第3回参議院議員通常選挙(だい3かいさんぎいんぎいんつうじょうせんきょ)は、1953年(昭和28年)4月24日に日本で行われた国会(参議院)議員の選挙である。
概説
第1回参議院議員通常選挙によって選出された参議院議員は日本国憲法第102条の定めにより全議員のうち半数の任期を6年、残り半数の任期を3年とした。この任期6年とされた議席を対象とした選挙である。
本選挙の全国区において栃木県佐野市の投票所で候補者平林剛の所属する党派名「日本社会党」を「日本共産党」と誤記したことにより、1954年9月24日、最高裁判所の上告審判決により佐野市での選挙が無効となり、大倉精一、関根久蔵、大谷贇雄、八木秀次、柏木庫治、楠見義男の6名が失格した[1]。そのため、1954年10月17日、佐野市で再選挙が行われ、その結果、前記6名のうち楠見義男が落選し平林剛が当選(任期3年)し確定した[2]。
選挙データ
内閣
公示日
投票日
改選数
- 128(うち3は補充のため、任期3年)
- 地方区 - 75
- 全国区 - 53(うち3は補充のため、任期3年)
選挙制度
- 地方区
- 小選挙区制 ‐ 改選数25
- 中選挙区制 ‐ 改選数50
- 4人区(単記投票) - 15
- 6人区(単記投票) - 4
- 8人区(単記投票) - 2
- 全国区
- 大選挙区制 ‐ 改選数53(うち3は補充のため、任期3年)
- 投票方法
-
- 秘密投票、単記投票、2票制(地方区・全国区)
- 選挙権
-
- 満20歳以上の日本国民
- 被選挙権
-
- 満30歳以上の日本国民
- 有権者数
-
- 47,036,554(男性:22,454,016 女性:24,582,538)[3]
選挙活動
主な争点
選挙結果
投票率
議席数
党派別得票数と改選議席数
|
全国区
|
地方区
|
議席合計
|
得票数
|
得票率
|
議席数
|
得票数
|
得票率
|
議席数
|
自由党(吉田派)
|
6,149,927
|
|
16
|
8,803,131
|
|
30
|
46
|
自由党(鳩山派)
|
110,889
|
|
0
|
522,540
|
|
0
|
0
|
改進党
|
1,630,507
|
|
3
|
2,840,345
|
|
5
|
8
|
日本社会党(右派)
|
1,740,423
|
|
3
|
2,952,803
|
|
7
|
10
|
日本社会党(左派)
|
3,858,552
|
|
8
|
3,917,837
|
|
10
|
18
|
日本共産党
|
293,877
|
|
0
|
264,729
|
|
0
|
0
|
緑風会
|
3,301,011
|
|
8
|
2,096,103
|
|
8
|
16
|
労働者農民党
|
112,535
|
|
0
|
277,442
|
|
0
|
0
|
その他の政党
|
332,898
|
|
0
|
322,674
|
|
1
|
1
|
無所属
|
9,504,220
|
|
15
|
6,013,363
|
|
14
|
29
|
合計
|
27,034,839
|
|
53
|
28,010,967
|
|
75
|
128
|
改選と非改選の合計
政党/無所属 |
改選 |
非改選 |
合計
|
与党
|
46
|
47
|
93
|
自由党(吉田派)
|
46
|
47
|
93
|
野党他
|
82
|
75
|
157
|
自由党(鳩山派)
|
0
|
2
|
2
|
改進党
|
8
|
7
|
15
|
日本社会党(右派)
|
10
|
16
|
26
|
日本社会党(左派)
|
18
|
22
|
40
|
日本共産党
|
0
|
1
|
1
|
緑風会
|
16
|
18
|
34
|
労働者農民党
|
0
|
2
|
2
|
諸派
|
1
|
0
|
1
|
無所属
|
29
|
7
|
36
|
合計
|
128
|
122
|
250
|
各党役員
議員
この選挙で選挙区当選
自由党 社会党左派 社会党右派 改進党 緑風会 諸派 無所属
この選挙で全国区当選
自由党 社会党左派 社会党右派 改進党 緑風会 諸派 無所属
- これに伴い楠見義男が落選。
補欠当選
- 和歌山選挙区 徳川頼貞(1954.4.17死去)→野村吉三郎(1954.6.3補欠当選)
- 島根選挙区 大達茂雄(1955.9.25死去)→佐野広(1955.11.11補欠当選)
- 鳥取選挙区 三好英之(1956.2.14死去)→中田吉雄(1956.4.4補欠当選)
- 大阪選挙区 森下政一(1957.3.5死去)→大川光三(1957.4.23補欠当選)
- 香川選挙区 白川一雄(1957.5.14死去)→増原惠吉(1957.6.28補欠当選)
- 秋田選挙区 鈴木一(衆院選立候補に伴う辞職)→松野孝一(1958.6.22補欠当選)
- 石川選挙区 井村徳二(1958.10.27死去)→柴野和喜夫(1958.12.7補欠当選)
この選挙で初当選
- 計84名
※初当選者のうち、衆議院議員経験者には「※」、貴族院議員経験者には「△」の表示がある。
自由党
- 30名
改進党
- 6名
日本社会党(右派)
- 5名
日本社会党(左派)
- 13名
緑風会
- 2名
諸派
- 1名
無所属
- 27名
この選挙で返り咲き
- 計3名
改進党
- 1名
日本社会党(右派)
- 1名
日本社会党(左派)
- 1名
この選挙で引退・不出馬
- 計33名
自由党
- 11名
改進党
- 4名
日本社会党(右派)
- 2名
自由党(鳩山)
- 1名
緑風会
- 12名
労働者農民党
- 2名
第一クラブ
- 1名
この選挙で落選
- 計46名
自由党
- 6名
改進党
- 5名
日本社会党(右派)
- 9名
日本社会党(左派)
- 5名
自由党(鳩山)
- 2名
緑風会
- 9名
日本共産党
- 2名
諸派
- 1名
無所属
- 7名
備考
熱海市で「天の川本舗」並びに四日市市で「うまいや」を経営する製菓業者だった山副博士(当時30歳)は、全国区からこの選挙に出馬した[4]。だが、山副はラジオの政見放送にて自社製品の宣伝を繰り返し、一方で候補者に無料で配布されるハガキや特別乗車券を転売し、その上選挙活動を一切行わなかった[5]。選挙公報でも自社製品の宣伝文句のみを記載し、宣伝カーのトラックにも自社製品の名称と、商標とみられるイラストのみを掲げていた[6]。これが社会問題として取り上げられ、公職選挙法が商品等の宣伝行為の禁止を明文化するよう改正された[5]。なお、カビが生えた製品が見つかる事が6回あったとして、1960年に熱海保健所の懲罰委員会は天の川本舗に営業禁止処分を下した[7]。また、一万円紙幣を模造したビラを撒いたとして、1961年に山副は通貨及証券模造取締法違反容疑で書類送検された[8][9]。1962年6月18日、静岡地裁沼津支部は山副に懲役6月・執行猶予2年の有罪判決を言い渡した[10]。山副は控訴したが、1963年1月21日に東京高裁によって棄却された[11][12]。
脚注
- ^ 『参議院議員選挙一覧 第3回』241-245頁。
- ^ 『参議院議員選挙一覧 第3回』229-233頁。
- ^ 有権者数及び投票率の推移 - 鳥取県選挙管理委員会
- ^ 読売新聞東京本社1953年4月21日朝刊14版7面
- ^ a b 衆議院 法務委員会. 第147回国会. Vol. 16. 26 April 2000.
- ^ 『経済往来』1953年6月号、176頁。NDLJP:1412079/91。
- ^ 読売新聞東京本社1960年8月12日朝刊14版9面
- ^ 読売新聞東京本社1961年3月25日朝刊14版11面
- ^ 読売新聞東京本社1961年4月22日朝刊14版10面
- ^ 読売新聞東京本社1962年6月19日朝刊14版10面
- ^ 『判例タイムズ』第144巻、判例タイムズ社、1963年、46-47頁。
- ^ 東京高等裁判所 第五刑事部判決 1963年1月21日 高裁判例集第16巻1号1頁、昭和37(う)1735、『通貨及証券模造取締法違反被告事件』。
参考文献
- 参議院事務局編『参議院議員選挙一覧 第3回』参議院事務局、1955年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙” (PDF). 国立国会図書館. 2016年5月26日閲覧。
関連項目
外部リンク
日本の国政選挙・国民投票 |
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- 合:合併選挙(参議院議員通常選挙と合併した補欠選挙)が実施された年
- 再:再選挙が実施された年
- 未:補欠選挙が予定されたが、実施されたなかった年
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