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川端 一彰(かわばた かずあき、1968年3月12日 - )は、和歌山県和歌山市[1]出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
現在は、横浜DeNAベイスターズのチーム運営部スコアラー。
星林高校から中央大学へ進学。1学年上に笘篠賢治、2学年下に中山雅行がいた。入学時は2部リーグも、1部昇格した2年春からレギュラーとなり、4年春は東都大学リーグ3位となる打率.357を記録するが当時の中大は低迷期にあり、入替戦で敗れると最後の秋季リーグ戦は2部[1]。一部リーグ通算60試合出場、209打数53安打、打率.254、2本塁打、8打点。
1989年のプロ野球ドラフト会議にて横浜大洋ホエールズから5位で指名を受けて入団[1]。契約金4000万円・年俸480万円(金額は推定)と決まった[2]。
内外野どちらもこなすユーティリティプレイヤーで、シュアなバッティングも持ち味で二軍では1992年に首位打者になる[1]ものの、一軍ではなかなか出場機会を得られなかった。
プロ3年目の1992年に一軍初出場を果たし、1996年に監督就任した大矢明彦に見出だされ一軍に定着する[1]と、いぶし銀の打撃と成功率の高いバントで存在感を発揮。進藤達哉と三塁の定位置を争い36試合に先発出場した。翌1997年は主に外野の準レギュラーとして活躍。チームが38年ぶりの優勝を果たした1998年は、駒田徳広・ロバート・ローズ・進藤達哉・石井琢朗といった鉄壁の内野陣がある中で、万永貴司とともに貴重な内野の控えとして優勝に貢献した。
その後は故障で二軍生活を余儀なくされ、2000年限りで現役を引退。功労者として10月10日に秋元宏作と共に引退試合が行われた。
内外野と守備位置がころころ変わったのは、出場機会を得るためとは言え、結果として器用貧乏と揶揄されることにもなった。
引退後の2001年からは横浜のスコアラーを務め[1]、2007年に大矢が監督に復帰してからは大矢の脇に座り、ブレーンとして活躍した。