二条 兼基(にじょう かねもと)は、鎌倉時代の公卿。関白二条良実の子。兄師忠の養子となり二条家を継ぐ。正室は従一位禖子(九条忠教の娘)。子に二条道平らがいる。従一位。号に光明照院関白。
経歴
建治3年(1277年)4月21日元服、従五位下。弘安6年(1283年)叙従三位。正応元年(1288年)正二位、正応4年内大臣さらに右大臣となる。永仁2年(1294年)従一位、永仁4年(1296年)左大臣にすすみ、永仁6年(1298年)摂政、氏長者となる。正安元年(1299年)太政大臣、翌年関白となる。徳治3年(1308年)7月20日に出家。法名は円空。
建武元年(1334年)8月22日、68歳で薨去。
系譜
参考文献
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皇親摂政 |
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中大兄皇子を摂政とみなすのは、『藤氏家伝』上巻に「〔斉明天皇〕悉以庶務、委皇太子。皇太子毎事諮決、然後施行」とあることによる。 草壁皇子を摂政とみなすのは、『日本書紀』天武天皇10年2月25日条に「立草壁皇子尊、為皇太子。因以令摂万機」とあることによる。
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- 舎人親王(知太政官事)720-735
- 鈴鹿王(知太政官事)737-745
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