1988年の横浜大洋ホエールズ(1988ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1988年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
1988年の横浜大洋ホエールズは、古葉竹識監督の2年目のシーズンである。
概要
シーズン開幕直前に山下大輔が体力の限界を理由に現役引退。ベテランの田代富雄も開幕を2軍で迎えるなど誤算が続出。4月は開幕ダッシュに失敗するが、5月以降は盛り返し、後半戦開幕時には4位ながらも首位中日に5ゲーム差と詰めよったが、8月以降は負けが込み、終盤は前年同様ヤクルトとの4位争いとなったが、これに勝って4位を死守した。投手陣では3年目の中山裕章が衰え始めた斉藤明夫に代わって守護神となり、欠端光則や大門和彦もまずまずの成績を挙げたが、それに続く投手はおらず、またエース・遠藤一彦はアキレス腱断裂の影響もあって往年の投球には程遠く、スタミナ切れも目立った。打撃陣では新外国人のジム・パチョレックが1年目ながら打率を3割に乗せたが、首位打者獲得はならなかった。主砲のカルロス・ポンセはこの年も打撃好調で、最終的に本塁打と打点の二冠王となった。また、高木豊、屋鋪要が走りまくって121盗塁でリーグ1位を記録し、チーム打率も.273でリーグ1位を記録するもポンセ、パチョレック以外の打者が長打不足で85本塁打がリーグ5位に終わった。銚子利夫が三塁に定着して規定打席に到達、山崎賢一が台頭するなど徐々に世代交代が進んだ。カード別成績ではヤクルトに16勝8敗2分と勝ち越したのが最高で、最下位の阪神には12勝14敗と苦戦した。この年から木庭教らの広島スカウト陣が加入したこともあり、広島出身の谷繁元信や石井琢朗(当時・忠徳)ら後の主力となる素材を獲得している。
チーム成績
レギュラーシーズン
[2]
1988年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
|
9月終了時
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最終成績
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1位
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広島 |
--
|
広島 |
--
|
巨人 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
2位
|
巨人 |
4.5
|
巨人 |
1.5
|
広島 |
0.5
|
巨人 |
1.0
|
広島 |
6.5
|
広島 |
7.0
|
巨人 |
12.0
|
3位
|
阪神 |
5.0
|
阪神 |
2.5
|
中日 |
1.0
|
広島 |
1.5
|
巨人 |
7.5
|
巨人 |
8.0
|
広島 |
15.0
|
4位
|
ヤクルト |
5.5
|
大洋 |
4.0
|
ヤクルト |
3.0
|
大洋 |
5.0
|
大洋 |
12.0
|
大洋 |
17.0
|
大洋 |
20.5
|
5位
|
大洋 |
7.0
|
中日 |
4.5
|
阪神 |
6.5
|
ヤクルト |
9.5
|
ヤクルト |
12.0
|
ヤクルト |
17.0
|
ヤクルト |
22.0
|
6位
|
中日 |
8.0
|
ヤクルト |
5.5
|
大洋 |
7.0
|
阪神 |
10.0
|
阪神 |
19.0
|
阪神 |
23.0
|
阪神 |
29.5
|
[1]
オールスターゲーム1988
- ポンセ
- 中山裕章
- 新浦壽夫
- 高木豊
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[3]
表彰選手
ベストナイン
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選手名 |
ポジション |
回数
|
ポンセ |
外野手 |
2年連続2度目
|
パチョレック |
初受賞
|
ゴールデングラブ賞
|
選手名 |
ポジション |
回数
|
屋鋪要 |
外野手 |
5年連続5度目
|
ドラフト
出典
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---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |