身の阪急時代の1963年以来39年ぶり、そしてオリックスとなってからは初の最下位に転落した。5位の日本ハムにも11ゲームを離され石毛監督の1年目は不本意な成績に終わった。投手陣はチーム防御率3.58でリーグ2位と健闘したが一方の打撃陣は盗塁数がリーグ2位も、102本塁打はリーグ5位で打率.235、438得点は(パリーグ唯一の400点台)リーグ最下位。このシーズンを最後に阪急時代からの生え抜きでミスターブルーウェーブとも呼ばれた藤井康雄が現役を引退した。
87 石毛宏典
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1936年から1946年までは「阪急軍」(1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。)1947年から1988年までは「阪急ブレーブス」1989年から1990年までは「オリックス・ブレーブス」1991年から2004年までは「オリックス・ブルーウェーブ」(2004年オフに大阪近鉄バファローズと球団合併)2005年から「オリックス・バファローズ」
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