2015年度新人選手選択会議(2015ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は、2015年10月22日にグランドプリンスホテル新高輪国際館パミールで行われた第51回のプロ野球ドラフト会議である。大正製薬が特別協賛しており、公式名称は「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」[1]。
概要
1巡目指名は重複指名のみ抽選により交渉権獲得球団を決定し、2巡目以降は最下位球団から順に指名するウェーバー方式。本会議からウェーバー優先権はオールスターゲームの勝敗結果からセ・パ交流戦の勝敗結果に変更され、2015年はパ・リーグが61勝44敗3分けで勝ち越したためパ・リーグに優先権が与えられた。3巡目は指名順が逆になり、その後は交互に折り返して指名する。
なお、原辰徳監督の退任が決まっていた巨人[注釈 1]は1974年以来41年ぶりに監督不在での参加となった。当時は同年までの監督であった川上哲治が退任し、現役引退直後に監督に就任した長嶋茂雄が選手として日米野球に出場したために同年のドラフト会議は監督不在となった[2][注釈 2]。
新人選手選択会議で88名、育成選手選択会議で28名が指名され交渉権が確定、うち1名が入団を拒否した[4]。
交渉権訂正
阪神とヤクルトが1位指名で競合した明治大学の髙山俊の抽選結果が、会場で誤って発表されるトラブルが起きた。抽選では両チーム監督の金本知憲と真中満がくじを引き、先にくじを開いた真中がガッツポーズし、金本は真中が喜ぶ様子を見て外れたと思い込み、くじの内容を確認せず席に戻った。すぐさま会場では真中へのインタビューが行われた。
その後、日本野球機構事務局からくじの確認ミスと阪神の交渉権獲得が発表された。金本はインタビューで「ビデオ判定でホームランに覆った心境」と笑顔を見せた[5]。
原因は、真中が外れくじにも印字されているドラフト会議のロゴマークを見て当たりくじと勘違いしガッツポーズしたためだった。真中は、「ガッツポーズを返してください」と後にコメントしている[6]。髙山は、「何が起こるか分からないドラフト会議なので、自分もよく分からない感じですけど、1位で指名していただいたので嬉しく思います」とコメントした[7]。なお、交渉権訂正に伴ってシステムトラブルも起き、進行が10分以上遅れた。
同様のトラブルは2005年のドラフト会議でも発生し、高校生ドラフト1巡目の抽選で辻内崇伸と陽仲壽の両選手の交渉権がそれぞれオリックス→巨人、ソフトバンク→日本ハムに訂正されている。
これを受けて、翌年のプロ野球ドラフト会議から外れのクジは全く印字のない白紙に変更された[8]。
また、日本ハムの5位指名の際には入力で混乱が起き、復旧に約20分を費やした[9]。
選択希望選手一覧
- 太字は交渉権確定。重複した場合、左の球団から順に抽選。
- 背景色が暗い選手は入団拒否した選手。
選択選手
球団名はウェーバー順。育成選手入団で太字は後に支配下登録された選手。
東北楽天ゴールデンイーグルス
横浜DeNAベイスターズ
オリックス・バファローズ
中日ドラゴンズ
埼玉西武ライオンズ
広島東洋カープ
千葉ロッテマリーンズ
阪神タイガース
北海道日本ハムファイターズ
読売ジャイアンツ
福岡ソフトバンクホークス
東京ヤクルトスワローズ
中継
テレビ
- 地上波
- 実況:初田啓介
- 解説:槙原寛己、應武篤良
- 場内インタビュアー:小笠原亘
- 会見場リポーター:高田寛之(CBC)、石井大裕、伊藤隆佑、熊崎風斗
- CS
- 実況:楠淳生(ABC)
- 解説:小関順二
- リポーター:北條瑛祐(ABC)
ラジオ
- 実況:煙山光紀
- 解説:菊池高弘(スポーツライター)
- 会見場リポーター:宮田統樹
脚注
注釈
出典
外部リンク
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