1979年の野球(1979ねんのやきゅう)では、1979年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セリーグ
パリーグ
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
1979年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月13日(土) |
第1戦 |
阪急ブレーブス |
1 - 5 |
近鉄バファローズ |
大阪球場
|
10月14日(日) |
第2戦 |
阪急ブレーブス |
4 - 7 |
近鉄バファローズ
|
10月15日(月) |
移動日
|
10月16日(火) |
第3戦 |
近鉄バファローズ |
2 - 1 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
|
年間優勝:近鉄バファローズ
|
日本シリーズ
1979年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月27日(土) |
第1戦 |
広島東洋カープ |
2 - 5 |
近鉄バファローズ |
大阪球場
|
10月28日(日) |
第2戦 |
広島東洋カープ |
0 - 4 |
近鉄バファローズ
|
10月29日(月) |
移動日
|
10月30日(火) |
第3戦 |
近鉄バファローズ |
2 - 3 |
広島東洋カープ |
広島市民球場
|
10月31日(水) |
第4戦 |
近鉄バファローズ |
3 - 5 |
広島東洋カープ
|
11月1日(木) |
第5戦 |
近鉄バファローズ |
0 - 1 |
広島東洋カープ
|
11月2日(金) |
移動日
|
11月3日(土) |
第6戦 |
広島東洋カープ |
2 - 6 |
近鉄バファローズ |
大阪球場
|
11月4日(日) |
第7戦 |
広島東洋カープ |
4 - 3 |
近鉄バファローズ
|
優勝:広島東洋カープ(初優勝)
|
個人タイトル
ベストナイン
ダイヤモンドグラブ賞
オールスターゲーム
高校野球
- 箕島が史上3校目の春夏連覇
大学野球
社会人野球
メジャーリーグ
できごと
1月
2月
- 2月2日 - 野球体育博物館の特別表彰委員会が正午から東京・九段下のホテルグランドパレスにて開かれ、平沼亮三と谷口五郎の野球殿堂入りを決定[6]。
- 2月8日
- プロ野球実行委員会が午後1時45分より東京・芝の東京グランドホテルにて開かれ、江川問題に関し(1)1月31日に提示された「江川 - 小林トレード」を撤回(2)小林の阪神へのトレードは認める(3)江川は阪神と契約して支配下選手とし、4月7日の開幕までトレードを認めない、と決定[7]。
- コミッショナーの金子鋭は、江川事件で混乱した責任をとって辞任すると実行委員会にて表明し、了承される[7]。
- 2月9日 - 阪神の球団代表の岡崎義人と巨人の球団代表の長谷川実雄が東京・大手町の巨人の球団事務所にて8日のプロ野球実行委員会で承認された巨人の小林繁のトレードについて無償トレードとすることで合意[8]。
- 2月10日 - 阪神は正午から大阪市北区のホテル阪神にて小林繁の入団を正式に発表[9]。
- 2月11日 - 小林繁が阪神の安芸キャンプに合流[10]。
- 2月16日 - 南海ホークスの門田博光が春季キャンプ地の高知の大方キャンプにて午前10時45分頃ジャンプして着地した際右足を大怪我し、中村市内の病院にて診察を受けアキレス腱断裂の診断[11][12]。
3月
4月
- 4月7日
- 4月9日
- 巨人はテスト生として採用していた石井茂雄の現役選手登録をセ・リーグに申請し、この日公示される[18]。
- 巨人が後楽園球場での対中日3回戦に8-2と勝利し、球団通算3000勝を達成[19]。
- 4月10日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対西武1回戦の2回裏に二盗を成功させ、プロ通算700盗塁を達成[20]。
- 4月14日
- 西武の本拠地、西武ライオンズ球場が開場。福田赳夫元首相が始球式を行う。西武対日本ハム1回戦が行われ、日本ハムが7-1と勝利[21]。
- 横浜スタジアムでの大洋対巨人2回戦の7回表に、横浜市中区曙町の中華料理店で起きた火事の煙が球場に流れ込み、試合が約8分間中断[22]。
- 4月16日 - 南海の佐々木宏一郎が大阪スタヂアムでの対近鉄3回戦の7回途中から登板し、プロ通算600試合登板を達成[23]。
- 4月17日 - 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対日本ハム1回戦の5回表に柏原純一から三振を奪ってプロ通算2500奪三振を達成、またこの日柏原、加藤俊夫に本塁打を打たれて通算被本塁打が381となり、金田正一の持つ最多被本塁打記録380を更新[24]。
- 4月21日 - 阪神の掛布雅之が阪神甲子園球場で対大洋1回戦の7回裏に4号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[25]。
- 4月24日
- 西武は西武球場での対南海1回戦に4-2で勝ち、開幕からの連敗を12で止める[26]。
- ヤクルトは富山での対大洋2回戦に12-1で勝ち、開幕からの連敗を8で止める[26]。
- 4月29日 - 西武の土井正博が後楽園球場での対日本ハム6回戦の9回表に6号3点本塁打を放ってホームインしプロ通算1000得点を達成[27]。
5月
- 5月1日 - 巨人対阪神4回戦が後楽園球場にて行われ、巨人が阪神に8対7と勝利し対阪神戦通算500勝を達成[28]。
- 5月6日 - 近鉄のチャーリー・マニエルが藤井寺球場での対阪急5回戦の1回裏に8号本塁打を放ち、プロ野球通算100号を達成[29]。
- 5月9日 - 大洋の基満男が横浜スタジアムでの対阪神4回戦の第一打席から第四打席まで二塁打を打ち、1試合4二塁打のプロ野球タイ記録[30]。
- 5月11日 - 広島の江夏豊が広島球場での対巨人5回表に王貞治から三振を奪い、プロ通算2500奪三振を達成[31]。
- 5月16日 - 大洋の平松政次が対巨人7回戦(石川) に先発登板し、プロ通算500試合登板を達成[32]。
- 5月20日 - 阪神の真弓明信がナゴヤ球場での対中日6回戦で、1回表第一打席で3号本塁打、3回表に安打、7回表に二塁打、9回表に三塁打を放ち、サイクルヒットを達成[33]。
- 5月23日 - 巨人の柴田勲が甲子園球場での対阪神8回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成[34]。
- 5月25日 - 巨人の張本勲が横浜スタジアムでの対大洋8回戦の8回表に二塁打を放ち、プロ通算400二塁打を達成[35]。
- 5月26日 - 巨人の堀内恒夫が横浜スタジアムでの対大洋9回戦に先発しプロ通算500試合登板を達成[36]。
- 5月27日
- 西武の野村克也が新潟での対南海6回戦の4回表に2号本塁打を放ち、プロ通算650号本塁打を達成[37]。
- ヤクルトのジョン・スコットが甲子園球場での対阪神ダブルヘッダー第一試合9回戦で2本塁打、第二試合の10回戦にも2本塁打を放ち1日で4本塁打[38]。
- 5月29日 - 阪神の若菜嘉晴が仙台での対大洋6回戦で5連続三振のプロ野球新記録[39]。
- 5月31日
- 巨人の王貞治が後楽園球場での対中日7回戦の8回裏に二塁打を放ち、プロ通算400二塁打を達成[40]。
- 阪急の加藤英司が西宮球場での対日本ハム8回戦の6回裏に15号3点本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成[41]。
6月
7月
8月
- 8月1日 - 巨人の西本聖が広島市民球場での対広島17回戦の7回裏に、三村敏之、萩原康弘、衣笠祥雄へ死球を与え1イニング3死球セ・リーグ新記録。3人目に死球を受けた広島の衣笠祥雄は左肩亀裂骨折で全治2週間の重傷[61]。
- 8月2日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのサーマン・マンソンが、自家用セスナ機を操縦中に木に衝突して墜落事故死。
- 8月8日 - 広島の高橋慶彦が広島市民球場での対阪神14回戦に負傷して途中退場した7月31日以来6試合ぶりに出場。4打数0安打で連続試合安打の記録は33で止まる[62]。
- 8月12日
- 8月16日 - 第六十一回全国高校野球選手権大会の第9日目の第4試合の3回戦の箕島高校対星稜高校戦が午後4時6分から阪神甲子園球場で行われ、69年の第五十一回大会の決勝戦以来となる延長18回となり、箕島が延長18回裏4-3でサヨナラ勝ち[65][66]。
- 8月17日
- ヤクルトは球団社長の佐藤邦雄が後楽園球場にて午後5時15分より記者会見し、森昌彦、植村義信の2コーチの休養を発表し、また監督の広岡達朗について「広岡監督は、チームの指揮が取れないといっていたので、佐藤孝夫コーチを監督代行にする」と発表。これに対し、広岡は神宮球場でのクラブハウスで午後9時半に記者会見して声明文を発表し、退団を発表[67]。
- 横浜スタジアムでの大洋対広島18回戦で広島が大洋に4-3で勝利し、ナゴヤ球場での中日対阪神17回戦で中日が阪神に2-3で敗れ、広島が1975年以来の単独首位に立つ[68]。
- 8月21日
- 8月22日 - 西宮球場での阪急対南海後期7回戦で、阪急が一回裏に二死から島谷金二以降連続10人が得点を挙げる10者連続得点のパ・リーグ新記録[71]。
- 8月23日 - ロッテの有藤通世が後楽園球場での対日本ハム後期8回戦の六回表に21号本塁打を放ち、プロ通算250号本塁打を達成[72]。
- 8月31日 - ヤクルトの船田和英が神宮球場での対巨人19回戦の五回裏に11号三点本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成。
9月
10月
- 10月4日 - ロッテの白仁天が西京極球場での対阪急後期10回戦の一回表に17号満塁本塁打、三回表に18号2点本塁打を打ち、プロ通算200号本塁打を達成。史上32人目[85]。
- 10月5日 - 阪急が西京極球場での対南海13回戦に9回で6-6で引き分け、パ・リーグ後期優勝を決める[86]。
- 10月6日 - 広島対阪神24回戦が広島市民球場で行われ、広島が阪神に4対3で勝利し、1975年以来4年ぶり球団史上2度目のセ・リーグ優勝が決まる[87]。
- 10月10日 - 西武の山崎裕之が西武球場での対日本ハムダブルヘッダー第1試合、後期12回戦の九回裏に中前安打を打ち、プロ通算1500本安打を達成。史上36人目[88]。
- 10月13日
- 西武は本拠地の西武球場での対ロッテ後期13回戦を終え、全日程を終了。この試合で観客21500人で年間観客動員は136万5000人となり、パ・リーグでは1962年の東映フライヤーズ136万6500人に次ぐ記録となった[89]。
- 大洋の別当薫監督が横浜スタジアムでの対中日26回戦の試合後に、「今季限りで退団する」と表明[90]。
- 10月14日 - 阪神のリロイ・スタントンが神宮球場での対ヤクルト26回戦の七回表に今季134個目の三振に倒れ、1969年阪神のウィリー・カークランドの133個を上回るセ・リーグシーズン最多三振を記録[91]。
- 10月16日 - パ・リーグプレーオフ第3戦が西宮球場で行われ、前期優勝の近鉄が後期優勝の阪急に延長10回の末2対1で勝利し、3勝0敗で球団創立29年目で初のパ・リーグ制覇[92]。
- 10月20日 - 川崎球場でのロッテ対近鉄後期13回戦は近鉄が5-0で勝利し、これでパ・リーグの全日程が終了[93]。
- 10月21日 - 巨人は後楽園球場での対大洋26回戦で今季の全日程を終了後、後楽園球場サロンにて記者会見し、来年のコーチ陣を発表。球団OBで野球評論家の青田昇がヘッドコーチに就任[94]。
- 10月24日 - 沢村栄治賞の選考が東京運動記者クラブによって東京・数寄屋橋のニュートーキョーで正午から開かれ、阪神の小林繁を選出[95]。
- 10月25日
- 神宮球場でのヤクルト対大洋26回戦はヤクルトが4-2で勝利し、これでセ・リーグの全日程が終了[96]。
- 大洋は神宮球場での対ヤクルト26回戦の試合後に、土井淳ヘッドコーチが新監督に就任したと発表[97]。
- ヤクルトは神宮球場でのクラブハウスにて武上四郎コーチが新監督に就任したと発表[97]。
11月
12月
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
作品
- 映画
脚注
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野球の歴史 |
1870年代 | |
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1880年代 | |
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1890年代 | |
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1900年代 | |
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1910年代 | |
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1920年代 | |
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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