村山 道雄 むらやま みちお |
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生年月日 |
(1902-03-31) 1902年3月31日 |
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出生地 |
兵庫県 |
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没年月日 |
(1981-12-10) 1981年12月10日(79歳没) |
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出身校 |
東京帝国大学法学部政治学科 |
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所属政党 |
自由民主党 |
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称号 |
勲二等旭日重光章、正四位 |
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山形県知事 |
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当選回数 |
2回 |
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在任期間 |
1947年 - 1955年 |
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参議院議員 |
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選挙区 |
山形県選挙区 |
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当選回数 |
1回 |
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在任期間 |
1959年 - 1965年 |
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村山 道雄(むらやま みちお、1902年3月31日 - 1981年12月10日)は、日本の政治家。山形県知事[1][2][3][4]や参議院議員を務めた。また、アララギ派の歌人でもあった。1972年勲二等旭日重光章。1982年正四位。
生涯
兵庫県出身。東京帝大法学部政治学科卒[5]。1945年官選山形縣知事[1]、1947年から山形県知事を2期8年務めた[2][3][4]。同年8月に行われた昭和天皇の戦後巡幸では随行役を務めた[6]ほか、在任中は基督教独立学園高等学校の新制高校認可を助けるなどした。1950年[7]に自由党入党。
知事退任後は、1959年の第5回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で山形地方区から出馬し当選[8][9]。内閣委員長を務めている[10][11]。
1981年12月10日、老衰のため79歳で死去。
著書
- 歌集
- 『歌集山形』潮汐発行所、1950年。1955年、増補版。
- 『蔵王 : 歌集』歌集蔵王発行所、1963年。
- 共著
参考文献
本文の典拠。主な執筆者、編者の50音順。
- 「参議院予算委員会における村山道雄氏の質問と関係大臣の答弁」『観光情報』第119号、運輸省、1961年3月、4 (0005.jp2)、doi:10.11501/1745207。
- 功刀 俊洋「1950年代の知事選挙(3)」『行政社会論集』第15巻第1号、福島大学、2002年10月15日、1-36頁、CRID 1050001337527579264、ISSN 0916-1384。
- 「衆議院内閣委員長 永山忠則氏 参議院内閣委員長 村山道雄氏」『国会月報』第8巻10 (167)、国会資料協会、1962年10月、7 (コマ番号0005.jp2)、doi:10.11501/2695228。
- 小林亦治「村山道雄」『退屈ノート : 随筆』小林亦治、山形、1963年、(コマ番号0022.jp2)頁。doi:10.11501/2933868。
- 明治大正昭和新聞研究会 編集製作 編「初の民選開票結果続々判る・山形県知事に村山道雄」『新聞集成昭和編年史 昭和22年版』2号、新聞資料出版、1999年7月、472頁。全国書誌番号:99127096。
- 歴代知事編纂会 編「山形県」『日本の歴代知事』 1巻、歴代知事編纂会、1980年、462, 465頁。
- 「□歴代知事と治績 §三十一代 村山道雄」p. 462
- 「〈公選知事〉 §三十四代 村山道雄」p. 465
- 「〈公選知事〉 §三十五代 村山道雄」p. 465
脚注
- ^ a b 『日本の歴代知事』 1980, p. 462, 「□歴代知事と治績 §三十一代 村山道雄」
- ^ a b 『新聞集成昭和編年史 昭和22年版』 1999, p. 472, 「山形県知事に村山道雄」
- ^ a b 『日本の歴代知事』 1980, p. 465, 「〈公選知事〉§三十四代 村山道雄」
- ^ a b 『日本の歴代知事』 1980, p. 465, 「〈公選知事〉 §三十五代 村山道雄」
- ^ “村山 道雄”. 『新訂 政治家人名事典』明治~昭和. 2019年5月25日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、97頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 功刀 2002, pp. 1–36
- ^ 『参議院追悼演説集』 1985, p. 180, 「第42回 松村秀逸氏 自民・全国」
- ^ 運輸省 1961, p. 4
- ^ 『国会月報』 1962, p. 7
- ^ 「昭和38年5月14日(第1号)」(PDF)『第43回国会 参議院内閣委員会会議録 第17号』、参議院、1963年5月14日、299 (1)、2022年9月26日閲覧。「出席者 委員長 村山道雄君」