1990年の横浜大洋ホエールズ(1990ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1990年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
1990年の横浜大洋ホエールズは、須藤豊監督の1年目のシーズンである。
概要
前年5年ぶりに最下位に転落し、優勝の巨人に5勝21敗と大きく負け越したチームは中部慶次郎オーナーが三顧の礼をもって新監督に巨人の二軍監督だった須藤豊を招聘[2]。古葉竹識前監督が広島OBで首脳陣を固めて失敗した経緯から、須藤新監督はヘッドコーチに江尻亮、投手コーチに小谷正勝、守備走塁コーチに米田慶三郎といった大洋OBを配置。また他球団OBの大杉勝男を打撃コーチに、須藤監督と同じ高知商出身の高橋良昌を投手コーチに迎えるなど首脳陣を一新してシーズンに臨んだ。チームは開幕から5月初めまで前年優勝の巨人と首位を争ったが、6月以降は大きくゲーム差を広げられると最後は巨人から24ゲーム差の3位で終了。それでも最下位に終わった前年から勝ち星を大きく増やし、借金返済はならなかったものの1983年以来7年ぶりのAクラス入りを果たした。投手陣では斉藤明夫や新浦壽夫といったベテランの奮闘に加え、3年目の野村弘樹が11勝をあげて巨人キラーとして頭角を現し、須藤監督の後輩でこの年から先発転向の中山裕章が開幕投手を務めるなどそれなりの成績を収め、かつてのエース・遠藤一彦が抑えで復活するなど明るい話題もあった。ドラフト1位ルーキーの佐々木主浩は最初起用法が先発、中継ぎと安定しなかったが、5月以降リリーフで起用されるとまずまずの成績を残し須藤監督の期待に応えた。打撃陣では前年打率2位のジム・パチョレックが高木豊とのチーム内での争いを制し3年目で念願の首位打者を獲得し、最多安打に輝いた。
チーム成績
レギュラーシーズン
[3]
1990年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
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巨人 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
大洋 |
2.5
|
大洋 |
2.5
|
大洋 |
5.5
|
中日 |
12.0
|
広島 |
16.5
|
広島 |
22.0
|
3位
|
阪神 |
4.5
|
広島 |
8.0
|
広島 |
8.0
|
大洋 |
12.5
|
大洋 |
18.0
|
大洋 |
24.0
|
4位
|
ヤクルト |
5.5
|
阪神 |
9.5
|
中日 |
9.0
|
広島 |
13.5
|
中日 |
18.5
|
中日 |
26.0
|
5位
|
中日 |
7.0
|
ヤクルト |
9.5
|
ヤクルト |
10.5
|
ヤクルト |
16.0
|
ヤクルト |
24.0
|
ヤクルト |
30.0
|
6位
|
広島 |
7.5
|
中日
|
阪神 |
12.0
|
阪神 |
18.0
|
阪神 |
31.0
|
阪神 |
36.0
|
[1]
オールスターゲーム1990
- 野村弘樹
- 遠藤一彦
- 高木豊
- 山崎賢一
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[4]
試合結果
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
- ^ 偵察メンバーの松本豊と交代。
- ^ 1985年に遊撃手部門で受賞しており、通算2度目。
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |