この記事には独自研究 が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証 し出典を追加 して、記事の改善にご協力ください。議論はノート を参照してください。(2009年5月 )
この項目では、野球用語について説明しています。テレビドラマについては「勝利の法廷式 」をご覧ください。
プロ野球 における勝利の方程式 (しょうりのほうていしき)は、リードしている試合において、そのリードを最後まで守りきるためにとられる、チームの定石 となっているリリーフ 投手(中継ぎ投手、抑え投手)の継投策、および継投パターンのことを指す。
競馬 をはじめとした野球以外のスポーツ や投資 、ビジネス 、ギャンブル などにおいても、必勝パターンの意味で使用されることがあるが、キャッチコピー としての面が強く野球ほど定着はしていない。
概要
由来は当時読売ジャイアンツ の監督であった長嶋茂雄 が1993年 、1994年 に橋本清 →石毛博史 の必勝継投策を「勝利の方程式」と銘打った事によりこの語が広まったといわれる[要出典 ] 。ほぼ同時期に横浜ベイスターズ の当時の監督であった近藤昭仁 も盛田幸妃 →佐々木主浩 への継投策を「勝利の方程式」と呼んでいたこともあった。
その後、1998年 に五十嵐英樹 →佐々木主浩 の継投策を確立して横浜が38年ぶりの日本一に輝く大きな原動力となった[ 1] ほか、2000年 の阪神タイガース は、当時の監督、野村克也 監督の下、遠山奬志 、葛西稔 、伊藤敦規 を相手打者や試合展開に応じてセットアップ及び抑えとして使い分ける独特の継投策を取ったことで注目を集めたり[ 2] 、2002年 -2003年 のヤクルトスワローズ は、「ロケットボーイズ 」の愛称で親しまれた石井弘寿 、五十嵐亮太 を中心に、抑えの高津臣吾 を含めた強力な方程式を確立して注目された[ 3] 。
「勝利の方程式」の構築の流れに大きな影響を与えたのが、2005年に中継ぎ投手を称える指標に両リーグ統一して新規定であるホールド の採用[ 4] 、及び、同年に阪神がいわゆる「JFK 」(ジェフ・ウィリアムス 、藤川球児 、久保田智之 )を確立して、リーグ優勝に輝いたことである。この「JFK」、及び同年の千葉ロッテマリーンズ における「YFK 」と2つの方程式に愛称されて浸透し、他球団も追随して球界全体に普及した。
基本的に、「勝利の方程式」に組み込まれている投手たちはクオリティ・スタート としての役目を果たした先発投手 の後を引き継ぐことから7回以降に登板することが多い。
「勝利の方程式」と同様にリードを最後まで守りきる意味で「守護神 」の語も使われるが、一般的に「勝利の方程式」が中継ぎ投手 (セットアッパー 。主に8回を担当)から抑え投手 (クローザー。主に9回を担当)につなぐ継投策を指すのに対して、「守護神」はクローザーを務める投手個人を指すことが多い。近年は、(主に7回を担当する)準セットアッパー も、勝利の方程式の一翼を担うケースが出てきている。
「勝利の方程式」の主な一覧
球団創立順。原則として、「特定の愛称が命名及び浸透 」「複数年にわたり機能 」「球団の躍進への貢献 」のいずれかに該当し得る、何らかの特筆性を有する「勝利の方程式」を下記にて記載する。
原則として、2005年の「JFK 」以後に確立された「勝利の方程式」を記載。必ずしも全てを網羅している訳ではないことに留意されたい。
※印は、現在も継続中であることを意味する。
セントラル・リーグ
主な該当選手
主な該当年
命名された主な愛称
主な特徴、特記事項
山口鉄也 越智大祐 M.クルーン
2008年 -2010年
「風神雷神 」
前年度中継ぎ投手として飛躍した山口と越智のコンビ名がスポーツ報知 上で公募され、応募総数1290通の中から二人が選んだ「風神雷神」に決定された。山口は「疾風スライダー」で打者を斬る「風神」、越智は「雷電フォーク」で打者をねじ伏せる「雷神」とされた。 抑えを務めたクルーンは、2008年に41セーブを挙げて最多セーブ投手 に輝くなど、2010年までの3年間で連続して25セーブ以上を記録した。
山口鉄也 S.マシソン 西村健太朗
2012年 -2013年
「スコット鉄太朗 」
安定した投球を披露して2012年日本一、2013年リーグ連覇に貢献した。特に抑えを務めた西村は、2013年に42セーブを挙げて最多セーブ投手 に輝いた。日刊スポーツ の金子航記者が「スコット鉄太朗 」と命名[ 5] 。
S.マシソン 澤村拓一
2015年 -2016年
前年まで先発投手を務めていた澤村が抑えに転向することで、この方程式が結成された。澤村は2015年に36セーブ(リーグ4位)を挙げ、2016年は37セーブを挙げて最多セーブ投手 に輝いた。 セットアッパーを務めるマシソンは、2015年に28ホールド(リーグ5位)を挙げ、2016年は41ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手 に輝いた。 2015年は山口鉄也 も準セットアッパーとして29ホールド(リーグ4位)を挙げて、8年連続で「50試合登板、20ホールド」を同時到達する偉業を成し遂げた。
主な該当選手
主な該当年
命名された主な愛称
主な特徴、特記事項
浅尾拓也 岩瀬仁紀
2008年 -2013年
落合博満 、高木守道 監督の下で、強力な方程式を形成して、中日の黄金期を築く大きな原動力になった。特に2010年、2011年のリーグ優勝に大きく貢献した。 セットアッパー役の浅尾は2010年に21試合連続ホールドポイントや日本記録のシーズン47ホールドを達成。2011年には45ホールド(2年連続のホールド王 )を記録して、リリーフ投手としては史上2人目の最優秀選手 に輝いた[ 11] 。 抑え役の岩瀬は、2005年-2013年にかけて、9年連続30セーブ到達の偉業を果たす。この他にも、15年連続50試合以上登板(歴代1位)、史上初めての400セーブ到達などのを打ち立てた。 2010年は、左腕投手の髙橋聡文 も、31ホールドを記録して勝利の方程式の一翼を担った。 2012年及び2013年は、浅尾が負傷離脱することが増えるようになったが、田島慎二 が勝利の方程式の一翼として台頭。特に2012年は30ホールド(リーグ2位)を挙げて、クライマックスシリーズ 進出に大きく貢献した。
祖父江大輔 福敬登 R.マルティネス
2020年
「大福マル 」(大福丸)
祖父江大 輔、福 敬登、R・マル ティネスの名前のネーミングを組み合わせたものである[ 12] 。7回の祖父江が準セットアッパーとして28ホールド(リーグ2位)を、8回の福がセットアッパーとして25ホールド(リーグ3位)を挙げ、いずれもヤクルトの清水昇 と並んで最優秀中継ぎ投手を受賞。9回抑えのマルティネスも21セーブ(リーグ2位)を挙げたが、終盤にコンディション不良で戦線離脱して以降は祖父江と福が交互に抑えを務めた。谷元圭介 もビハインド時に加えて6回の勝ちパターンとしても起用されて13ホールドをマークし、4人でチームの8年振りとなるAクラス入りに貢献した。
清水達也 Y.ロドリゲス R.マルティネス
2022年
主な該当選手
主な該当年
命名された主な愛称
主な特徴、特記事項
加藤武治 木塚敦志 川村丈夫 M.クルーン
2005年 -2007年
「クアトロK 」
4人のイニシャルが共にKであることから「クアトロK 」と呼称された。 球団が「クアトロK」と公式に呼称するのは2006年である。
三上朋也 山﨑康晃
2015年 -2018年
2015年シーズン、前年までクローザーの三上が故障で開幕に間に合わず、当時大卒1年目であった山崎が開幕から抑えに抜擢され大車輪の活躍を見せる。8月には三上が戦列に復帰しセットアッパーを務め「三上 - 山崎」の方程式が結成、定着した。山崎は2015年に37セーブ(リーグ3位)、2016年に33セーブ(リーグ3位)を挙げ、プロ入り1年目から2年連続で30セーブ以上を記録(史上初)。主にホームゲーム(横浜スタジアム)での9回の登板時における「康晃ジャンプ」と称される独特の応援は、チームの名物になっている。 2016年は右腕の須田幸太 、左腕の田中健二朗 が準セットアッパー的役割を担い、三上を含め3投手が20ホールド以上を記録、山崎とともに強力な救援陣を形成した。
2017年は三上が不調だったものの、新外国人のS.パットン が代わりに8回に定着。62試合に登板して27ホールド、抑えの山崎も序盤はセットアッパーでの登板が中心になりながらも、交流戦以降はストッパーとして再定着。チームの日本シリーズ進出に大きく貢献した。2018年は三上が復調して準セットアッパーとして活躍した。
2019年はパットンが不安定な投球を繰り返し、三上も故障離脱する中、E.エスコバー がセットアッパーとして躍進。33ホールドを挙げた。
2020年は山崎が不振に陥ったが、三嶋一輝 がクローザーに定着し、18セーブ(リーグ5位)をマーク。石田健大が7回のマウンドに定着し、25ホールド(リーグ3位)をマークした。オフにパットンが退団した。2019年以降、三上はビハインドでの登板を主としている。
伊勢大夢 E.エスコバー 山﨑康晃
2022年
主な該当選手
主な該当年
命名された主な愛称
主な特徴、特記事項
今村猛 B.ヘーゲンズ J.ジャクソン 中﨑翔太
2016年 -2017年
2015年シーズンに29セーブ(リーグ5位)を挙げて、抑え(クローザー)の座を手中にした中崎につなぐ中継ぎ陣の整備がチームの課題であった。この課題の解決のために、オフにジャクソン、ヘーゲンズを補強。 2016年シーズン、「ジャクソン - 中崎」と勝利の方程式を形成。これはシーズンを通して不動であり、そしてエクトル・ルナ の故障で一軍に昇格したヘーゲンズ、更に彼の先発転向後は主に今村が準セットアッパー的役割を担うようになった。 中崎は防御率1.37・34セーブ(リーグ2位)、ジャクソンは37ホールド(リーグ2位)を記録。ヘーゲンズは19ホールド(リーグ9位)、今村は22ホールド(リーグ7位)をそれぞれ記録。この4人による強力な救援陣は、25年ぶりの悲願のリーグ優勝の原動力の大きな一つになった。
島内颯太郎
矢崎拓也
2023年
島内はセットアッパーに定着し、42HPで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。矢崎は調子の上がらない栗林良吏 に代わり抑えに定着し、24セーブを挙げた。
パシフィック・リーグ
主な該当選手
主な該当年
命名された主な愛称
主な特徴、特記事項
武田久 MICHEAL
2006年
「HAMの方程式 」
「Hisashi And Micheal」の略を親会社の「日本ハム 」に引っかけた名称で、命名はJFKなどと同じく日刊スポーツの記事による。 前年終盤に頭角を現した武田久と交流戦で片鱗を見せていたMICHEALが開幕から好投、長年の課題だった中継ぎ問題が解決、打力走力守備力のバランス整備や、新庄剛志 の引退宣言の後押しにより、夏場以降からポストシーズンまで快進撃を続け25年ぶりの優勝と日本一に貢献。初めて北海道に優勝旗と日本一旗が渡った。 愛称には加わっていないが巨人から移籍した岡島秀樹 も左のセットアッパーとして活躍。しかし岡島はオフにフリーエージェント 権でボストン・レッドソックス に移籍し、1年限りで見納めとなった。
宮西尚生 増井浩俊 武田久
2011年 -2013年
主な該当選手
主な該当年
命名された主な愛称
主な特徴、特記事項
薮田安彦 藤田宗一 小林雅英
2005年 -2007年
「YFK 」
2005年に結成された阪神の「JFK」から、おもにマスコミから「YFK 」と呼ばれた。「JFK」同様、実際には藤田のほうが薮田より最初に登板することが多い。 3人の大車輪の活躍で、特に2005年、チームの悲願であった31年ぶりの日本一の大きな原動力になった[ 15] 。 「JFK」及び「YFK」の成功は、その後の日本球界全体への「勝利の方程式」波及への大きな影響を与えた。
大谷智久 西野勇士
2014年 -2016年
KBOリーグ
主な該当選手
主な該当年
命名された主な愛称
主な特徴、特記事項
高昌成 林泰勳 李在雨 李庸燦
2009年
KILLライン
名前の由来は構成メンバー達の苗字のイニシャルからとられており、全員が右投手である。 高昌成が防御率1.59、林泰勳が11勝、李在雨がメンバー最多の97.1イニング消化、李庸燦が26セーブを上げるなど活躍。 特に李庸燦は同年のセーブ王となり最優秀新人賞を受賞した。
脚注・出典
関連項目