西村 昭宏(にしむら あきひろ、1958年8月8日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
現役時代はヤンマーディーゼルサッカー部の守備的ミッドフィルダー、ディフェンダーとして活躍し、日本代表としても国際Aマッチ出場49試合を誇る。1986 FIFAワールドカップ・アジア予選では1次予選のシンガポール戦で代表初ゴールを含む2ゴールを挙げるなど[1]、守備面で代表の最終予選進出に貢献した。
1991年に現役を引退。ガンバ大阪でコーチやユース監督を歴任した後、1999年から2001年にかけてユース日本代表の監督を務め、AFCユース選手権2000で準優勝。2001 FIFAワールドユース選手権に出場した。その後セレッソ大阪に移り、同年11月にはJ2への降格が決まった責任を取って辞任したジョアン・カルロスの後を受けて同チームの監督に就任した。
当初はシーズン終了までの代理監督の予定だったが、監督就任後はJリーグのリーグ戦で3連勝、天皇杯でも準優勝とそれまでの不振が嘘のような好成績を挙げたため、急遽翌年以降も続投が決定。2002年にはJ2でリーグ2位となり1年でJ1への復帰を果たした。しかし2003年に入り、J1・1stステージは5位に入るものの2ndステージに入り連敗が続いたことから、同年10月に監督を解任された。
2004年より京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)の監督に就任するが、J2のリーグ戦で開幕から低迷したために同年6月に監督を解任された。同年12月にC大阪に復帰し、チーム統括部ゼネラルマネージャーに就任。しかし2006年にC大阪はJ2降格、翌2007年もJ2でのスタートに失敗したため、同年5月に都並敏史監督とともにGM職を解任された。
以後はJFA技術委員を務める一方で、2009年には2012年のロンドンオリンピック出場を目指すU-20日本代表の暫定監督に就任し、同年12月の東アジア競技大会、2010年5月のトゥーロン国際大会などに出場する代表の指揮を執った。
2010年1月に小野剛が辞任したため、育成担当技術委員長を代行[2]。
2010年9月のJFA理事会でJFA特任理事に就任[3]。そして正式に育成担当技術委員長に就任[4]。
2013年1月末に任期満了で育成担当技術委員長を退任[5]。
2014年よりアイゴッソ高知の監督に就任。2016年より高知ユナイテッドSCの初代監督に就任したが、同年12月で退任[6] しスーパーバイザーに就任。翌2018年からゼネラルマネージャーに就任。
2020年1月9日、退任した大谷武文の後任としてトップチーム監督に復帰。GM職との兼任となる[7]。大谷の退任についてはJFL昇格に伴う予算の増額で監督報酬を抑制する必要に迫られたためと報じられている[8]。2022年からは監督を退任し、GM職に専念する[9]。
・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 4回出場:1981年、1984年、1986年、1987年
その他の公式戦