北浜 健介(きたはま けんすけ、1975年12月28日 - )は、将棋棋士。棋士番号211。神奈川県海老名市出身。佐伯昌優九段門下。
棋歴
6歳の頃に父親が棋書を買ってきたのが、将棋を覚えたきっかけである[1]。1987年、小学6年(予選時は小学5年)のとき、第12回小学生将棋名人戦で準優勝(決勝で田村康介に敗れる)。翌年の秋から奨励会で指し始める。
三段リーグには、第13回(1993年度前期)にて初参戦。12勝6敗で4位という上々のデビューを果たすと、第14回(1993年度後期)でも再び12勝6敗の成績を収めて2位となり、四段昇段を決めた[注 1]。
上記成績の結果、1994年に18歳でプロデビュー。当時、現役棋士の中で最年少であった。
プロ入り後
プロ1年目のとき、第13回全日本プロ将棋トーナメントで、佐藤康光、森下卓らを破ってベスト4に進出。
初参加の順位戦(第53期・1994年度C級2組順位戦)は4勝6敗に終わったが、次期に10戦全勝してC級1組へと昇級を果たす。C級1組でも、初年度は2勝8敗と低迷し降級点を喫するが、翌年の第56期では8勝2敗の好成績を収め、B級2組へ昇級。これらのことから、当時は「2年目の北浜」と呼ばれた。早い出世のため、C級1組以上では最年少となり、当時、B級以上で北浜に次ぐ低年齢は、5、6歳年上の「羽生世代」であった。
早指し新鋭戦で、2度の準優勝がある。第18回(1999年)の決勝で深浦康市に敗れ、第21回(2002年)の決勝では山崎隆之に敗れた。また、第31回(2000年度)新人王戦でも準優勝(決勝三番勝負で山崎隆之に1勝2敗で敗れる)。他には第13期竜王戦にて5組へ昇級。
2002年度の第61期順位戦B級2組で8勝2敗の成績を挙げ、B級1組に昇級。
2003年度は第62期順位戦B級1組で8勝4敗の好成績を挙げたが、4位で昇級に届かなかった(なお、当期以降はB級1組での勝ち越しは出来なかった)。
2005年度は第46期王位戦でリーグ入り。谷川浩司と先崎学に勝利したが、リーグ残留はできなかった。第64期順位戦では苦戦したが、最終局で先崎学との「勝利すれば残留、負ければ陥落」対決を制し、残留を果たす(先崎はこの敗戦で陥落)。
前述の通り、竜王戦では長らく苦戦していたが、第20期(2007年度)で4組3位、第21期で3組3位となり、2年連続昇級で2組入りした。
順位戦B級1組には6期連続在籍していたが、2008年度は成績不振で、最終局1局を残した状態でB級2組への降級が決まってしまった。しかし、最終局の対・森下卓戦では、終盤で解説者(ネット中継)を驚嘆させる寄せを披露して4勝目を挙げ、意地を見せた(その結果、森下が共に降級となった)。
2010年度は第69期順位戦B級2組にて、最終局で勝てばB級1組へ復帰という状況だったが、橋本崇載に敗れて4位に終わった。また、第58期王座戦にて、初の決勝トーナメント進出を果たしたが、渡辺明に初戦で敗退。
2011年度も第70期順位戦B級2組にて再び昇級争いを繰り広げ(1位は既に広瀬章人が確定)、「最終局で勝利し、飯塚祐紀が敗れれば2位」という状況だった。しかし、自身と飯塚の両者が共に勝利したため、3位に終わった。第82期棋聖戦では、初めて決勝トーナメントへと勝ち進んだが、佐藤天彦(当期挑決進出者)相手に初戦で敗退した。第24期竜王戦では2連敗して、3組へ降級した。
2013年度は、第26期竜王戦で昇級者決定戦を制して2組に昇級した。
2014年度は、第85期棋聖戦で勝ち進み、自己最高となるベスト8まで進出した。
2015年度は、第23期銀河戦にて本戦ブロック2連勝という幸運で、決勝トーナメントに初出場を果たす。初戦でも渡辺明に勝利してベスト8まで進出した。
2016年度は第29期竜王戦で2連敗して、2度目の3組降級となった。
2017年度は第76期順位戦B級2組にて、8勝2敗の好成績を収めたが3位に終わった。第3期叡王戦では予選で3連勝し、初の本戦進出を決めた(初戦で佐藤康光に敗戦)。
2019年度は第78期順位戦B級2組にて苦戦し、最終局で敗れると降級点という状況だったが、最終局の相手は「勝てばB級1組に昇級」の横山泰明だった。結果、北浜が勝利して降級点を回避すると同時に、横山の昇級を阻止した。
2020年度は第33期竜王戦で2連敗して、4組へ降級した。
棋風
ゴキゲン中飛車を得意とする切れ味の鋭い振り飛車党で、激しい攻め合いの将棋を選ぶことが多い[2]。
人物
詰将棋
- 詰将棋作家としても知られる。中手数の制作を得意とするが、短手数の『脳トレ○手詰』はシリーズ化されている(監修を除けば、年齢が最も若いプロ棋士による詰将棋作品集となっている)。また、『将棋世界』誌における詰将棋サロンの選者を務めた実績も持つ。その他、BSプレミアム『将棋列伝』、早水千紗女流三段とともに『魅惑の詰将棋』などの司会も担当するなど、詰将棋の普及、啓蒙に精力的である。
- 詰将棋を解くのも得意であり、2007年5月5日に開催された第4回詰将棋解答選手権で優勝した(2位谷川浩司、3位広瀬章人)。しかし、子供の頃は詰将棋を解くのが苦手だったといい、得意となったのは奨励会時代に、詰将棋に打ち込んでからだという(前述『魅惑の詰将棋』による本人の発言)。
その他
- 早稲田大学社会科学部卒。プロ棋士としての生活と学業を両立した。
- 趣味は競馬観戦であり、かなり精通している[1]。
- 将棋ニュースプラス内の企画の「激突! 目隠し10秒将棋II」で優勝。その後2007年1月26日配信の鈴木環那との目隠しエキシビジョンマッチでは、開始早々から鈴木が目隠しを外すルール破りをし、更に解説の豊川孝弘が近くで大声で解説して北浜の思考力を鈍らせるという圧倒的不利な状況にもかかわらず、勝利してみせた。
- 元々関西が好きで、以前から住んでみたいと考えていたが、2014年、対戦相手や研究会のメンバーを大きく変えたいとの理由で関西への移籍を実現した。
- 関東時代のみならず関西移籍後も出身地である海老名市での普及活動も熱心に行っている。2006年より市内の小中学校をまわっての指導[3]、2009年より開催されている「えびなっ子将棋名人戦」と「親子ふれあい将棋教室」の審判長・講師を務めている[4][5]。
- 奨励会幹事を関東で2011年11月から2014年の3月まで、関西で2017年4月から2023年の12月まで務めた。東西の奨励会で幹事を務めた棋士は史上初だとされている[6]。
- ニコニコ生放送で定着した「係長」という異名を持つ[7]。第3期叡王戦の本戦トーナメントPVでも、前述通り初戦の相手が佐藤康光だったため、「会長 VS 係長」と紹介された[8]。
昇段履歴
- 1988年09月00日 : 6級 = 奨励会入会
- 1992年00月00日 : 初段
- 1994年04月01日 : 四段 = プロ入り
- 1996年04月01日 : 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1998年04月01日 : 六段(順位戦B級2組昇級)
- 2003年04月01日 : 七段(順位戦B級1組昇級)[9]
- 2013年03月07日 : 八段(勝数規定 /七段昇段後公式戦190勝)[10]
主な成績
在籍クラス
年度別成績
公式棋戦成績
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
1994
|
36 |
19 |
17 |
0.5278 |
[13]
|
1995
|
45 |
32 |
13 |
0.7111 |
[14]
|
1996
|
27 |
9 |
18 |
0.3333 |
[15]
|
1997
|
41 |
31 |
10 |
0.7561 |
[16]
|
1998
|
39 |
19 |
20 |
0.4872 |
[17]
|
1999
|
46 |
28 |
18 |
0.6087 |
[18]
|
2000
|
45 |
26 |
19 |
0.5778 |
[19]
|
1994-2000 (小計)
|
279 |
164 |
115 |
|
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
2001
|
40 |
26 |
14 |
0.6500 |
[20]
|
2002
|
38 |
21 |
17 |
0.5526 |
[21]
|
2003
|
35 |
21 |
14 |
0.6000 |
[22]
|
2004
|
32 |
16 |
16 |
0.5000 |
[23]
|
2005
|
41 |
23 |
18 |
0.5610 |
[24]
|
2006
|
40 |
22 |
18 |
0.5500 |
[25]
|
2007
|
29 |
14 |
15 |
0.4828 |
[26]
|
2008
|
31 |
15 |
16 |
0.4839 |
[27]
|
2009
|
36 |
20 |
16 |
0.2556 |
[28]
|
2010
|
33 |
19 |
14 |
0.5758 |
[29]
|
2001-2010 (小計)
|
355 |
197 |
158 |
|
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
2011
|
30 |
20 |
10 |
0.6667 |
[30]
|
2012
|
36 |
22 |
14 |
0.6111 |
[31]
|
2013
|
30 |
16 |
14 |
0.5333 |
[32]
|
2014
|
35 |
23 |
12 |
0.6571 |
[33]
|
2015
|
35 |
16 |
19 |
0.4571 |
[34]
|
2016
|
34 |
20 |
14 |
0.5882 |
[35]
|
2017
|
33 |
18 |
15 |
0.5455 |
[36]
|
2018
|
32 |
16 |
16 |
0.5000 |
[37]
|
2019
|
29 |
11 |
18 |
0.3793 |
[38]
|
2020
|
30 |
14 |
16 |
0.4667 |
[39]
|
2011-2020 (小計)
|
324 |
176 |
148 |
|
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
2021
|
30 |
14 |
16 |
0.4667 |
[40]
|
2022
|
29 |
11 |
18 |
0.3793 |
[41]
|
2023
|
28 |
14 |
14 |
0.5000 |
[42]
|
2021-2023 (小計)
|
87 |
39 |
48 |
|
|
通算
|
1045 |
576 |
469 |
0.5511 |
[43]
|
2023年度まで
|
珍記録
上述の通り、北浜は、特に順位戦において好不調の波が顕著な傾向にあり、それゆえに、他の棋士が達成できないような珍しい記録も保持している。以下に北浜の珍記録を挙げる(いずれも達成したのは2024年3月現在で北浜のみである)。
- C級1組で降級点を取得して、それを抹消することなくB級2組に昇級[注 2]。
- B級2組以下で降級点取得を経験しながら、B級1組に初昇級[注 3]。
脚注
注釈
- ^ 昇段争いのライバルは鈴木大介・松本佳介・北島忠雄の3名で、北浜自身は最終日に1勝1敗だった。しかし、順位が下の鈴木は2連敗して12勝6敗、順位が上の松本と北島は1勝1敗で11勝7敗に終わったため、2位に滑り込みを決めるという逆転昇段だった。特に鈴木は最終日前に12勝2敗の好成績を収めており、あと1勝で昇段という状況であったが、そこから4連敗を喫して昇段を逃すという不運だった。なお、鈴木は次回の第15回リーグで14勝4敗の成績を収めて、2位での昇段を決めている。
- ^ C級1組で降級点を取得した経験のある棋士が、後にB級2組に昇級したという意味では桜井昇・土佐浩司に続き史上3人目だが、両者共に昇級の過程で降級点を抹消した。また、北浜の後に窪田義行も史上4人目となったが、やはり昇級の過程で降級点を抹消した。
- ^ 再昇級を含めれば、松田茂役(1974年度・第29期)・木村義徳(1978年度・第37期)も達成した。
出典
関連項目
外部リンク
日本将棋連盟所属棋士 ( 現役棋士 および 2024年度引退棋士) |
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タイトル 保持者 【九段 6名】 【七段 1名】 |
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九段 【26名】 | |
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八段 【33名】 | |
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七段 【45名】 | |
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六段 【27名】 | |
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五段 【21名】 | |
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四段 【15名】 | |
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2024年度 引退棋士 |
- 九段 青野照市 (2024年6月13日 引退)
- 八段 室岡克彦 (2024年6月18日 引退)
- 八段 中座真 (2024年6月19日 引退)
- 七段 伊奈祐介 (2024年5月10日 引退)
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現役棋士 全174名(2024年11月6日時点、日本将棋連盟所属) / △は2024年度の昇段 / 引退棋士の()は引退日 / 詳細は将棋棋士一覧を参照 |
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竜王 | |
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1組 【 ▼降級 4名 】 | |
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2組
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3組
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4組
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5組
|
【在籍 31名(棋士30名・奨励会員1名) / 定員 32名 (欠員1) 】
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6組 【 △昇級 5名 】 |
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次期から出場 |
- 2025年4月昇段者(2-3名)
- 2025年10月昇段者(2-3名)
- (いずれも第39期からの出場)
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★挑戦者 / △次期昇級 / ▼次期降級 / 初 初参加棋士(棋士として初参加) / 詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照。 |
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名人 | |
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A級 | |
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B級1組 | |
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B級2組 | |
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C級1組 | |
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C級2組 | |
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フリー クラス
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| 宣言 | |
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棋戦限定 出場 | |
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2024年度 引退者 |
- 伊奈祐介 (2024年5月10日 引退)
- 青野照市 (2024年6月13日 引退)
- 室岡克彦 (2024年6月18日 引退)
- 中座真 (2024年6月19日 引退)
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次期から の出場者
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フリークラスからの昇級者 | |
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2024年10月1日昇段者 | |
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先頭の数字は順位(名人、フリークラス以外)/ フリークラスの数字は在籍可能残り年数(2024年度開始時点) B級2組 - C級2組の * は降級点の数(B級2組・C級1組は降級点2回で降級、C級2組は降級点3回で降級) 詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照 |