三条 実重(さんじょう さねしげ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿。内大臣・三条公親の子。官位は従一位・太政大臣。三条入道相国と号す。
経歴
以下、『公卿補任』の内容に従って記述する。
正応5年の左右近衛大将人事
正応5年(1292年)は西園寺公衡が更迭されたことにより、近衛大将の人事に混乱が生じた年である。同年5月15日、左大将には権大納言花山院家教が、右大将には権大納言西園寺公衡が任じられた。しかし閏6月16日に公衡が更迭されたために、先に右大将を止められていた三条実重は改めて左大将に、左大将に任じられていた家教は右大将にということになった。しかし実重は12月に左大将を止められて左大将の後任には権大納言久我通雄が任じられた。左大将久我通雄、右大将花山院家教という体制で永仁5年(1297年)まで続くことになった。
系譜
脚注
- ^ 従三位。二条良実娘。徳大寺公孝室
参考文献
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皇親太政大臣 |
白鳳時代 | |
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奈良時代 |
- 舎人親王(知太政官事)720-735
- 鈴鹿王(知太政官事)737-745
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人臣太政大臣 |
奈良時代 | |
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平安時代 | |
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鎌倉時代 | |
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南北朝時代 |
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室町時代 | |
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戦国時代 | |
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安土桃山時代 | |
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江戸時代 | |
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明治時代 | |
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