死球(しきゅう、英: Hit by pitch)とは、野球において投手の投げたボールが打者に当たった結果、打者に一塁が与えられることである。日本ではデッドボール(和製英語:dead ball)とも呼ばれる[注 1]。
概説
投手の投球が打者に触れた場合、球審はボールデッドのジェスチャー(両手を上方に広げる、ファウルボールと同じジェスチャー。デッドボールとは主旨が異なる)をしてプレイを停止する(公認野球規則 5.06(c)(1)、この点が四球とは異なる)。ここで「投球が打者に触れる」とは、適正に着用された打者のユニフォームをかすった場合や、バウンドした投球が打者に触れた場合も含まれる。
そのうえで、球審が次のいずれにも該当しないと判断した場合、死球が宣告され打者に一塁が与えられる(公認野球規則 5.05(b)(2))。
- ストライクになる場合。打者が打とうと試みていた(バントも含まれる)場合、もしくはバウンドしない投球がストライクゾーンを通過している場合が該当し、ストライクが宣告される。
- 打者が避けようとせずにボールに当たった場合。ボールが宣告される。ただし、球審が避けられないと判断した場合は除く。
死球が認められる場合、球審はボールデッドのジェスチャーをし、必要に応じてボールが当たった箇所を示す(ノーボイス)。これにより打者は一塁への安全進塁権を得る。また、打者が一塁に進んだことで押し出される走者に限り、次の塁へ進む権利を得る(満塁の場合、三塁走者は本塁へ進む。いわゆる「押し出し」)。なお、投球が打者に触れた時点でボールデッドとなるため、次の塁を与えられた走者以外は進塁を試みることは認められず、盗塁を試みていても元の塁に戻される。
よくある誤解として、打者がバットを振ったように見えたら死球ではなくストライクだと思われているが、ルール上は『打とうと試みていた、避けようとしなかった』かどうかという打者の意図を球審が主観的に判断するものであってバットが回ったかどうかなど物理的な状態は無関係である為、ハーフスイングと同様に明確な基準がルール上に存在している訳ではない。
ビーンボール
死球のリスクをともなう一方で、投手が打者に近いコースを狙って投球することは野球における戦術のひとつであり(内角攻め)[1]、打者なら誰もが通る道とまで言われている[2]。アメリカ合衆国では打者の頭部を狙う投球を「ビーンボール(beanball)」と呼び(beanは古い英語のスラングで頭を指す)、打者を仰け反らせることを意図した投球である「ブラッシュバック・ピッチ(brush-back pitch)」とは区別している。しばしばビーンボールを投じる投手は「ヘッドハンター(head hunter)」と呼ばれる。日本ではこれらを区別せず、打者を狙った投球を一般にビーンボールと呼んでいる。
また、野球の不文律を破った選手に対して制裁として故意に死球が投じられることがある(打順が相手チーム投手の場合を除く)。この場合は頭部ではなく、より危険の少ない背中、マウンドに向いている側の腕(脛と共に、衝撃軽減のための防具で固められていることが多い)、太腿、尻などが狙われる[3]。
事故例
メジャーリーグベースボール
日本プロ野球
- 1970年8月26日に行われた阪神タイガース対広島東洋カープ戦で、左こめかみに死球を受けた阪神の田淵幸一が耳から血を流しながら昏倒。ただちに救急車で病院に搬送されたが、後遺症で難聴になったという事例があり、このことがきっかけで打者は耳当てつきヘルメットの着用が義務付けられた[9]。
- 1979年6月9日に行われた近鉄バファローズ対ロッテオリオンズ戦で、八木沢荘六の投球を顔面に受けた近鉄のチャーリー・マニエルが顎を複雑骨折する大怪我を負っている。マニエルは約2か月後に復帰した際、フェイスガード付きヘルメットをかぶって打席に立った[10]。
- 2012年8月2日に行われたDeNA対広島戦で、山口俊からの投球を顔面に受けた広島の會澤翼が鼻骨骨折でグラウンド内に乗り入れた救急車で病院に運ばれ、一命はとりとめたものの、搬送先の横浜市内の病院にて鼻骨骨折が判明し、鼻骨骨折の緊急手術を受けることになった[9]。この鼻骨骨折の影響で會澤が1軍出場選手の一覧から抹消され[11]、一時は選手生命すら危ぶまれた。手術後は長らくトレーニングとリハビリ生活を送ることとなり[12]、同年シーズンは28試合の出場にとどまることとなった[13]。
- 2017年5月24日に行われた阪神対巨人戦で、吉川光夫からの投球を鼻に受けた阪神の鳥谷敬が鼻血を流しながら病院に運ばれ[14]、鼻骨を骨折した[15]。しかし、その次の試合でフェイスガードをつけながら、代打で出場し、連続試合出場は途切れなかった[15]。この際に吉川は危険球で退場となった。
日本プロ野球における危険球
公認野球規則では6.02(c)(9)において投手は打者を狙って投球することが禁じられており、「これを投球した投手およびそのチームの監督には、審判員により退場を宣告もしくは同様の行為をもう一度行った場合は即刻退場させる旨の警告が発せられる」と定められている。この場合、打者に投球が当たったか否かは問わず、審判は自身の判断で投手(または投手と監督)を退場させることができる。
日本野球機構ではこれとは別に、セ・パ両リーグのアグリーメント39条に危険球についての規定を置いている[16][17]。これによれば、「投手の投球が打者の顔面、頭部、ヘルメット等に当たり、審判員がその投球を危険球と判断したとき、その投手は即退場となる」とされているが、「ヘルメット"等"」とあるように、胸から上の頭部付近の部位に当たった場合でも、審判員の判断により危険球と見なされる場合もある(1998年4月10日の巨人-横浜戦で石井浩郎の上背部への危険球で退場処分になった佐々木主浩の例などがある)。また、「危険球」とは「打者の選手生命に影響を与える、と審判員が判断したものをいう」と定義されている。
なお、頭部に投球が当たった場合でも緩い変化球などでそれが危険球ではないと判断された場合は、投手は即退場にはならず、警告が発せられる。この場合、次にいずれかのチームの投手が頭部付近への投球を行えば退場を命じられる。
1982年に審判員により危険球に対する規定が制定され、同年より適用。同年8月6日、井上祐二の投球に対して適用され退場処分となる[18]。
危険球制度がより確立されたきっかけは、1994年5月11日にヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ(巨人)戦で発生した死球合戦[注 2]から、西村龍次がダン・グラッデンの顔面付近に投じた球がきっかけとなり起こった乱闘である[19][注 3]。事態を重く見たセントラル・リーグは緊急理事会を開き、さしあたって「故意・過失を問わず頭部に死球を与えた投手は退場」というアグリーメントを新規に設けた(最初の適用者は中日ドラゴンズの郭源治)。その後、カーブのすっぽ抜けで退場になった例もあったことから、翌1995年からは審判が危険球でないと判断した場合には退場を課さないというルールになった[20]。
一方でパシフィック・リーグでは、審判がそれまで以上に厳しいルールの運用をするという見解にとどめた。両リーグの違いの一例として、1999年4月9日に巨人・村田真一が横浜ベイスターズ・斎藤隆から顔面に死球を受けた際、斎藤は即退場となったが、同年の9月8日に福岡ダイエーホークス・秋山幸二が2回裏に西武ライオンズ・松坂大輔から顔面に死球を受け頬骨骨折の怪我を負い退場した際は、松坂には警告処分のみ発せられ、松坂はそのまま6回3分の2まで投げた。セ・パ共通の現行のルールになったのは2002年からである(最初の適用者はセでは巨人・三浦貴、パでは2003年のダイエー・吉武真太郎)。
前述のとおり、最初の危険球で警告となるか即退場となるかは球審の裁量に委ねられるが、従来から一度でも危険球を投げた場合は即退場としていたセ・リーグでは現在でも即退場となる場合が多く、対照的に警告後退場のルールを運用していたパ・リーグでは即退場処分が少ない傾向にある[要出典]。2005年5月13・14日に行われた西武ライオンズ対巨人(インボイスSEIBUドーム)の試合では、両日2戦合わせて6個の死球が出たことから、審判団が15日の第3回戦を「パ・リーグ アグリーメント」に基づいて「警告試合」とし、この試合で死球を与えた投手は即刻退場、また意図的にぶつけたなど悪質な場合はそのチームの監督も退場にするという警告を両チームに発した。
2022年シーズン終了時点で、危険球による退場の最多記録は山口俊の4度(2012年、2014年、2015年、2021年)で、それに継ぐのは桑田真澄、浅尾拓也、内海哲也の3度。このうち、浅尾のみが全て2008年の記録であり、これがシーズン最多記録でもある。山口が2021年9月14日のDeNA対巨人第19回戦でソトに危険球を与え通算最多記録を4度に更新したのと同日に、ヤクルト対阪神19回戦でもアルバート・スアレスが中野拓夢に危険球を与えており、同日に2投手が危険球退場という珍しい記録が生まれている。
プロ初登板で危険球退場になったのは、2005年9月1日の小林正人(中日)、2010年4月18日の矢地健人(中日)、2015年5月3日の風張蓮(ヤクルト。先発登板では初)、2021年6月26日の高田孝一(楽天)である。
1球で危険球退場になった投手として、1990年8月23日の高木晃次(オリックス)、2006年6月17日の高井雄平(ヤクルト)、2008年9月23日の小野寺力(西武)、2009年4月30日の岩瀬仁紀(中日)[21]、2009年8月2日の有銘兼久(楽天)、2010年9月16日の甲藤啓介(ソフトバンク)、2011年4月24日の松井光介(ヤクルト)、2015年5月24日の山﨑康晃(DeNA)、2018年8月16日のラファエル・ドリス(阪神)[22]、2022年7月20日の笠谷俊介(ソフトバンク)[23]、2023年4月13日の西村天裕(ロッテ)[24]がいるが、いずれもリリーフ登板である。先発投手による危険球退場までの最少投球数および打者数は、2021年7月2日に埼玉西武ライオンズの佐々木健[25]と2024年3月30日に広島東洋カープの黒原拓未[26]が記録した3球、打者1人である。二軍では、2022年7月7日の髙橋優貴(巨人)[27]の2球、打者1人である。
2012年の日本シリーズ第5戦では多田野数人(日本ハム)が日本シリーズでは初めてとなる危険球退場の処分を受けている[28][注 4]。
また、渡辺俊介(ロッテ)は2006年4月29日の楽天戦で、6回までノーヒットノーランピッチングを続けていたものの、7回先頭の鉄平に頭部死球を与えてしまい退場処分を受け、アクシデント以外では非常に珍しい被安打0での降板かつ退場処分ながら勝利投手という珍記録を樹立した。なお、勝利投手となった渡辺はヒーローインタビューも受けており、その際に鉄平に対して謝罪を行っている。
与死球
与死球(よしきゅう)は、投手が打者に死球を与えることで、投手に付けられる記録である。上記の要領で打者に死球が記録されると同時に、投手には与死球が記録される。対戦打者の死球と対戦投手の与死球は必ず同数になる。
死球に関する記録
日本プロ野球
通算記録
シーズン記録
その他の記録
メジャーリーグベースボール
通算記録
シーズン記録
- 両打者記録はF.P.サンタンジェロ(モントリオール・エクスポズ、1997年)の25死球[注 7]
与死球に関する記録
日本プロ野球
通算記録
シーズン記録
1試合記録
1イニング記録
メジャーリーグベースボール
通算記録
シーズン記録
脚注
注釈
- ^ なお、アメリカで「デッドボール」といえば1900年代 - 1910年代に広く用いられていた「飛ばないボール」のことを指し、実際この時代は「デッドボール時代」と呼ばれている。
- ^ 2回表、ヤクルト・西村龍次が巨人・村田真一に、3回裏には巨人・木田優夫が西村に、それぞれ死球を与えた。
- ^ なお、この乱闘では当事者となったグラッデンと中西親志に加え、さらに投球した西村も「危険投球」により退場処分となった。
- ^ ただし中継映像では明らかに頭部に投球が当たっておらず、一度ファールの判定がなされたのち原辰徳監督の抗議によって頭部死球となったものである。なお当時はリクエスト制度は無かった。
- ^ 19世紀を含めると、上記のヒューイー・ジェニングス
- ^ 19世紀の記録を含めて最多
- ^ 19世紀を含めると上記のダン・マッギャン
出典
関連項目