長谷川 治久(はせがわ はるひさ、1957年4月14日 - )は、兵庫県出身の元サッカー選手。
人物・来歴
北陽高等学校、大阪商業大学を経て、JSLのヤンマーディーゼルサッカー部(現・セレッソ大阪)でFWとして活躍した。
大学在籍中より日本代表に選出され、モスクワオリンピック予選、ワールドカップ・スペイン大会予選に出場した。
ゴール前での得点感覚に優れ「釜本2世」と称された時期もあったが、1984年以降は極度の不振に苦しんだ。1987年に引退後はヤンマーの関連会社に出向していたが、1994年以降はサッカー界に戻り、Jリーグクラブのフロントスタッフを歴任している。
2007年からはスカパー!でセレッソ大阪のホームゲーム、近年はヴィッセル神戸のホームゲーム解説などを担当。
元プロ野球選手、元オリックス・バファローズ監督、現阪神タイガース監督の岡田彰布は高校の同級生。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本 |
リーグ戦 |
JSL杯 |
天皇杯 |
期間通算
|
1980 |
ヤンマー |
17 |
JSL1部 |
12 |
3 |
3 |
3 |
2 |
0 |
17 |
6
|
1981 |
9 |
1 |
1 |
2 |
2 |
1 |
12 |
4
|
1982 |
14 |
15 |
10 |
3 |
3 |
3 |
1 |
21 |
14
|
1983 |
17 |
7 |
4 |
3 |
4 |
2 |
25 |
12
|
1984 |
13 |
2 |
4 |
3 |
3 |
2 |
20 |
7
|
1985 |
7 |
1 |
1 |
0 |
1 |
0 |
9 |
1
|
1986-87 |
2 |
0 |
2 |
2 |
0 |
0 |
4 |
2
|
通算 |
日本 |
JSL1部
|
75 |
24 |
18 |
16 |
15 |
6 |
108 |
46
|
総通算
|
75 |
24 |
18 |
16 |
15 |
6 |
108 |
46
|
・JSL東西対抗戦 3回出場(1980年、1982年、1983年)
・JSL東西対抗戦 2得点(1982年、1983年)
・JSL選抜チーム(1983年)3試合0得点
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 15試合 4得点(1978-1981)[1]
スタッフ経歴
- 1994年11月-1997年10月 セレッソ大阪:運営委員
- 1997年10月-2000年8月 ヴィッセル神戸:チーム統括部長
- 2001年12月-2005年1月 名古屋グランパスエイト:編成担当部長
- 2005年1月-2005年11月 アビスパ福岡:育成統括
- 2005年12月-2006年12月 アビスパ福岡:チーム統括グループ長
出典
外部リンク