米村 理ノースアジア大学 監督 |
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![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/O_yonemura20160319.jpg/290px-O_yonemura20160319.jpg) 東京ドームにて(2016年) |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
奈良県桜井市 |
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生年月日 |
(1959-04-03) 1959年4月3日(65歳) |
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身長 体重 |
184 cm 81 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
一塁手 |
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プロ入り |
1977年 ドラフト3位 |
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初出場 |
1980年11月8日 |
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最終出場 |
1987年10月19日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
|
コーチ歴 |
|
|
米村 理(よねむら おさむ、1959年4月3日 - )は、奈良県桜井市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
来歴・人物
奈良県立郡山高等学校では、1977年春季近畿大会に進むが、1回戦で伊香高の藤高俊彦に抑えられ惜敗。同年夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。県内の同期には甲子園へ出場した智弁学園・山口哲治、天理高・鈴木康友がいて、後に楽天では鈴木とは一軍コーチ、山口は球団スタッフとして同じチームで日本一を経験した。
1977年のドラフト会議で、阪急ブレーブスから3位指名を受けて入団。強打の一塁手として期待されたが、当時の加藤英司、ウェイン・ケージといったレギュラーの陰に隠れ、二軍暮らしが長かった。
1983年には一軍に定着、主に代打、守備固めとして起用される。同年はブーマー・ウェルズの控えながら、一塁手としても8試合に先発出場を果たした。
1986年には定評のある打撃を活かし、指名打者、一塁手として16試合に先発。最終戦では三番打者としても起用され打率.329の好記録を残す。
1987年のシーズン中盤以降は出場機会が減少。
1988年限りで現役引退。
引退後の1988年11月、球団がオリックスに売却され、後継球団であるオリックスのマネジャーに転身。
1991年に二軍打撃コーチとして現場に復帰すると、2010年に退団[1]するまで、20年にわたって打撃コーチやトレーニング、外野守備走塁コーチを歴任した。
2011年に横浜ベイスターズで一軍外野守備走塁コーチを務めた[2]。同年11月22日に来季の契約を結ばないことが発表された[3]。
2012年に東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍した。二軍外野守備走塁コーチを経て2012年2月に新設ポストの一軍野手強化コーチに異動[4]。
2013年から一軍外野守備走塁コーチを務め、同年のリーグ優勝・日本一に貢献した[5]。
2014年は61試合で外野守備失策がリーグワースト2位の6を記録し守備の乱れから敗戦につながる試合もあり[6]、同年6月17日付で二軍野手コーチに転じた[7]。
2016年からは一軍外野守備走塁コーチ。
2017年からは一軍・二軍巡回外野守備走塁コーチ。10月22日、球団から退団が発表された。楽天コーチ時代指導した島内宏明は「打てない時もずっと励ましてくれたから頑張れた。ヨネさんがいなければ、ここまで来られなかった」と述べている[5]。10月29日、オリックス・バファローズに8年ぶりに戻り二軍チーフ兼打撃コーチに就任することが発表された。背番号は86[8]。
2019年9月28日、オリックスは米村から退団の申し出があり、受理することになったと発表した[9]。
2020年7月、ノースアジア大学明桜高校のコーチに就任した[10]。2023年秋季よりノースアジア大学監督に就任。
横浜コーチ時代(2011年4月3日)
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1980
|
阪急
|
1 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
1981
|
15 |
5 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.000 |
.200 |
.000 |
.200
|
1983
|
91 |
70 |
63 |
9 |
20 |
2 |
1 |
3 |
33 |
16 |
0 |
0 |
4 |
1 |
2 |
0 |
0 |
11 |
4 |
.317 |
.333 |
.524 |
.857
|
1984
|
68 |
17 |
14 |
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.071 |
.235 |
.071 |
.307
|
1985
|
20 |
9 |
6 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
1 |
0 |
.167 |
.375 |
.167 |
.542
|
1986
|
45 |
82 |
73 |
7 |
24 |
3 |
0 |
3 |
36 |
11 |
0 |
1 |
0 |
0 |
9 |
0 |
0 |
16 |
2 |
.329 |
.402 |
.493 |
.896
|
1987
|
41 |
46 |
42 |
2 |
8 |
1 |
0 |
1 |
12 |
2 |
0 |
0 |
1 |
0 |
3 |
0 |
0 |
6 |
3 |
.190 |
.244 |
.286 |
.530
|
NPB:7年
|
281 |
230 |
203 |
22 |
54 |
6 |
1 |
7 |
83 |
29 |
1 |
1 |
6 |
1 |
19 |
0 |
1 |
38 |
9 |
.266 |
.330 |
.409 |
.739
|
記録
背番号
- 45 (1978年 - 1988年)
- 78 (1991年 - 2010年)
- 86 (2011年、2018年 - 2019年)
- 76 (2012年 - 2017年)
脚注
関連項目