松本 直晃北九州下関フェニックス 投手兼任監督 #66 |
---|
基本情報 |
---|
国籍 |
日本 |
---|
出身地 |
兵庫県三木市 |
---|
生年月日 |
(1990-11-14) 1990年11月14日(34歳) |
---|
身長 体重 |
180 cm 85 kg |
---|
選手情報 |
---|
投球・打席 |
右投右打 |
---|
ポジション |
投手 |
---|
プロ入り |
NPB / 2015年 ドラフト10位 |
---|
初出場 |
NPB / 2016年9月11日 |
---|
最終出場 |
NPB / 2019年7月4日 |
---|
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
---|
選手歴 |
|
監督・コーチ歴 |
|
|
松本 直晃(まつもと なおあき、1990年11月14日 - )は、兵庫県三木市出身[1]のプロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。
経歴
プロ入り前
5歳の時に「自由が丘レッドファイターズ」で野球を始め、三塁手としてプレーし、緑が丘東小学校4年生の時に軟式野球チーム「緑が丘スターズ」に入団した[2]。緑が丘中学校時代はヤングリーグの「神戸須磨クラブ」に所属し、三塁手や二塁手としてプレーした。この時のチームメイトに飯田優也がおり、後年飯田がプロ入り(福岡ソフトバンクホークス)したことに刺激を受けたという[3]。
神戸須磨クラブの先輩が2年続けて進学していた縁もあり、静岡県の東海大学付属翔洋高等学校に進学。三塁手としてプレーし、2年生の秋からレギュラーを務めた[4]。甲子園出場経験は無い[5]。
友人に誘われて環太平洋大学の練習会に参加し、そこで誘いを受けたことで高校卒業後は同校に進学。1年生の秋から三塁手、2年生の春から遊撃手、キャプテンとなった4年生の春には右翼手として出場した。同校ではいずれものちに香川オリーブガイナーズを経てNPB入りする亀澤恭平(2学年先輩)や又吉克樹(同級生)とチームメイトで、亀澤からはアドバイスをもらったという[6]。
大学卒業後、誘いを受けて鳥取県米子市の医療法人「養和会」に進み、同会の軟式野球部の立ち上げに携わった[7]。同野球部では他に投手をできるメンバーが少なかったこともあり、遊撃手兼投手としてプレーした[8]。2年目の2014年、第58回高松宮賜杯全日本軟式野球大会では全4試合に先発登板し、チームはベスト4入りした。「養和会」では野球をプレーする一方、介護員として働いていた。
四国IL・香川時代
2014年11月に四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験し、特別合格[9]。11月23日に行われた同リーグのドラフト会議において香川オリーブガイナーズに投手として指名され入団[10]。背番号は「11」に決まった[11]。
2015年は41試合に登板し、72回を投げ4勝1敗6セーブ、防御率1.00の成績だった[12]。同シーズンでは5月と8月の月間MVP及び、2015シーズンMVP(香川県)を受賞し、北米遠征選抜に選出された[13]。10月12日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから10巡目で指名を受け[14]、契約金1,000万円、年俸500万円(金額は推定)で合意し、入団[15]。背番号は「66」に決まった[16]。
西武時代
2016年9月9日に出場選手登録され[17]、9月11日の対福岡ソフトバンクホークス戦において、2点ビハインドの3回裏一死の場面で2番手でプロ初登板し、2/3回を投げ被安打1、与四球1、無失点だった[18][19]。
2018年はシュートに取り組み[20]、中継ぎとして24試合に登板したが、目立った成績は残せなかった[21]。
2019年は4試合に登板。レギュラーシーズン終了後の10月3日、球団より来季の契約を結ばないと通告された[22]。11月12日の12球団合同トライアウトに参加し、三振と外野フライ・内野フライが各1という内容だった[23]。三振を奪った西岡剛は「大学時代、練習試合用の背番号をわざわざ7番にしていた」という憧れの選手で、「対戦できたことがうれしかった」と述べている[24]。また登板時には亀澤恭平が二塁の守備に就き、松本に声を掛ける場面があった[24]。
琉球時代
2019年11月26日、2020年より始動する沖縄県初のプロ野球チーム・琉球ブルーオーシャンズに入団することが発表された[25]。
2021年9月末日、契約満了により琉球を自由契約となった[26]。この年は19試合に登板し、2勝2敗、防御率2.29の成績だった[27]。
KAL・北九州時代
2021年11月5日、九州アジアリーグで2022年よりリーグ戦に参加する福岡北九州フェニックス(現・北九州下関フェニックス)のトライアウトに合格したことが、球団から発表された[28]。2022年2月18日に開かれた同球団の体制発表会で、所属選手として紹介された[29]。主にクローザーとして起用され、リーグ最多の20セーブを記録してタイトルを獲得した[30][31]。
2023年シーズンはピッチングコーチを兼任しながら[32]、7勝、10セーブを記録した。
2024年2月16日、監督への就任が発表された[33]。この発表では「選手兼任」との表記がなく[33]、専任監督となったが、シーズン開幕後の5月19日に選手兼任に契約が変更され[34]、現役に復帰した。選手としては3試合のみの登板に終わったが[35]、監督として就任初年度でチームを優勝に導いた[36]。
選手としての特徴・人物
養和会の軟式野球部で本格的に投手に転向してから2年で、軟式球で141km/hを計測するまでに成長[37]。扱うボールが硬式球に変わった独立リーグ時代には、球速は最速151km/hを記録した[2]。変化球はフォーク、カーブ、スライダーなどを投げる[38]。
大学時代の同級生で、栄養士の資格を持つ女性と2017年3月に結婚[39]。2020年には一子を授かった。
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2016
|
西武
|
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
----
|
2018
|
24 |
4 |
5 |
0 |
0 |
1.000
|
2019
|
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
----
|
通算
|
30 |
4 |
5 |
0 |
0 |
1.000
|
記録
- NPB
独立リーグでの投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
2015
|
香川
|
41 |
- |
0 |
0 |
0 |
4 |
1 |
6 |
- |
.800 |
282 |
72.0 |
51 |
1 |
22 |
- |
1 |
64 |
1 |
0 |
12 |
8 |
1.00 |
1.01
|
2022
|
北九州
|
42 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
4 |
20 |
2 |
.200 |
168 |
40.1 |
38 |
4 |
9 |
- |
0 |
46 |
1 |
0 |
18 |
11 |
2.45 |
1.17
|
2023
|
39 |
3 |
0 |
0 |
0 |
7 |
4 |
10 |
3 |
.636 |
229 |
50.2 |
56 |
5 |
17 |
- |
4 |
49 |
1 |
0 |
33 |
21 |
3.73 |
1.44
|
2024
|
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
34 |
7.0 |
12 |
1 |
1 |
- |
1 |
2 |
0 |
0 |
5 |
5 |
6.43 |
1.86
|
IL:1年
|
41 |
- |
0 |
0 |
0 |
4 |
1 |
6 |
- |
.800 |
282 |
72.0 |
51 |
1 |
22 |
- |
1 |
64 |
1 |
0 |
12 |
8 |
1.00 |
1.01
|
KAL:3年
|
84 |
4 |
0 |
0 |
0 |
8 |
8 |
30 |
5 |
.500 |
431 |
98.0 |
106 |
10 |
27 |
- |
5 |
97 |
2 |
0 |
56 |
37 |
3.40 |
1.36
|
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の赤太字はリーグ歴代最高、太字はリーグ最高
独立リーグでの表彰
- 四国ILp
- 月間MVP:2回(2015年5月・8月)
- シーズン4県MVP:1回(香川県:2015年)
- KAL
背番号
- 11(2015年)
- 66(2016年 - 2019年、2022年 - )
- 20(2020年 - 2021年)
脚注
関連項目
外部リンク
|
---|
- 西岡剛 2022 - 2023(2024総監督)
- 松本直晃 2024 -
|