吉田 靖(よしだ やすし、1960年8月9日 - )は、東京都練馬区出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード。愛称は「ヤッコ」。
國學院久我山高校から早稲田大学教育学部へ進学しア式蹴球部へ入部。1年次よりフォワードのレギュラーを獲得し、4年次には主将を務めた。また全日本学生選抜にも選出され、日韓学生代表定期戦やマラハリムカップなどの国際大会に出場した。当時の日本学生選抜のメンバーは、左ウイングに早大の関塚隆、センターフォワードに国士舘大学の柱谷幸一らがいた。
1983年に日本サッカーリーグ(JSL)の三菱重工(現浦和レッドダイヤモンズ)に入団。11秒台前半の俊足を生かした右ウインガーとして活躍しJSLでは1部通算146試合出場24得点を記録した。
引退後は1992年より浦和のトップチームコーチ、浦和ユースのコーチや監督を務め、監督として1997年のクラブユース選手権で優勝を果たしている。その後はU-20日本代表のコーチを務め1999年に辞任したア・デモスの後を受け浦和の総監督を天皇杯限定で務めた。2005年からU-20日本代表監督を務め2006年のAFCユース選手権で準優勝、翌年のFIFA U-20ワールドカップで16強入りした。
2011年より再びU-18日本代表監督に就任。2012年のAFCユース選手権に出場するも準決勝でイラクに敗れ、FIFA U-20ワールドカップ出場を逃した。そののちにU-19日本代表退任が発表された。
2012年12月19日、ロアッソ熊本の監督に就任した[2]。2013年シーズン、第23節を終えた時点で5勝7分11敗の19位に低迷し、7月10日に退任が発表された[3](一部報道機関では解任としている[4][5])。
2013年9月11日、浦和レッズレディースの監督に就任した[6]。2016年12月、監督を退任[7]。
その他の公式戦
斉藤和夫 - 1992
この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。