青山 隼(あおやま じゅん、1988年1月3日 - )は、日本の俳優[3]、6人組昭和歌謡&ポップスグループ SHOW-WA のメンバー。元サッカー選手[3]。
宮城県仙台市出身、豊田大谷高等学校卒業。ジャパン・ミュージックエンターテインメント(イー・コンセプト)所属。伯母は女優の篠ひろ子[1][2]。サッカー現役時代のポジションはMF(ボランチ)。
地元のFCみやぎバルセロナジュニアユースを経て、高校生年代では名古屋グランパスエイトU-18に所属。2006年、ユースからただ1人トップチームに昇格した[4]。
14歳以下の年代から日本代表に選ばれ、AFC U-17選手権2004に出場したU-16日本代表ではキャプテンを務めた。2006年カタール国際親善大会(U-19)では予選リーグ3試合、準決勝、決勝の全5試合にフル出場し、日本代表の優勝に貢献した。2006年10月に開催されたAFCユース選手権2006にも日本代表として出場。2007 FIFA U-20ワールドカップにもU-20代表として選出。不動のボランチとして3試合にスタメンフル出場し、グループリーグ初戦のスコットランド戦では豪快なミドルシュートで3点目を決めた。労を惜しまない守備だけではなく、中盤の底で攻撃の基点としても貢献した。
しかし、名古屋では出場機会を殆ど得られず、2008年5月にJ2のセレッソ大阪へレンタル移籍。後半戦のC大阪で出場機会を得て、経験を積んだ。
2009年より、3年連続J2最下位を受け、積極的な補強をおこなっていた徳島ヴォルティスへレンタル移籍[5][6]。徳島では、開幕戦にフル出場すると、第6節からはスタメンに定着。2009年8月1日の対愛媛FC戦(四国ダービー)でJ初ゴールを決めた。2010年からは徳島へ完全移籍した。
2011年より、浦和レッズに完全移籍。しかし、2012年に徳島に期限付きで復帰、2013年には完全移籍となった。2015年7月にシーズン途中での現役引退を表明[7]、クラブと青山の双方合意の上で契約を解除した[8]。
2018年7月には古巣である徳島ヴォルティスのレジェンドアンバサダーに就任し、同チームのPR活動に関わっている[9]。
徳島ヴォルティスの熱狂的サポーターとして知られた俳優の大杉漣に憧れ、現役引退後「1回きりの人生。チャレンジしてみよう」と俳優に転身[1][2][10][11]。サッカーのコーチのアルバイトで生活費を稼ぎつつ勉強を続け[2]、ジャパン・ミュージックエンターテインメントに所属して2016年11月の舞台『RANPO chronicle 虚構のペルソナ』で初の舞台に立った[12]。
2024年9月4日、6人組昭和歌謡&ポップスグループ「SHOW-WA」としてメジャーデビュー。
本職はボランチ。ディフェンダーとしてもプレーできる。正確なロングパスと、恵まれたフィジカルを生かしたタイトな守備、攻撃参加からのミドルシュートが持ち味[13][14]。