デニス・サファテ
Dennis Sarfate
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基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区 |
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生年月日 |
(1981-04-09) 1981年4月9日(43歳) |
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身長 体重 |
193 cm 102 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2001年 MLBドラフト9巡目(全体268位) |
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初出場 |
MLB / 2006年9月3日 NPB / 2011年4月14日 |
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最終出場 |
NPB / 2018年4月15日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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デニス・スコット・サファテ(Dennis Scott Sarfate、1981年4月9日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。
日本プロ野球における43イニング連続奪三振記録、シーズン最多セーブ記録保持者(2017年に54セーブ達成)。2014年には、史上初となるセ・パ両リーグでの30セーブを達成した。2020年の推定年俸7億円は、NPB史上歴代5位である。
経歴
プロ入り前
1999年のMLBドラフト15巡目(全体465位)でテキサス・レンジャーズから指名されたが契約せず、アリゾナ州立大学へ進学した。
ブルワーズ時代
チャンドラー・ギルバート・コミュニティ・カレッジ(英語版)在学時の2001年、MLBドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから9巡目(全体268位)指名を受け、6月18日に契約を結んだ。
2006年9月3日のフロリダ・マーリンズ戦でメジャーデビュー。背番号は45。
アストロズ時代
2007年9月11日には金銭トレードで、ヒューストン・アストロズに移籍し、背番号は59となる。同月26日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーでの自己最速の99mph(159km/h)を記録し、メジャー初勝利も挙げた。
オリオールズ時代
2007年12月12日にミゲル・テハダの交換要員の1人として、マット・アルバース、マイク・コスタンゾ(英語版)、トロイ・パットン、ルーク・スコットと共にボルチモア・オリオールズへ移籍した。
2008年、背番号をブルワーズ時代の45に戻す。4月に自宅で妻が閉めようとしたドアの角に右肩をぶつけた際に鎖骨を骨折するも[1]、それを隠しながら(本人曰く「球団には報告していたがマスコミに公表しなかっただけ」とのこと[1])登板を続け[2]、手術を受けた9月までに4先発を含む57試合に登板した。
2009年は5月に発症した右手の血行障害の影響もあり[3]、メジャーでの登板は20試合、マイナーでの登板も14試合に留まった。
2010年はメジャーでの登板は無かったがAAA級ノーフォーク・タイズで47試合に投げ2勝2敗20セーブ、防御率2.73という成績を残した。オフの11月6日にFAとなった。
広島時代
2010年オフに広島東洋カープと契約。背番号は58となった。
2011年は抑えとして起用された。オールスター明けまでにリーグトップの22セーブを記録する活躍を見せ、7月30日の中日ドラゴンズ戦では外国人投手球団最多記録更新となる25セーブ目を挙げた[4]。しかし、9月9日の中日戦で腹部に痛みを感じ、1回1失点でマウンドを降りて敗戦投手となり、その後鼠径ヘルニアと診断、そして登録抹消され、そのままシーズンを終えた[5]。最終的には57試合に登板し1勝3敗35セーブ、防御率1.34、WHIP0.92という好成績を挙げた。
2012年は序盤は抑えとして起用されたが、その後この年に入団したキャム・ミコライオと入れ替わりでセットアッパーへ配置転換となった。オフに保留選手名簿から外れ、自由契約公示された。
西武時代
2012年12月14日に埼玉西武ライオンズと契約を結んだ[6]。背番号は26。
2013年にはシーズン序盤こそセットアッパーを任されていたが、シーズン中盤には不振の大石達也に代わってクローザーに回った。シーズン終盤には先発要員だった涌井秀章がクローザーに転向したことから、セットアッパーに復帰。シーズン通算では来日後最多の9勝を記録した。しかし、シーズン終了後に残留の意思を示さなかったこと[7]などから、12月2日に自由契約を公示された。
ソフトバンク時代
2013年12月17日に福岡ソフトバンクホークスと契約を結んだ[8]。背番号は広島時代と同じ58。
2014年5月20日の広島戦(福岡ヤフオク!ドーム)でNPB史上3人目の全12球団からのセーブを達成した[9]。8月12日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではNPB史上初の両リーグ30セーブを達成[10]。64試合に登板し37セーブ、奪三振率12.64を記録しリーグ優勝に貢献した。日本シリーズでは4試合に登板し1勝2セーブで優秀選手賞を受賞し日本一にも貢献した。
2015年も開幕からセーブを挙げ続け、8月9日にパ・リーグ新記録となる29イニング連続三振を記録した。最終的には前年に平野佳寿が樹立した40セーブのパ・リーグの記録を更新する41セーブを挙げて自身初の最多セーブとなった。
2016年は同点の場面で登板すると打たれるというパターンが目立ち、同点時の登板だけで自己ワーストの7敗を喫した[11]。それでも僅差リードの場面での安定感は抜群で、自らが作ったパ・リーグ記録を2つ更新する43セーブを挙げて2年連続の最多セーブを獲得した。
2017年4月2日の千葉ロッテマリーンズ戦(福岡ヤフオク!ドーム)でNPB通算178個目のセーブを挙げ、マーク・クルーンの通算177セーブを抜き、外国人投手の最多セーブ記録を更新。7月5日のオリックス・バファローズ戦で外国人投手史上初の通算200セーブを達成。9月2日の楽天戦で日本プロ野球タイ記録のシーズン46セーブ[12]、9月5日の対オリックス・バファローズ戦で日本プロ野球新記録のシーズン47セーブを記録し[13]、呉昇桓のアジア記録に並んだ。9月10日のロッテ戦で50セーブ[14]、最終的には54セーブまで伸ばし、セーブ失敗もわずかに1回のみであった(8月5日の西武戦、4点リードの無死満塁で登板し4失点[15])。
日本シリーズでは第2・3戦でセーブを挙げ、第6戦では9回から3イニングを投げ、11回裏のサヨナラを呼び込み日本一に貢献。リリーフ登板のみとしては1982年の東尾修以来35年ぶり、外国籍投手としては1964年のジョー・スタンカ以来53年ぶりとなる日本シリーズMVPを受賞した。また、外国出身の選手として初となる正力松太郎賞に選出された[16]。さらに、レギュラーシーズンの最優秀選手賞も獲得、外国籍選手としてはウラディミール・バレンティン以来4年ぶり17人目(18度目)、パシフィック・リーグの外国籍選手としては、アレックス・カブレラ以来15年ぶり8人目、外国籍投手としては郭泰源以来26年ぶり4人目、救援投手としては浅尾拓也以来6年ぶり5人目(6度目)、ホークスの外国籍選手としてはスタンカ以来53年ぶり2人目の受賞となった。またシーズンと日本シリーズのMVPダブル受賞は、松井秀喜以来17年ぶり15人目、ホークスでは杉浦忠、スタンカに次ぐ3人目の栄誉となった[17]。シーズン・シリーズMVPと正力賞の3つを同年に受賞したのは石井丈裕、松井に次いで史上3人目。最優秀選手の発表はNPB AWARDSで行われたことから、式の出席のためだけに来日した[18]。
登録抹消後
2018年、開幕直後に股関節の張りを訴え4月18日に出場選手登録を抹消され、検査のためにアメリカに帰国[19]。同月中にコロラド州の病院で右股関節鏡視下関節唇修復術を受けた[20]。同年中に戦列に復帰することはできず、6試合1勝5セーブで終わった。
2019年はオープン戦で離脱以来の実戦登板に望むも、直球が140km/h台に落ち込むなどリハビリ明けということもあり物足りない結果に終わったために開幕一軍入りとはならなかった。実戦登板の目処が立たず、6月3日に股関節手術の経過観察のために帰国した[21]。これにより、この年の一軍登板は無かった。
2020年、前年の股関節の故障が悪化し8月6日に治療のため米国に帰国した[22]。10月19日、14日に「右股関節・変形性股関節症の人工股関節置換術」を受けたことが発表された[23]。上記の怪我のために2年連続で登板は無く、シーズンを終えた。
2021年、3年契約の最終年となったが、前年の股関節手術のリハビリのため、登板はおろか、米国に滞在したまま来日もしなかった[24]。
引退
2021年11月30日、現役引退が発表された[24]。
現役引退後はアメリカ・アリゾナ州の自宅で家族と過ごしており、4人の子供の父親として乗馬を学ぶ娘の送り迎えや馬の世話などを行い、他の仕事はしていないという。一方で、体がなまらないようにトレーニングは継続している。また、ソフトバンクからもしもオファーがあれば、外国人のスカウトや、外国人のアドバイザー的な存在として力になりたいとも語っている[25]。
投球スタイル
長身と真上から振り下ろすオーバースローから投球割合の8割近くを占める平均球速94mph(約151km/h)、最速100mph(約161km/h。メジャーでの最速は99mph、日本での最速は159km/h[26])の速球が最大の武器で、縦に落ちるスライダーやカーブ、チェンジアップも投げ分ける[27][28]。MLB時代は制球に難があり、奪三振が多い一方で四球が失点に絡むパターンが多く、2008年は被打率.218と良好な水準であったのに対し、防御率は水準以下となった[28]。
広島移籍後は制球が向上し、2011年には与四球率2.37を記録、また同年途中からはフォークボールも覚えた[29]。
人物
信仰
アストロズ時代の2007年に「ジーザス(イエス・キリスト)の存在に興味を持った」ことから、以後敬虔なクリスチャンとなる。本人曰く「以来、俺の人生が劇的に変わったと言ってもいい」とのことで、スポーツ紙のインタビューにも「ただひたすらジーザス・クライストのために投げている」「日本人にもジーザスの言葉を伝えていきたい」と語っている[1]。
福岡ソフトバンクホークスに在籍していたジェイソン・スタンリッジと共に、「神の言葉を伝える」活動を行っている。
自身の公式Twitterの自己紹介でも「キリスト信奉者!日本の野球選手!(Christ Follower! baseball player in Japan!)」と、クリスチャンであることを強調している。
人工妊娠中絶へ反対
人工妊娠中絶に反対しており(プロライフ)、中絶への批判を繰り返し行っている[31][32]。
人工妊娠中絶へ反対する政治団体『Red State Reform』および『Action For Life』への支持を表明している[33]。『Action For Life』の団体においては2020年から代表を務め、集会で演説を行った[34]。
政治的見解
2019年7月9日に、女子サッカー米国代表としてFIFAワールドカップを優勝したミーガン・ラピノーが米国大統領であったドナルド・トランプを批判したことに対し、サファテは「そんなにアメリカが嫌いなら、出てけ!誰も止めやしない」とTwitter上で攻撃した[35][36][37]。
読売ジャイアンツの投手だったスコット・マシソンも、英語で「賛成だね。よそに行って、どうなってるか見てみれば」と賛同を述べた(後に削除)[36][37]。
この発言の3日後、サファテは該当の発言に対して「意図せず、私のツイートが差別的だと感じられたのであれば謝罪します私は、大好きな日本で、母国に誇りを持って働いており、そのどちらの国の悪口を言ったことはありません。代表チームの主将は、なおさらその国に敬意を持ってほしいと感じています。本当に米国も、国歌も国旗も嫌いなのであれば、米国以外にもプレーする場所はたくさんあるし、誰もそれを禁止しないよと伝えたかった。表現が攻撃的で不快に感じられたのであれば申し訳ありません。」と日本語で述べた[38][39]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
2006
|
MIL
|
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
---- |
38 |
8.1 |
9 |
0 |
4 |
1 |
0 |
11 |
2 |
0 |
4 |
4 |
4.32 |
1.56
|
2007
|
HOU
|
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
3 |
1.000 |
31 |
8.1 |
5 |
0 |
1 |
0 |
0 |
14 |
0 |
0 |
1 |
1 |
1.08 |
0.72
|
2008
|
BAL
|
57 |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
3 |
0 |
4 |
.571 |
359 |
79.2 |
62 |
8 |
62 |
2 |
7 |
86 |
6 |
1 |
47 |
42 |
4.74 |
1.56
|
2009
|
20 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
.000 |
101 |
23.0 |
21 |
3 |
14 |
0 |
1 |
20 |
0 |
0 |
15 |
13 |
5.09 |
1.52
|
2011
|
広島
|
57 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
3 |
35 |
1 |
.250 |
232 |
60.2 |
40 |
2 |
16 |
3 |
0 |
82 |
0 |
0 |
10 |
9 |
1.34 |
0.92
|
2012
|
47 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
5 |
9 |
4 |
.286 |
221 |
49.2 |
43 |
1 |
24 |
0 |
6 |
44 |
3 |
0 |
24 |
16 |
2.90 |
1.35
|
2013
|
西武
|
58 |
0 |
0 |
0 |
0 |
9 |
1 |
10 |
16 |
.900 |
229 |
57.2 |
29 |
4 |
24 |
1 |
4 |
66 |
1 |
0 |
13 |
12 |
1.87 |
0.92
|
2014
|
ソフトバンク
|
64 |
0 |
0 |
0 |
0 |
7 |
1 |
37 |
7 |
.875 |
272 |
68.1 |
50 |
0 |
22 |
2 |
1 |
96 |
1 |
1 |
10 |
8 |
1.05 |
1.05
|
2015
|
65 |
0 |
0 |
0 |
0 |
5 |
1 |
41 |
9 |
.833 |
235 |
64.2 |
27 |
4 |
14 |
0 |
1 |
102 |
2 |
0 |
8 |
8 |
1.11 |
0.63
|
2016
|
64 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
7 |
43 |
8 |
.000 |
237 |
62.1 |
40 |
4 |
11 |
1 |
0 |
73 |
1 |
0 |
15 |
13 |
1.88 |
0.82
|
2017
|
66 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
54 |
3 |
.500 |
238 |
66.0 |
34 |
3 |
10 |
0 |
1 |
102 |
0 |
0 |
9 |
8 |
1.09 |
0.67
|
2018
|
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
5 |
0 |
1.00 |
25 |
6.0 |
4 |
0 |
3 |
0 |
0 |
9 |
0 |
0 |
2 |
2 |
3.00 |
1.17
|
MLB:4年
|
92 |
4 |
0 |
0 |
0 |
5 |
4 |
0 |
8 |
.556 |
529 |
119.1 |
97 |
11 |
81 |
3 |
8 |
131 |
8 |
1 |
67 |
60 |
4.53 |
1.49
|
NPB:8年
|
427 |
0 |
0 |
0 |
0 |
27 |
20 |
234 |
48 |
.574 |
1689 |
435.1 |
267 |
18 |
124 |
7 |
13 |
574 |
8 |
1 |
91 |
76 |
1.55 |
0.89
|
- 2021年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高
タイトル
- NPB
表彰
- NPB
- 最優秀選手:1回(2017年)
- パ・リーグ連盟特別表彰:2回(特別賞:2015年、2016年)
- ※2015年はパ・リーグ新記録の41セーブと43イニング連続奪三振達成、2016年はパ・リーグ新記録のシーズン43セーブ達成
- コミッショナー特別表彰:1回(特別賞:2017年)※シーズン54セーブのプロ野球新記録
- 正力松太郎賞:1回(2017年) ※選手として表彰、外国人選手では初受賞
- 月間MVP:2回(投手部門:2016年5月、2017年8月)
- JA全農Go・Go賞(救援賞:2011年7月)
- 日本シリーズMVP:1回(2017年)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回(2014年)
記録
MLB
- 初記録
NPB
- 初記録
- 投手記録
- 打撃記録
- 初打席:2012年8月25日、対阪神タイガース18回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回裏に鄭凱文から三振
- 節目の記録
- その他の記録
- 全球団からセーブ:2014年5月20日、対広島東洋カープ1回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上3人目(外国人枠選手では2人目)
- この他、広島を除く11球団から救援勝利を挙げた。救援勝利のみで全球団勝利に王手をかけたのは史上初
- 両リーグ30セーブ ※史上初
- 4年連続5回の35セーブ以上 ※いずれも岩瀬仁紀(7年連続8回)に次ぐ歴代2位
- 3年連続40セーブ(2015 - 2017年)※岩瀬と並ぶNPB最長タイ、3度は岩瀬(5度)に次ぐ歴代2位
- この3シーズンで、パ・リーグのセーブ記録を3位まで独占。他にパ・リーグで40セーブは平野佳寿(2014年)のみ(2021年現在)
- シーズン54セーブ(2017年)※アジア野球記録、NPB記録
- 通算234セーブ ※外国人記録、歴代5位(2021年現在)
- 通算335交代完了 ※外国人記録、歴代10位(2021年現在)
- 43イニング連続奪三振:2015年5月8日 - 同年9月1日 ※日本記録[41][42]
- オールスターゲーム出場:3回(2011年、2014年、2016年)
背番号
- 45(2006年、2008年 - 2009年)
- 59(2007年)
- 58(2011年 - 2012年、2014年 - 2021年)
- 26(2013年)
登場曲
[43]
脚注
関連項目
外部リンク
業績 |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
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特別賞 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
---|
1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 |
- 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰
- 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正
- 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義
- 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清
- 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊
- 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二
- 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実
- 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己
- 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治
- 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸
|
---|
1990年代 |
- 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤
- 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎
- 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也
- 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也
- 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦
- 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾
- 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー
- 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛
- 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広
- 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司
|
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2000年代 |
- 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成
- 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満
- 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之
- 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎
- 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信
- 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁
- 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲
- 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博
- 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広
- 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一
|
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2010年代 |
- 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平
- 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩
- 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー
- 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也
- 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太
- 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太
- 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔
- 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大
- 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃
- 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩
|
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2020年代 |
- 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐
- 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎
- 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆
- 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸
- 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ
|
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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1977年から2004年までは最優秀救援投手(セーブポイント数による選出) |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2020年代 | |
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