ノーヒットノーランは、野球、ソフトボールの試合における記録。
本項では一部、ノーヒットノーランに近いが異なる記録である、ノーヒッター(無安打試合; 英: no-hitter, no-no、メジャーリーグベースボールや世界野球ソフトボール連盟によって定義される)についても記述する。またノーヒットノーランの達成者についてはノーヒットノーラン達成者一覧を参照。
概説
野球・ソフトボールの試合において、投手が相手チームに安打も得点も一切許さず勝利することをノーヒットノーランと言う。
ノーランのラン”Run”は、得点を意味する野球用語であり、直訳すると「無安打無得点」。
安打のみならず一人の走者すらも出させずに完封勝利を挙げた場合は完全試合(パーフェクトゲーム)となる。完全試合もノーヒットノーランではあるが、ある具体的な事例について、完全試合とは言わず単に「ノーヒットノーラン」という場合は四球、死球、失策、打撃妨害、振り逃げのいずれかによる出塁を許したが生還させなかったことを含意する。日米ともに、完全試合の回数を含めて数えられる。なお、コールドゲーム、あるいは9回もしくは延長戦までおこなっての引き分け試合で無安打無得点を達成した場合は参考記録扱いとなる。一方で、延長戦でタイブレークに突入した場合、完全試合は認められなくなるのに対し、ノーヒットノーランは記録が継続する[1]。
日本のプロ野球においては先発投手が完投で達成した場合は個人記録として公認されるが、複数の投手の継投による場合はチームの記録として公認される。社会人や高校などのアマチュア野球では個人記録のみ公認され、継投による達成は参考記録扱いとなる。
女子ソフトボールでは、上野由岐子が7度達成している(完全試合を含めると15度)[2]。
メジャーリーグベースボール
メジャーリーグベースボール (MLB) では2020年8月26日現在、完全試合23回を含んで304回達成されている。1991年に発表されたMLBの公式見解において、ノーヒッターとは「9回以上を一人または複数の投手が無安打に抑えた場合」と定義されている[3]。したがって、四死球、ボーク、失策、犠打、犠飛、野手選択、打撃妨害、捕逸や暴投などで得点を許したが相手を無安打に抑えた試合も含まれる。また、継投による場合、チームが敗れた場合にもノーヒッターは記録される[注釈 1]。
無安打試合にまつわる記録
- 最初の無安打試合
-
- 達成回数・連続達成記録
- 通算達成回数で最も多い選手はノーラン・ライアンの計7回。2015年10月4日現在で複数回達成者は37人(継投による達成含む)、3回以上の達成者はノーラン・ライアン、サンディ・コーファックス、サイ・ヤング、ボブ・フェラー、ラリー・コーコラン、ジャスティン・バーランダーの6人。コーファックス、ヤングは完全試合を含む。
- サンディ・コーファックスは、4年連続達成の記録を持つ。
- ノーラン・ライアンは3年連続で達成している。そのうち最初の年度の1973年は2回達成。また1973年~1975年の3年連続、1990年~1991年の2年連続と2年以上連続を2回記録した。
- ジョニー・ヴァンダー・ミーアは、1938年6月11日と6月15日、先発2試合連続の無安打無得点を達成した(ダブルノーヒッター)。MLBでは唯一の例である。
- 年間個人最多達成回数は2回でジョニー・ヴァンダー・ミーア、アリー・レイノルズ(英語版)、バージャル・トラクス(英語版)、ノーラン・ライアン、ロイ・ハラデー、マックス・シャーザーが達成。ハラデーは完全試合を含む。
- MLB全体での年間最多達成回数は近代野球前が1884年の8回(ノーヒッター2回、ノーヒットノーラン6回)、近代野球では2021年の9回。
- 継投による達成は2015年8月14日現在で37投手により11回記録されている。そのうちヴァイダ・ブルー、マイク・ウィット、ケント・マッカー、コール・ハメルズの4人が単独でのノーヒットノーランも記録。ウィットは完全試合。
- 初登板(MLBデビュー戦)での達成
- 1892年10月15日 バンプス・ジョーンズ(英語版) シンシナティ・レッズ 対 ピッツバーグ・パイレーツ(ナリーグ)スコア7-1 近代野球前の記録。1失点でのノーヒッター。
初先発での達成はテッド・ブリーテンスタイン、バンプス・ジョーンズ、ボボ・ホロマン、タイラー・ギルバートの順番で4人が達成しバンプス・ジョーンズのみがMLBデビュー戦での達成となっている。
- 両リーグでの達成
- ナリーグ、アリーグでそれぞれで達成した投手はサイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアン、野茂英雄、ランディ・ジョンソンの5人。野茂は1996年(ドジャーズ)と2001年(レッドソックス)に記録している。サイ・ヤング、ジム・バニング、ランディ・ジョンソンは完全試合を含む。
- 完全試合から継投によるノーヒッター達成に変わった例
- 1917年6月23日のボストン・レッドソックス対ワシントン・セネターズにおいて、レッドソックス先発のベーブ・ルースが先頭打者に四球を与えた後に審判に対する抗議で退場となり、代わってマウンドに上がったアーニー・ショア(英語版)が9回終了まで無安打無得点に抑え達成した。なお、1991年に記録見直しが行われるまで、この試合はショアによる完全試合という扱いであった。
- 6投手の継投による達成
- 2003年6月11日のインターリーグの試合で、ヒューストン・アストロズはロイ・オズワルト、ピーター・マンロー(英語版)、カーク・サールース、ブラッド・リッジ、オクタビオ・ドーテル、ビリー・ワグナーの6投手を継投してニューヨーク・ヤンキースを無安打無得点に抑えた。
- 2012年6月9日のインターリーグの試合では、シアトル・マリナーズはケビン・ミルウッド、チャーリー・ファーブッシュ、スティーブン・プライヤー、ルーカス・リットキー、ブランドン・リーグ、トム・ウィルヘルムセンの6投手を継投してロサンゼルス・ドジャースを無安打無得点に抑えた。
- 9回まで両チーム無安打無得点試合
- 1917年5月2日のシンシナティ・レッズ対シカゴ・カブス戦で、レッズ先発のフレッド・トニー(英語版)とカブス先発のヒッポ・ボーンが9回まで互いに無安打無得点。10回にボーンが2安打1失点で敗戦投手となり、トニーが延長10回を無安打無得点で抑えた[4]。
- 無安打試合を達成しながら敗北
-
- マイナーリーグ、9回まで27奪三振で達成
- 1952年5月13日: ロン・ネッチアイ、マイナーリーグD級のブリストル・ツインズ対ウェルチ・マイナーズの試合で記録。振り逃げを含んでの達成。
- この他、1990年7月1日、ニューヨーク・ヤンキースのアンディ・ホーキンス(英語版)がシカゴ・ホワイトソックス戦で8回無安打に抑えながら、0対4で敗戦した試合がある。ホームのホワイトソックスが勝利し9回裏がない試合だったため、公式の無安打試合となっていない。この試合のホワイトソックスの4得点は、無安打チームが挙げた得点としてはMLB最多である。
日本野球
プロ野球
日本プロ野球では、レギュラーシーズンにおいて(完全試合16人を含む)90人が、合計102回達成。この他、ポストシーズンにおいて1人が1回達成している。
チーム別無安打無得点達成試合数は読売ジャイアンツが17試合で最多、被達成試合数は中日ドラゴンズが14試合で最多となっている。上記のように楽天のみ達成記録がない。被達成については楽天も含め現存チームすべてが記録している。
2024年時点で、1シーズンに達成した投手の最高人数は5人で、1940年と2022年に記録されている[5]。
継投による無安打無得点が記録された試合は日本シリーズでの完全試合1試合を含む以下の6試合である。ただし継投による無安打無得点はチームとしての記録として参考記録となり、個人記録にはならない。
- ポストシーズン
- オールスターゲーム
投手に投球回数の制限がある(1人3イニング2/3を超えてはならない)ため必ず継投になるオールスターゲームでも、1回記録されている。
参考
9回二死までを無安打無失点に抑えながら初安打を許した例
達成日
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投手
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所属
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スコア
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対戦相手
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球場
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備考
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1940年3月30日
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菊矢吉男
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ライオン
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2-0
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巨人
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後楽園
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水原茂が初安打。しかし、この後一挙三塁を望むものの返球に刺されてゲームセット。
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1940年6月16日
|
近藤久
|
ライオン
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1-0
|
南海
|
西宮
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国久松一が初安打。
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1948年7月18日
|
梶岡忠義
|
大阪
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6-1
|
阪急
|
西宮
|
宮崎剛が初安打。
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1950年3月16日
|
田宮謙次郎
|
大阪
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7-0
|
国鉄
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神宮
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中村栄が内野安打。 9回二死まで完全試合。 田宮は中村を打ち取っていたが、三塁手の藤村富美男の判断ミスにより中村が出塁し、審判が藤村のために安打と判定したものだった。また、田宮にとっては最後の勝利投手で、この後打者に転向。
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1950年7月20日
|
阿部八郎
|
阪急
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5-0
|
近鉄
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日生
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伊藤利夫が初安打。
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1952年6月15日
|
別所毅彦
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巨人
|
9-0
|
松竹
|
大阪
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神崎安隆が内野安打。 9回二死まで完全試合。 なお、神崎はこれがプロ唯一の安打。
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1957年6月24日
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田沢芳夫
|
南海
|
13-0
|
近鉄
|
大阪
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滝田政治が初安打。 なおバッテリーを組んだのは野村克也。野村は現役時代、一度もノーヒット試合の捕手を務めなかったので、これが最長ノーヒットとなる。
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1959年6月12日
|
梶本隆夫
|
阪急
|
7-0
|
近鉄
|
西宮
|
関森正治が初安打
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1962年7月12日
|
村田元一
|
国鉄
|
1-0
|
阪神
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後楽園
|
西山和良が内野安打。 9回二死まで完全試合。 こちらも村田が西山の打球を一塁手の星山晋徳がエラーしたところに、審判が星山のために安打と判定したものだった。
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1963年5月26日
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バッキー
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阪神
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0-1
|
大洋
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甲子園
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浜中祥和に初安打。 この後の9回裏で阪神は大洋に抑えられ、バッキーは初の「ノーヒットを逃して敗戦投手」となる。 この日の「大洋×阪神」はダブルヘッダー、第1試合は小山正明が1回二死後に近藤和彦に本塁打を打たれただけの1安打勝利、そして大洋は「ダブルヘッダーで16イニング無安打だが片方の試合は勝利」という珍記録。
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1963年6月16日
|
徳久利明
|
近鉄
|
7-0
|
阪急
|
日生
|
岡本健一郎が二塁打。
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1965年7月15日
|
小山正明
|
東京
|
1-0
|
阪急
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後楽園
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ウィンディが初安打。 阪神時代の1956年6月6日の大洋戦(甲子園)、初回先頭打者の沖山光利に被安打されたが、その後はパーフェクトピッチングしたことがあり、史上唯一の「最初と最後に打たれてノーヒットを逃した」となる。
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1966年7月31日
|
安仁屋宗八
|
広島
|
2-0
|
巨人
|
広島市民
|
黒江透修が初安打。
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1966年9月26日
|
佐藤公博
|
中日
|
1-3
|
巨人
|
後楽園
|
柴田勲が初安打。 この後王貞治を敬遠し、森昌彦と勝負するが、森に逆転サヨナラ3点本塁打を打たれて敗戦投手(バッキーに次ぐ2度目だが、サヨナラゲームは唯一)。
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1973年7月1日
|
上田二朗
|
阪神
|
4-0
|
巨人
|
甲子園
|
長嶋茂雄が初安打。
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1979年6月9日
|
三沢淳
|
中日
|
1-0
|
巨人
|
ナゴヤ
|
柳田真宏が初安打。 厳密には、柳田初安打の9回表時点で0-0であり、延長戦の可能性もあった(実際は9回裏・田尾安志のサヨナラ安打で中日勝利)。
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1983年8月20日
|
仁科時成
|
ロッテ
|
1-0
|
近鉄
|
川崎
|
仲根政裕が初安打。
|
1984年5月29日
|
仁科時成
|
ロッテ
|
4-0
|
近鉄
|
日生
|
平野光泰が初安打。 2度目の達成未遂は史上初。
|
1996年5月18日
|
チェコ
|
広島
|
2-0
|
阪神
|
甲子園
|
久慈照嘉が初安打。
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2002年8月26日
|
西口文也
|
西武
|
6-0
|
ロッテ
|
西武ドーム
|
小坂誠が初安打。
|
2004年10月14日
|
吉見祐治
|
横浜
|
4-0
|
広島
|
広島市民
|
福地寿樹が初安打。 なお福地はシーズン唯一の安打。
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2005年5月13日
|
西口文也
|
西武
|
6-1
|
巨人
|
西武ドーム
|
清水隆行が本塁打。 2度目の達成未遂は史上2人目。 「交流戦での達成未遂」と「本塁打で阻まれる」は史上初。 巨人はこれで6回目と歴代最多。
|
2009年7月10日
|
多田野数人
|
日本ハム
|
4-0
|
ロッテ
|
札幌ドーム
|
大松尚逸が初安打。
|
2013年6月26日
|
古谷拓哉
|
ロッテ
|
4-0
|
オリックス
|
京セラドーム
|
坂口智隆が三塁打。
|
2022年7月20日
|
椋木蓮
|
オリックス
|
2-0
|
日本ハム
|
京セラドーム
|
佐藤龍世が初安打。
|
参考
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1940年7月9日
|
福士勇
|
ライオン
|
1-1
|
名古屋金鯱
|
後楽園
|
詳細は後述。
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1962年4月8日
|
板東英二
|
中日
|
0-1
|
広島
|
中日
|
森永勝也が初安打。 ただし4回に無安打で1失点。もし抑えたら1939年5月6日の南海(阪急戦。後述)以来の「相手を無安打に抑えながら負け」になっていた[8]。
|
- 9回を無安打無失点に抑えながら延長で初安打を許した例
- 無安打に抑えながら四球・失策・盗塁・犠打・進塁打で得点を許した例(ノーヒットアリラン)
達成日
|
投手
|
所属
|
スコア
|
対戦相手
|
球場
|
備考
|
1939年5月6日
|
宮口美吉 平野正太郎
|
南海
|
1-2
|
阪急
|
甲子園
|
日本プロ野球公式戦唯一の被安打0敗戦。
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1939年8月3日
|
亀田忠
|
イーグルス
|
2-1
|
名古屋金鯱
|
西宮
|
この試合を含め3度ノーヒッターを記録。
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1959年5月21日
|
村山実
|
阪神
|
3-2
|
巨人
|
甲子園
|
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1964年5月13日
|
牧野伸 山本重政
|
近鉄
|
3-1
|
南海
|
日生
|
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- 9回以上を無安打無失点に抑えたまま9回終了以降に降板した例
達成日
|
投手
|
所属
|
スコア
|
対戦相手
|
球場
|
投球回
|
備考
|
2006年4月15日
|
八木智哉
|
日本ハム
|
1-0
|
ソフトバンク
|
ヤフードーム
|
10
|
継投による無安打無得点。
|
2014年5月31日
|
金子千尋
|
オリックス
|
0-1
|
巨人
|
京セラドーム
|
9
|
9回裏代打で降板、継投による無安打無得点は11回一死まで継続。
|
2023年8月13日
|
柳裕也
|
中日
|
2-1
|
広島
|
バンテリンドーム
|
9
|
9回裏終了後に降板、継投による無安打無得点は10回二死まで継続。
|
- 無安打無失点のままスコアレスドローになった例
二軍
[9]二軍のイースタン・リーグ、ウエスタン・リーグでも1962年に巨人の山崎正之が完全試合で達成して以来、完投・継投を含め複数回達成されているが、このうち1試合だけ「両チーム無安打試合」が記録されている。これは日本プロ野球では唯一のケースである(2021年シーズン終了時点)。
達成日
|
投手
|
所属
|
スコア
|
対戦相手
|
球場
|
備考
|
1994年4月26日
|
山部太
|
ヤクルト
|
1-0
|
西武
|
大宮市営
|
西武先発竹下潤も無安打で完投 (失点1は、失策による走者を犠打で生還させたもの)。
|
- ノーヒットノーラン初達成者(イースタン・リーグ初達成者)
- ウエスタン・リーグ初達成者
- 複数回達成者
前述の竹下潤も1993年9月14日ヤクルト戦で無安打無得点を達成しており、無安打試合は二度記録している。
一軍で無安打無得点達成経験がある選手では、1970年に一軍で達成している渡辺秀武が1968年に二軍で達成しており、唯一の記録となっている。
独立リーグ
四国アイランドリーグplus
四国アイランドリーグplusでは、これまで4人が達成している(うち1人は、リーグの公式戦として扱われるNPB三軍との交流戦)。
2017年8月29日の香川対巨人三軍の定期交流戦(丸亀市民球場、リーグ公式戦の一環)では香川が4人の投手の継投で[10]、2020年8月15日の香川対徳島戦(レクザムスタジアム、7イニング制)では香川が3人の投手の継投で[11]、2022年5月31日の徳島対ソフトバンク三軍の定期交流戦(むつみスタジアム)では徳島が6人の投手の継投で[12]、それぞれ無安打無失点を達成している。
リーグ所属選手によるものではないが、2019年4月16日の高知対ソフトバンク三軍の定期交流戦(高知市野球場)では、ソフトバンクの渡辺健史がリーグ史上初の完全試合を達成した[13]。
ベースボール・チャレンジ・リーグ
ベースボール・チャレンジ・リーグでは、これまで7人が達成している。
2018年4月13日の富山GRNサンダーバーズ対滋賀ユナイテッドベースボールクラブ戦(高岡西部総合公園野球場)では、富山の投手4人による継投でのノーヒットノーランが記録された[14]。
また、参考記録として以下の記録がある。
関西独立リーグ (2代目)
関西独立リーグ (2代目)では、これまで1人が達成している。
2022年9月6日の06BULLS対堺シュライクス戦(花園中央公園野球場)では、堺の投手4人の継投でのノーヒットノーランが記録された[16]。
九州アジアリーグ
九州アジアリーグではこれまで1人が達成している[17][18]。
また、5回終了(7回制試合の得点差コールド)での参考記録として以下がある[19][20]。
達成日
|
投手
|
所属
|
スコア
|
対戦相手
|
球場
|
備考
|
2024年4月27日
|
西垣彰太
|
北九州下関
|
12-0
|
宮崎
|
筑豊緑地
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7イニング制ダブルヘッダー第1試合、得点差コールドにより5回終了の参考記録
|
なお、2024年6月9日には、火の国サラマンダーズの松江優作が、準加盟球団の佐賀インドネシアドリームズとの公式戦で完全試合を達成している[21]。
社会人野球
都市対抗野球
都市対抗野球大会では、これまでに完全試合2人を含む5人が達成している。
また、1971年の第42回大会で、大阪市・電電近畿が大阪市・日本生命戦で、無安打勝利をしている。スコアは1-0だった。
日本選手権
社会人野球日本選手権大会では、これまでに完全試合1人を含む4人が達成している。
大学野球
全日本大学野球選手権大会
全日本大学野球選手権大会ではこれまでに完全試合4人を含む8人が達成している。
明治神宮野球大会
東京六大学野球
東京六大学野球では完全試合3人を含む23人で計24回達成している。
シーズン
|
投手
|
大学
|
スコア
|
相手校
|
備考
|
1925年秋
|
湯浅禎夫
|
明治大学
|
9-0
|
立教大学
|
|
1925年秋
|
湯浅禎夫
|
明治大学
|
1-0
|
東京帝国大学
|
|
1926年春
|
安田義信
|
明治大学
|
7-0
|
法政大学
|
|
1927年春
|
東武雄
|
東京帝国大学
|
1-0
|
立教大学
|
|
1928年秋
|
中村峰雄
|
明治大学
|
2-0
|
法政大学
|
|
1929年秋
|
鬼塚格三郎
|
明治大学
|
7-0
|
法政大学
|
|
1941年春
|
高塚誠治
|
慶應義塾大学
|
5-0
|
東京帝国大学
|
|
1942年春
|
藤本英雄
|
明治大学
|
3-0
|
立教大学
|
|
1948年秋
|
平古場昭二
|
慶應義塾大学
|
6-0
|
東京大学
|
|
1949年春
|
加藤雄司
|
慶應義塾大学
|
6-0
|
法政大学
|
|
1954年春
|
藤田元司
|
慶應義塾大学
|
7-0
|
東京大学
|
|
1955年春
|
東実
|
立教大学
|
6-0
|
東京大学
|
|
1957年秋
|
杉浦忠
|
立教大学
|
8-0
|
早稲田大学
|
|
1964年春
|
渡辺泰輔
|
慶應義塾大学
|
1-0
|
立教大学
|
完全試合
|
1966年秋
|
星野仙一
|
明治大学
|
5-0
|
立教大学
|
|
1970年春
|
横山忠夫
|
立教大学
|
10-0
|
東京大学
|
|
1989年秋
|
若松幸司
|
慶應義塾大学
|
14-0
|
東京大学
|
|
1998年秋
|
福山龍太郎
|
法政大学
|
7-0
|
立教大学
|
|
1999年秋
|
木塚敦志
|
明治大学
|
11-0
|
東京大学
|
|
2000年秋
|
上重聡
|
立教大学
|
7-0
|
東京大学
|
完全試合
|
2004年春
|
日野泰彰
|
立教大学
|
7-0
|
早稲田大学
|
|
2010年春
|
竹内大助
|
慶應義塾大学
|
7-0
|
東京大学
|
|
2013年春
|
高梨雄平
|
早稲田大学
|
3-0
|
東京大学
|
完全試合
|
2013年秋
|
加嶋宏毅
|
慶應義塾大学
|
5-0
|
東京大学
|
|
2016年秋
|
加藤拓也
|
慶應義塾大学
|
8-0
|
東京大学
|
|
また継投による無安打無得点も2回達成されている。ただしこれは参考記録扱いで、達成人数には含めない。
シーズン
|
投手
|
大学
|
スコア
|
相手校
|
1951年春
|
井上安男 畑間正夫
|
明治大学
|
8-0
|
東京大学
|
1970年春
|
工藤真 長谷部優
|
慶應義塾大学
|
3-0
|
東京大学
|
※1942年までの大学は全て旧制。
東都大学野球
東都大学野球1部では、完全試合2人を含む10人で計11回達成している。また、2部において完全試合を2人が2回、3部において完全試合を2人が2回、1部と2部の入れ替え戦において2人が2回、2部と3部の入れ替え戦において1人が1回達成している。
シーズン
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投手
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大学
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リーグ
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相手校
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備考
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1941年春
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一言多十
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専修大学
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1部
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國學院大學
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1941年秋
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石原秀夫
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中央大学
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1部
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東京農業大学
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1953年秋
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河内忠吾
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日本大学
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1部
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駒澤大学
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完全試合
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1954年春
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島津四郎
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日本大学
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1部
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東京農業大学
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1954年不明
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伊藤芳明
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中央大学
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1部
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東京農業大学
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1955年春
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島津四郎
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日本大学
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1部
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駒澤大学
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完全試合
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1955年秋
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林茂
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青山学院大学
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3部
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不明
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完全試合
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1957年秋
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高林康治
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日本大学
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1部
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駒澤大学
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1958年春
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若生照元
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中央大学
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1部
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東京農業大学
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1961年春
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大石泰章
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亜細亜大学
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3部
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不明
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完全試合
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1965年秋
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渡辺一雄
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東京農業大学
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2部
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不明
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完全試合
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1979年春
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香坂英典
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中央大学
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1部
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東洋大学
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1990年春
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和田孝志
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東洋大学
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1部
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亜細亜大学
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1994年春
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綱島好太
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大正大学
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2部3部入れ替え戦
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拓殖大学
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1996年春
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倉則彦
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東洋大学
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1部2部入れ替え戦
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国士舘大学
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2002年秋
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梅津智弘
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國學院大學
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2部
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拓殖大学
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完全試合
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2004年秋
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山木正博
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亜細亜大学
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1部
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東洋大学
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2008年春
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渡辺洋平
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中央大学
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1部2部入れ替え戦
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駒澤大学
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また継投による無安打無得点も1部で2回達成されている(ただしこれは参考記録扱いで、達成人数には含めない)。
※1942年までの大学は全て旧制。
高校野球
選抜高等学校野球大会
選抜高等学校野球大会(センバツ・春の甲子園)では完全試合2人を含む12人が達成している。
また継投による無安打無得点も1回達成されている(ただしこれは参考記録扱いで、達成人数には含めない)。
参考
- 9回を無安打無失点に抑えながら延長で初安打を許した例
※1938年までの学校は全て旧制。
全国高等学校野球選手権大会
全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)では22人が計23回達成している。完全試合は達成されていない。
また継投による無安打無得点も1回達成されている。ただしこれは参考記録扱いで、達成人数には含めない。
開催年
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大会
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投手
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学校
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試合
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スコア
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相手校
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1933年
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第19回
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楠本保 中田武雄
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明石中(兵庫)
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2回戦
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10-0
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水戸商(茨城)
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参考
- 9回を無安打無失点に抑えながら延長で初安打を許した例
開催年
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大会
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投手
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学校
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試合
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スコア
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相手校
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備考
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1954年
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第36回
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田村義道
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北海
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準々決勝
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0-1
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新宮
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12回一死に初安打される
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1984年
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第66回
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安部伸一
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境
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1回戦
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0-1
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法政一
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10回二死に初安打される
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※1939年までの学校は全て旧制中学。
明治神宮大会
明治神宮野球大会(秋季高校野球)では、これまで1人が達成している。
開催年
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大会
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投手
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学校
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試合
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スコア
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相手校
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備考
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1974年
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第5回
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金子隆
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日大山形(山形)
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準決勝
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12-0
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崇徳(広島)
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韓国野球
韓国野球委員会
KBOリーグでは2017年現在、14人が達成している。
台湾野球
中華職業棒球大聯盟
中華職業棒球大聯盟では2024年現在、11人が達成している。
国際試合
脚注
注釈
- ^ 例: ノーヒットながら押し出しによる得点を与えた場合、無安打1得点=ノーヒット1ランもあり得るため「ノーヒッター」としているが、日本では過去に4例しかないため「ノーヒッター」という言い方はしない。
- ^ 0-0でのノーヒットノーランは、1937年4月8日の藤村富美男、1975年6月21日の江夏豊が、ともに5回降雨コールドで達成している。
- ^ 新型コロナウイルス感染症拡大防止措置で、規定により同点の場合でも9回終了時で試合終了となる。
- ^ 日本では先発投手1人による記録のみが完全試合と定義されているため、記録上は完全試合とされていない。
- ^ ワールド・ベースボール・クラシックに準じたルールがあり、投手には投球数制限があるため、事実上1名での完封は不可能。
出典
関連項目
外部リンク