杉山 令肇(すぎやま れいじょう、1922年10月7日[1] - 2005年6月11日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)
経歴
岐阜県岐阜市出身[2]。1962年に学校法人聖徳学園を設立し、初代理事長に就任[3]。岐阜県議会議員を3期務める。
1981年5月15日、自民党参議院議員の浅野拡が死去。これに伴って6月28日に行われた補欠選挙に自民党公認で立候補し初当選。1985年、第2次中曽根第2次改造内閣法務政務次官。1988年、参議院文教委員長。
1989年の第15回参議院議員通常選挙で、連合の会公認の高井和伸に敗れ落選。1997年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。2005年6月11日、肺炎のため岐阜県笠松町の病院で死去、82歳[2]。死没日をもって従四位に叙される[4]。
脚注
参考文献
- 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』(大蔵省印刷局、1990年)
![日本の旗](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9e/Flag_of_Japan.svg/25px-Flag_of_Japan.svg.png) 参議院文教委員長 (1988年-1989年) |
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定数1 (第16回以前) |
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定数1 (第23回以降) |
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↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 |