久我 清通(こが きよみち)は、室町時代前期から中期にかけての公卿。権大納言・久我通宣の子。官位は従一位、太政大臣。
嘉吉元年(1441年)11月2日、嘉吉の変で足利義教が殺害された混乱に乗じて、源氏長者の地位を申請して任ぜられる。だが、没後に足利義政が再び源氏長者に任じられたため、源氏長者の地位は再び足利将軍家に戻った。
経歴
明徳4年(1393年)、誕生。永享元年(1429年)、内大臣(1429年 - 1432年)となる。
嘉吉2年(1442年)1月5日 叙従一位。享徳元年(1452年)太政大臣(1452年 - 1453年)となる。
享徳2年(1453年)、薨去。
系譜
- 父:久我通宣(1373-1433)
- 母:不詳
- 妻:不詳
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皇親太政大臣 |
白鳳時代 | |
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奈良時代 |
- 舎人親王(知太政官事)720-735
- 鈴鹿王(知太政官事)737-745
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人臣太政大臣 |
奈良時代 | |
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平安時代 | |
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鎌倉時代 | |
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南北朝時代 |
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室町時代 | |
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戦国時代 | |
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安土桃山時代 | |
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江戸時代 | |
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明治時代 | |
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