2002年の横浜ベイスターズ(2002ねんのよこはまベイスターズ)では、2002年の横浜ベイスターズの動向をまとめる。
この年の横浜ベイスターズは、森祇晶監督の2年目のシーズンである。
概要
森体制2年目を迎えたベイスターズだが、前年までの正捕手だった谷繁元信が森監督との確執で中日へFA移籍。その中日から新たに中村武志が加入した。しかしシーズンが始まると開幕からいきなり5連敗、さらに5月には13連敗を喫し、セ・リーグでは1965年のサンケイ、1980年の中日、1985年のヤクルト、1991年の阪神に次いで全日程で最下位に終わった。シーズン全体でもこの年優勝した巨人に35.5ゲーム、5位の広島にも14.5ゲーム差をつけられての最下位だった。それでもプロ2年目の吉見祐治が11勝をマーク、8月22日の巨人戦では石井琢朗が通算1500安打を達成した。しかし、チーム打率.240、本塁打97本(唯一の二桁台)、チーム得点472(唯一の400点台)は全てリーグ最下位。チーム防御率も4.09でリーグ5位と投打ともに低迷した。そしてシーズン終盤に森監督は解任され、以降、シーズン終了まで黒江透修ヘッドコーチが監督代行を務めた。結局、ベイスターズは1994年以来8年ぶりに単独最下位へと転落。対戦成績では1981年、1989年同様7勝21敗で巨人に負け越し、巨人優勝の引き立て役になったが、5位の広島には13勝14敗1分と健闘した。シーズン終了後、砂原オーナーは後任の監督に山下大輔を招聘。そして山下新監督のもと、ベイスターズは打撃重視のチームへと転換を図ることになり、オフにはタイロン・ウッズなどの大型補強を行うなど、来シーズンに向けての準備を整えた。
チーム成績
レギュラーシーズン
2002年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
|
8月終了時
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最終成績
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1位
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阪神 |
-
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阪神 |
-
|
巨人 |
-
|
巨人 |
-
|
巨人 |
-
|
巨人 |
-
|
2位
|
巨人 |
2.0
|
巨人 |
0.5
|
ヤクルト |
2.0
|
阪神 |
10.5
|
ヤクルト |
6.5
|
ヤクルト |
11.0
|
3位
|
広島 |
3.5
|
ヤクルト |
4.0
|
阪神 |
4.5
|
ヤクルト |
11.0
|
中日 |
13.5
|
中日 |
15.5
|
4位
|
ヤクルト |
4.5
|
中日 |
5.0
|
中日 |
5.5
|
広島 |
11.5
|
阪神 |
16.0
|
阪神 |
19.0
|
5位
|
中日 |
7.5
|
広島 |
6.5
|
広島
|
中日 |
13.5
|
広島 |
18.0
|
広島 |
21.0
|
6位
|
横浜 |
9.5
|
横浜 |
17.0
|
横浜 |
15.5
|
横浜 |
22.5
|
横浜 |
30.0
|
横浜 |
35.5
|
オールスターゲーム2002
選手・スタッフ
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監督 | |
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監督代行 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手
リーグ・リーダー
- 受賞者なし
|
ベストナイン
- 受賞者なし
- 受賞者なし
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ドラフト
出典
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---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |