九条 輔実(くじょう すけざね)は、江戸時代中期の摂政・関白。号は後洞院。
寛文9年(1669年)に九条兼晴の子として生まれる。母は九条道房の娘・待姫。延宝4年(1676年)に叙従三位。右大臣(1704年 - 1708年)、左大臣(1708年 - 1715年)、摂政(1712年 - 1716年)、関白(1716年 - 1722年)などを歴任。享保14年(1730年)、61歳で死去。
絵画が得意で、京都上善寺の弁天十五童子は彼の遺作といわれている。
中大兄皇子を摂政とみなすのは、『藤氏家伝』上巻に「〔斉明天皇〕悉以庶務、委皇太子。皇太子毎事諮決、然後施行」とあることによる。草壁皇子を摂政とみなすのは、『日本書紀』天武天皇10年2月25日条に「立草壁皇子尊、為皇太子。因以令摂万機」とあることによる。