羽田 憲司(はねだ けんじ、1981年12月1日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。サッカー指導者。
市立船橋高校時代は、キャプテンおよびディフェンスリーダーとして第78回高校選手権の優勝に貢献。2000年に鹿島アントラーズに入団。プロ入り後はセンターバックやボランチで主にプレーし、2001年ワールドユース選手権ではU-20日本代表のキャプテンを務めた。
2001年8月、足首に原因不明の痛みを覚え、長期にわたる戦線離脱を余儀なくされる。ブラジルでの手術後は状態が好転し、2005年5月21日のナビスコカップ・セレッソ大阪戦で3年9ヶ月ぶりの公式戦出場を果たす。2007年より当時J2のセレッソ大阪へ期限付き移籍し、2009年には同チームへ完全移籍した。2011年よりヴィッセル神戸へ移籍したが、故障の影響で2年間で6試合出場にとどまる。2012年限りで契約満了により退団し、現役引退を発表した[1]。上記の通り長期離脱を余儀なくされるも、リハビリ中にサッカーを諦める事は考えなかったという。[要出典]
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