2002年の横浜ベイスターズ

2002年の横浜ベイスターズ
成績
セントラル・リーグ6位
49勝86敗5分 勝率.363[1]
本拠地
都市 神奈川県横浜市中区
球場 横浜スタジアム
球団組織
オーナー 砂原幸雄
経営母体 TBS
監督 森祇晶(9月26日から休養)
黒江透修(9月27日から代行)
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2002年の横浜ベイスターズ(2002ねんのよこはまベイスターズ)では、2002年横浜ベイスターズの動向をまとめる。

この年の横浜ベイスターズは、森祇晶監督の2年目のシーズンである。

概要

森体制2年目を迎えたベイスターズだが、前年までの正捕手だった谷繁元信が森監督との確執で中日へFA移籍。その中日から新たに中村武志が加入した。しかしシーズンが始まると開幕からいきなり5連敗、さらに5月には13連敗を喫し、セ・リーグでは1965年サンケイ1980年の中日、1985年のヤクルト、1991年の阪神に次いで全日程で最下位に終わった。シーズン全体でもこの年優勝した巨人に35.5ゲーム、5位の広島にも14.5ゲーム差をつけられての最下位だった。それでもプロ2年目の吉見祐治が11勝をマーク、8月22日の巨人戦では石井琢朗が通算1500安打を達成した。しかし、チーム打率.240、本塁打97本(唯一の二桁台)、チーム得点472(唯一の400点台)は全てリーグ最下位。チーム防御率も4.09でリーグ5位と投打ともに低迷した。そしてシーズン終盤に森監督は解任され、以降、シーズン終了まで黒江透修ヘッドコーチが監督代行を務めた。結局、ベイスターズは1994年以来8年ぶりに単独最下位へと転落。対戦成績では1981年1989年同様7勝21敗で巨人に負け越し、巨人優勝の引き立て役になったが、5位の広島には13勝14敗1分と健闘した。シーズン終了後、砂原オーナーは後任の監督に山下大輔を招聘。そして山下新監督のもと、ベイスターズは打撃重視のチームへと転換を図ることになり、オフにはタイロン・ウッズなどの大型補強を行うなど、来シーズンに向けての準備を整えた。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 石井琢朗
2 金城龍彦
3 鈴木尚典
4 グラン
5 佐伯貴弘
6 小川博文
7 ロドリゲス
8 相川亮二
9 三浦大輔
2002年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 阪神 - 阪神 - 巨人 - 巨人 - 巨人 - 巨人 -
2位 巨人 2.0 巨人 0.5 ヤクルト 2.0 阪神 10.5 ヤクルト 6.5 ヤクルト 11.0
3位 広島 3.5 ヤクルト 4.0 阪神 4.5 ヤクルト 11.0 中日 13.5 中日 15.5
4位 ヤクルト 4.5 中日 5.0 中日 5.5 広島 11.5 阪神 16.0 阪神 19.0
5位 中日 7.5 広島 6.5 広島 中日 13.5 広島 18.0 広島 21.0
6位 横浜 9.5 横浜 17.0 横浜 15.5 横浜 22.5 横浜 30.0 横浜 35.5


2002年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 86 52 2 .623 優勝
2位 ヤクルトスワローズ 74 62 4 .544 11.0
3位 中日ドラゴンズ 69 66 5 .511 15.5
4位 阪神タイガース 66 70 4 .485 19.0
5位 広島東洋カープ 64 72 4 .471 21.0
6位 横浜ベイスターズ 49 86 5 .363 35.5

オールスターゲーム2002

  • コーチ
森祇晶
  • ファン投票
選出なし
  • 監督推薦
三浦大輔

選手・スタッフ

表彰選手

リーグ・リーダー

受賞者なし

ベストナイン

受賞者なし
受賞者なし

ドラフト

順位 選手名 守備 所属 結果
自由獲得枠 村田修一 内野手 日本大学 入団
自由獲得枠 土居龍太郎 投手 法政大学 入団
1巡目 (選択権なし)
2巡目 (選択権なし)
3巡目 (選択権なし)
4巡目 加藤武治 投手 三菱ふそう川崎 入団
5巡目 吉村裕基 内野手 東福岡高 入団
6巡目 北川利之 内野手 川崎製鉄水島 入団
7巡目 飯田龍一郎 投手 育英高 入団
8巡目 河野友軌 外野手 法政大学 入団
9巡目 堤内健 投手 日本大学 入団
10巡目 武山真吾 捕手 享栄高 入団
11巡目 木村昇吾 内野手 愛知学院大学 入団

出典

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