近衛 内前(このえ うちさき、旧字体:近󠄁衞 內前󠄁)は、江戸時代中期の公卿。官位は従一位・摂政、関白、准三宮、太政大臣。近衛家24代当主。後陽成天皇の男系六世子孫である。
太政大臣・近衛家久の長男。享保19年(1734年)に元服。桃園天皇、後桃園天皇の関白、後桜町天皇、後桃園天皇の摂政を務めた。また、安永8年(1779年)に後桃園天皇が崩御した際、後桜町上皇と共に伏見宮家から継嗣を迎えようとしたという。
近衛家は、藤原忠通の子である近衛基実を始祖とし、五摂家の一つであった。
基実 - 基通 - 家実 - 兼経 - 基平 - 家基 - 家平 - 経忠 - 経平 - 道嗣 - 兼嗣 - 忠嗣 - 房嗣 - 政家 - 尚通 - 稙家 - 前久 - 信尹 - 信尋 - 尚嗣 - 基熙 - 家熙 - 家久 - 内前 - 経熙 - 基前 - 忠煕 - 忠房 - 篤麿 - 文麿 - 文隆 - 忠煇
中大兄皇子を摂政とみなすのは、『藤氏家伝』上巻に「〔斉明天皇〕悉以庶務、委皇太子。皇太子毎事諮決、然後施行」とあることによる。草壁皇子を摂政とみなすのは、『日本書紀』天武天皇10年2月25日条に「立草壁皇子尊、為皇太子。因以令摂万機」とあることによる。
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