1974年の阪急ブレーブスでは、1974年の阪急ブレーブスの動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、上田利治監督の1年目のシーズンである。
1963年の就任以来11年間で5度リーグ優勝した西本幸雄前監督の勇退を受け、上田新監督がこの年から就任。前期ではこの年からローテーション入りの竹村一義をはじめ、山田久志や戸田善紀など投手陣の活躍、長池徳士や加藤秀司といった打撃陣の活躍で前年果たせなかった前期優勝を達成。後期も制して完全優勝を目論んだものの開幕ダッシュに失敗し開幕後は最下位に転落。8月以降は盛り返したもののロッテをとらえることができず3位で終了。プレーオフでは金田正一監督率いるロッテとの対決となり、下馬評では「阪急有利」を予想された。しかし地元の西宮球場で勝てず敵地で巻き返しを図るも、雨天中止で第3戦が延期。これが影響したのか、1日伸びた第3戦はロッテ投手陣の前に打線が封じられて屈辱の3連敗を喫し、1972年以来2年ぶりの日本シリーズ進出はならず上田監督の1年目は2位で終わった。
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
30 上田利治
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1936年から1946年までは「阪急軍」(1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。)1947年から1988年までは「阪急ブレーブス」1989年から1990年までは「オリックス・ブレーブス」1991年から2004年までは「オリックス・ブルーウェーブ」(2004年オフに大阪近鉄バファローズと球団合併)2005年から「オリックス・バファローズ」
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