1993年の横浜ベイスターズ(1993ねんのよこはまベイスターズ)では、1993年の横浜ベイスターズにおける動向をまとめる。
この年の横浜ベイスターズは、横浜大洋ホエールズからチーム名を変更して初めて迎えるシーズンであり、近藤昭仁監督の1年目のシーズンである。
概要
球団名が「横浜ベイスターズ」となり、ベイスターズの初代監督には1960年初優勝時の主力だった近藤昭仁が就任した。チームは評論家から「今年は台風の目になる」と言われ、Aクラス入りが予想された。序盤はキャンプ前の自主トレ中に盛田幸妃が故障離脱するアクシデントと4月に2度の5連敗を喫した影響もあり開幕ダッシュに失敗。6月こそは一時期チームの借金を完済し貯金に至ったものの7月からオールスターを挟んでの10連敗を喫し、さらに新外国人で4番のグレン・ブラッグスが小指を骨折して戦線離脱したこともあり一時は最下位に低迷。この年は優勝のヤクルトに4勝22敗と相性が悪く(それ以外の球団には互角だった)、ヤクルト戦の大敗が5位低迷の原因となった。結局近藤監督の1年目は5位でシーズンを終了。投手陣では野村弘樹が17勝を挙げてそれ以外の投手もそれなりの活躍を収めチーム防御率もリーグ4位と健闘、打撃陣では夏場に故障離脱したブラッグスと打点王に輝いたロバート・ローズの活躍があったものの、両外国人に続く選手がおらず打線全体でもチーム本塁打が100本未満(87本でリーグ5位)に終わった。オフにはFAで駒田徳広を獲得したがその獲得資金の捻出と噂された高木豊、屋鋪要らの主力選手の大量解雇を断行し賛否両論を巻き起こした[2]。
チーム成績
レギュラーシーズン
[3]
1993年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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広島 |
--
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ヤクルト |
--
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ヤクルト |
--
|
ヤクルト |
--
|
ヤクルト |
--
|
ヤクルト |
--
|
ヤクルト |
--
|
2位
|
中日 |
1.5
|
巨人 |
1.5
|
巨人 |
3.5
|
巨人 |
3.5
|
中日 |
1.0
|
中日 |
2.0
|
中日 |
7.0
|
3位
|
巨人 |
3.5
|
広島 |
2.0
|
広島
|
広島 |
4.0
|
広島 |
8.0
|
阪神 |
12.0
|
巨人 |
16.0
|
4位
|
阪神
|
中日
|
横浜 |
4.0
|
中日
|
巨人 |
8.5
|
巨人 |
12.5
|
阪神 |
17.0
|
5位
|
ヤクルト |
4.5
|
阪神
|
中日 |
4.0
|
阪神 |
5.0
|
阪神 |
9.0
|
横浜 |
17.5
|
横浜 |
23.0
|
6位
|
横浜 |
8.0
|
横浜 |
4.5
|
阪神 |
6.0
|
横浜 |
7.5
|
横浜 |
12.5
|
広島 |
19.0
|
広島 |
27.0
|
期間 成績
|
4勝13敗 勝率.235
|
14勝10敗 勝率.583
|
12勝8敗 勝率.600
|
6勝12敗 勝率.333
|
7勝12敗 勝率.368
|
7勝9敗 勝率.438
|
7勝9敗 勝率.438
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オールスターゲーム1993
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[3][4]
表彰選手
ドラフト
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
---|
1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |