田口 光久(たぐち みつひさ、1955年2月14日 - 2019年11月12日[1])は、秋田県河辺郡河辺町赤平(現在の秋田市河辺)出身。元サッカー日本代表。ポジションはGK。
秋田市立秋田商業高等学校卒業後の1973年に三菱重工サッカー部(現:浦和レッドダイヤモンズ)に入部。同年には日本ユース代表としてAFCユース選手権準優勝に貢献、翌1974年にもユース代表に選出され、同大会に出場した。所属する三菱では、正ゴールキーパーに横山謙三がいたため出場機会に恵まれなかったが、3年目の1975年にポジションを奪取、翌1976年には日本代表に選出され、代表でも正ゴールキーパーの座を確保するようになり、国際Aマッチ59試合に出場。また、1982年から1984年まで主将を務め、低迷期の日本サッカーを支えた。
引退後は指導者の道へ進み、秋田経法大附属高校や青森山田高校のサッカー部監督としてユース年代の育成に努めた。また、その体型からバラエティ番組に出演するようになり、1991年から1993年頃にかけて、日本テレビ系「とんねるずの生でダラダラいかせて」に出演し、PK対決コーナーで木梨憲武のパートナーとしてゴールキーパーを務めていた。ラーメンが大好物で、訪れた先々の御当地ラーメンを必ず食すことから、番組内では「メーランおやじ」の愛称がついた。
その後はJリーグ解説者や国際学院高等学校サッカー部総監督として活躍した。
田口は身長175cmであるが、現役時代は相手チームへの重圧を与えることを狙って178cmと高目にプロフィールを記載していた[2]。そのため、田口は「ゴールキーパーは身長でなく、俊敏な身体動作、ディフェンダーとのコンビネーションなどの総合力が大事である」としており、ヴァイッド・ハリルホジッチ(元日本代表監督)が唱えた「ゴールキーパーは身長190cm以上でないと良い選手とはいえない」という主張に対して反論していた[2]。
2019年11月12日午前3時2分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去[1]。64歳没。
・JSL東西対抗戦 3回出場(1980年、1981年、1982年)