パナソニック野球部(パナソニックやきゅうぶ)は、大阪府門真市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである(練習グラウンドはパナソニックベースボールスタジアムで、合宿所とともに大阪府枚方市に所在する)。
運営母体は、電機メーカーのパナソニックを中核とするパナソニックグループ。社会人野球の激戦区である大阪地区で強豪と数々の名勝負を繰り広げ、今も近畿地区をリードする存在で、数多くの日本代表選手やプロ野球選手を輩出してきた名門である。
概要
1950年に、松下電器産業の本社がある大阪府北河内郡門真町を本拠地に『松下電器野球部』として創部。
1953年の都市対抗野球で初出場し、1960年の都市対抗野球で準優勝を果たした。
1963年8月1日、門真町の市制施行に伴い本拠地が大阪府門真市に変更された。
1974年の日本選手権の第1回大会で初出場すると、1979年と1999年には準優勝となり、2000年の日本選手権では悲願の初優勝を果たした[1]。
2005年、都市対抗野球の阪和地区2次予選においてクラブチームのNOMOベースボールクラブに敗れて都市対抗野球本戦への連続出場が6年で止まるという屈辱を味わった。その後、雪辱を期すべく猛練習を重ね、秋の日本選手権では決勝戦で同じ関西勢のNTT西日本を延長の末破り、2回目の優勝を果たした。
2008年10月1日、松下電器産業がパナソニックに社名変更したのに伴い、チーム名を『パナソニック野球部』に改称した[2]。
2010年、都市対抗野球の近畿地区最終予選でクラブチームの大和高田クラブに敗れ本戦連続出場が4年で止まってしまう。2011年は、都市対抗野球本戦出場は果たしたが近畿地区最終予選で最後の1枠を辛くも確保する形であり精彩を欠いていたが、2012年は都市対抗野球に近畿地区第1代表として本戦に出場した。
2016年、都市対抗野球に近畿地区第4代表として出場する。これにより前身の松下電器時代から数えて都市対抗の本選出場回数が通算50回を達成した。この記録は、日本生命(大阪市)以来史上2チーム目となる。
2022年4月1日付けをもって、パナソニックのスポーツクラブ事業の運営を手掛ける新会社「パナソニックスポーツ株式会社」が設立され、パナソニック野球部は(日本野球連盟には引き続き企業チーム登録の扱いのままで)、パナソニックスポーツが委託運営母体となった[3]。
設立・沿革
主要大会の出場歴・最高成績
主な出身プロ野球選手
元プロ野球選手の競技者登録
- 仁木安(元:阪急ブレーブス) - 外野手兼任コーチ→監督(1955年 - 1961年、1971年 - 1974年)→退団
- 丸尾英司(元:大阪近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブ) - 投手(2001年 - 2003年)→投手兼任コーチ(2004年)→コーチ(2005年 - 2006年)→ヘッドコーチ→採用アドバイザー
- 栗山聡(元:オリックス・ブルーウェーブ、中日ドラゴンズ) - 投手(2005年 - 2006年)→退団
- 梶原康司(元:阪神タイガース) - 内野手(2005年 - 2014年)→監督(2016年 - 2018年4月)
- 相木崇(元:阪神タイガース、オリックス・バファローズ) - 投手(2008年 - 2011年)→退団
- 田中充(元:横浜ベイスターズ) - 外野手(2008年 - 2009年)→退団→コーチ→退団
- 森田丈武(元:東北楽天ゴールデンイーグルス) - 内野手(2012年)→退団
- 橋本良平(元:阪神タイガース) - 内野手(2014年)→退団
- 阪口哲也(元:阪神タイガース) - 内野手(2015年 - 2017年)→コーチ(2018年 - 2022年)→退団
- 金森敬之(元:日本ハム、ロッテ) - 投手(2018年)→コーチ(2019年 - 2022年)→監督(2023年 - 2024年)→退団
- 鳥谷敬(元:阪神、ロッテ) - コーチ(2022年 - )
かつて在籍した選手・コーチ・監督
脚注
関連項目
外部リンク
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