三塁打(さんるいだ)とは、野球やソフトボールで打者が打った安打のうち、打者走者が一度に三塁まで進んだものを指す。
概要
スリーベース(ヒット)とも呼ばれる。なお、アメリカの Official Baseball Rules では three-base hit との表記だが、triple(トリプル)という呼称が定着している。
ただし、打者走者が三塁まで進むことができても、その進塁に野手の失策や野手選択によるものが含まれていた(と公式記録員が判断した)場合は三塁打ではなく、単打か二塁打と失策(または野手選択)による進塁が記録される。
打者が打った安打を三塁打にするためには、フィールド内・且つフェアゾーンの最も深い場所に打球を運び(いくら深くてもファウルラインを越えたらこれはファウルボール)、相手野手がその打球を処理して内野に返球するまでに打者走者が三塁に到達することが必要なため、長打力と走力が同時に求められ、打球が外野の観客席に直接到達すれば無条件でダイヤモンドを一周できる本塁打よりも一般的に難易度は高いとされる。特に左翼方向の打球は三塁との距離が近いため、返球までに三塁に到達することは非常に難しく、これが三塁打の難易度を上げる大きな要因となっている。そのため安打の中でも三塁打の数は極端に少なく、サイクル安打達成に対しても最大のハードルとなっている(三塁打が出なかったばかりに未達成・猛打賞止まりとなった例は非常に多い)。守備技術、特に中継技術の向上もあって、三塁打の各種記録が更新されることは近年ではまれで、日米ともに1970年代までに記録されて以降ずっと更新されていない記録がほとんどである。
なお、野手がグラブや帽子、着衣の一部などを投げつけたり本来身に着けている場所から離したりしてフェアの打球に触れさせた場合、打者と走者にはそれぞれ3個の安全進塁権が与えられ、打者には三塁打が記録される[1](安全進塁権を参照)。
日本プロ野球
個人通算記録
シーズン記録
個人
チーム
順位 |
チーム |
三塁打 |
記録年
|
1 |
阪急ブレーブス |
66 |
1955年
|
2 |
阪神軍 |
61 |
1946年
|
3 |
東京巨人軍 |
57 |
1946年
|
大阪タイガース |
1947年
|
5 |
西鉄ライオンズ |
56 |
1956年
|
東映フライヤーズ |
1961年
|
7 |
阪急ブレーブス |
55 |
1956年
|
8 |
南海ホークス |
54 |
1949年
|
中日ドラゴンズ |
1950年
|
阪急ブレーブス |
1954年
|
東映フライヤーズ |
1959年
|
その他の記録
個人
記録 |
選手名 |
所属球団 |
記録年月日
|
連続シーズン三塁打
|
20年
|
髙木守道
|
中日ドラゴンズ
|
1960年 - 1979年
|
連続試合三塁打 |
4試合 |
長嶋茂雄 |
読売ジャイアンツ |
1960年5月8日 - 5月14日
|
連続打席三塁打 |
3打席 |
堀尾文人 |
阪急ブレーブス |
1936年11月14日
|
蔭山和夫 |
南海ホークス |
1951年9月28日、9月29日
|
河埜和正 |
読売ジャイアンツ |
1974年5月29日、5月30日
|
月間最多三塁打
|
8本
|
川上哲治
|
東京巨人軍
|
1941年8月
|
1試合最多三塁打 |
3本 |
堀尾文人 |
阪急ブレーブス |
1936年11月14日
|
川上哲治 |
東京巨人軍 |
1939年6月21日
|
川合幸三 |
阪急ブレーブス |
1948年11月1日
|
蔭山和夫 |
南海ホークス |
1951年9月28日
|
吉岡悟 |
太平洋クラブライオンズ |
1976年6月20日
|
1イニング最多三塁打 |
2本 |
金田正泰 |
大阪タイガース |
1946年7月25日
|
杉浦清 |
中部日本軍 |
1946年9月7日
|
今宮健太 |
福岡ソフトバンクホークス |
2024年5月21日
|
最年長三塁打 |
48歳4か月 |
浜崎真二 |
阪急ブレーブス |
1950年4月30日
|
チーム
記録 |
チーム |
記録年月日
|
連続打者三塁打
|
3打者
|
阪急ブレーブス
|
1955年5月21日
|
ヤクルトスワローズ
|
1987年8月30日
|
阪神タイガース
|
1990年9月5日
|
1試合最多三塁打 |
6本 |
セネタース |
1946年7月14日
|
1イニング最多三塁打
|
4本
|
読売ジャイアンツ
|
1947年8月16日
|
オリックス・バファローズ
|
2019年6月23日[4]
|
メジャーリーグベースボール
個人通算記録
個人シーズン記録
脚注
関連項目