大島 友治(おおしま ともじ、1916年10月2日 - 1999年4月19日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員。栃木県出身。
来歴・人物
1941年京都帝国大学農学部卒業後、栃木県庁に入庁。教育次長、農務部長などを歴任した後、1974年の参院選に自民党公認で栃木選挙区から出馬し初当選。連続当選3回。党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に所属。派内では同郷の渡辺に近い存在だった。
1977年科学技術政務次官(福田赳夫内閣)、参議院文教委員長、参議院内閣委員長などを経て[1]、1990年2月第2次海部内閣の科学技術庁長官として初入閣。同年の12月まで務めた。1992年勲一等瑞宝章受章。同年政界引退。地盤は栃木県議会議員を務めていた矢野哲朗が引き継いだ。
1999年4月19日、呼吸不全のため死去。享年84(82歳没)。
脚注
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再編前 |
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再編後 | |
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省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。
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参議院文教委員長 (1979年-1980年) |
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第1回 (定数4) |
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定数1 (第21回以降) |
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↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 |