辻 武史
![]() ソフトバンク時代の辻 |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
石川県金沢市 |
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生年月日 |
(1979-06-12) 1979年6月12日(45歳) |
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身長 体重 |
177 cm 81 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
外野手 |
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プロ入り |
1997年 ドラフト5位 |
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初出場 |
2002年9月11日 |
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最終出場 |
2009年9月13日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
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監督・コーチ歴 |
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辻 武史(つじ たけし、1979年6月12日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・プロ野球指導者。BCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスの初代監督を務めた。
来歴
星稜高校では、1997年に春の甲子園2回戦敗退。同年夏の石川県野球大会では4回戦敗退。同年のドラフト5位で福岡ダイエーホークスに入団。
二軍では主力選手として毎年のように好成績を残し、強肩・俊足を生かした守備力もあるが、打撃に難があり長らく一軍定着には至らなかった。
2006年に一軍初本塁打・初盗塁を記録。
2007年には多村仁や大村直之の故障などで自己最多の54試合に出場。しかし打率.200とチャンスを生かせなかった。
2008年には再び多村・大村や井手正太郎が故障したため、5月頃から中西健太・長谷川勇也らとともに外野の一角を担うようになった。課題だった打撃成績も向上し、特に対戦投手が左のときに先発出場することが多くなった。最終的に87試合出場、打率.274、打点13という成績を残している。
2009年は23試合の出場、打率.125と振るわず。
2010年は一軍出場なしに終わり10月1日に戦力外通告を受けた。
2011年の1シーズン四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスのコーチを務めた。同年シーズン終了後に退任。
高知コーチ退任後の一時期は、後藤孝志が立ち上げた野球教室「TOKYO GUTS」で少年野球指導を行っていた[1]。
2016年12月8日にベースボール・チャレンジ・リーグ・栃木ゴールデンブレーブスの監督就任が発表された[2]。2017年から2シーズン指揮を執り、2018年シーズン終了後の12月17日に退任が発表された。退任後は運営法人・栃木県民球団の母体グループである株式会社エイジェックのアスリートセカンドキャリア事業部部長に就任[3]。
選手としての特徴
主な守備位置は中堅手。最大の武器は守備力。守備範囲の広さと、グラブの先でも捕球できる球際の強さが持ち味。
走塁センスやここ一番での打力も高く、スーパーサブとして存在感を見せた。
人物
元チームメイトの大村を師と仰ぎ、ベンチで座る位置は隣同士、プライベートでも一緒に食事に行くなど大変仲が良い(大村曰く「辻は僕の税金対策」)。
プロ入り後10年経っても、一軍で安定した活躍をできずに、自信をなくすこともあったが、当時監督の王貞治から「プロで10年プレーするのは、よほど能力がある人しか無理、もっと自信をもて」と言われたことで、自信がつき、思い切ったプレーができるようになったという。
2008年7月26日4回裏、走者二塁の場面で、辻は二遊間を抜けるタイムリー性の当たりを放ったが、内野手を越える前に二塁審塁佐藤純一に当たっていたため、「内野手を越える前に打球が審判に当たった場合はボールデッド」という規定により、協議の結果二塁内野安打(1つの安全進塁権)と裁定され、既にホームインしていた二塁走者も三塁に戻されるという珍事が起きた。これについて辻はヒーローインタビューで「審判に1点邪魔された」と暗に批判をしている。
星稜高の先輩にあたる松井秀喜と誕生日が同じである。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2002
|
ダイエー ソフトバンク
|
19 |
41 |
38 |
1 |
11 |
1 |
0 |
0 |
12 |
3 |
0 |
2 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
7 |
0 |
.289 |
.308 |
.316 |
.623
|
2003
|
17 |
29 |
28 |
0 |
4 |
1 |
0 |
0 |
5 |
4 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
5 |
1 |
.143 |
.172 |
.179 |
.351
|
2004
|
32 |
24 |
21 |
4 |
2 |
1 |
0 |
0 |
3 |
1 |
0 |
1 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
5 |
1 |
.095 |
.136 |
.143 |
.279
|
2005
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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|
2006
|
34 |
67 |
57 |
8 |
11 |
5 |
1 |
1 |
21 |
6 |
1 |
2 |
1 |
0 |
4 |
0 |
5 |
16 |
0 |
.193 |
.303 |
.368 |
.671
|
2007
|
54 |
52 |
45 |
8 |
9 |
3 |
0 |
0 |
12 |
4 |
0 |
0 |
3 |
1 |
2 |
0 |
1 |
9 |
1 |
.200 |
.245 |
.267 |
.512
|
2008
|
87 |
136 |
124 |
17 |
34 |
8 |
3 |
0 |
48 |
13 |
8 |
2 |
6 |
0 |
5 |
0 |
1 |
23 |
0 |
.274 |
.308 |
.387 |
.695
|
2009
|
23 |
16 |
16 |
4 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
.125 |
.125 |
.125 |
.250
|
通算:8年
|
267 |
365 |
329 |
42 |
73 |
19 |
4 |
1 |
103 |
31 |
10 |
8 |
14 |
1 |
13 |
0 |
8 |
71 |
3 |
.222 |
.268 |
.313 |
.581
|
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
記録
背番号
- 58 (1998年 - 2010年)
- 85 (2011年)
- 1 (2017年 - 2018年)
脚注
関連項目
外部リンク