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この項目では、新潟県にある町について説明しています。秋田県にあった町については「湯沢町 (秋田県)」をご覧ください。 |
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「越後湯沢」はこの項目へ転送されています。JR東日本の駅については「越後湯沢駅」を、温泉地については「越後湯沢温泉」をご覧ください。 |
湯沢町(ゆざわまち)は、新潟県南魚沼郡の町。雪国観光圏を構成する自治体の一つ。
概要
1955年に湯沢村・神立村・土樽村・三俣村・三国村が合併して発足した[1]。2018年策定のブランドスローガンは「君と一緒に暮らす町」[2]で、観光立町を宣言している。秋田県湯沢市と区別するため越後湯沢(えちごゆざわ)と呼ばれることもある。南魚沼産コシヒカリや日本酒(地酒)の産地の一つ。
新潟県の最南端に位置し、関東地方(首都圏)への玄関口として国道17号、関越自動車道、上越線および上越新幹線といった交通インフラが集中している。
上信越高原国立公園と魚沼連峰県立自然公園を構成している自治体の一つで、日本百名山の苗場山や谷川岳を中心としてアウトドアレジャーや登山のメッカとなっている。日本海側気候に属する豪雪地帯で冬には多量の降雪があり、気象条件を生かしてウィンタースポーツを楽しめるスノーリゾートが多く存在する。
鎌倉時代[3]より続く温泉地である越後湯沢温泉があり、川端康成の小説『雪国』のモデルとなった。戦国時代には関東へ続く三国峠の守りの要衝として荒戸城や浅貝寄居城が築かれた。近世には三国街道の宿場町として湯沢宿(上宿・下宿)、三俣宿、二居宿、浅貝宿が存在した。
昭和の終わり頃から平成の初期(バブル時代前後)にかけて、複数のスキー場の新規開業や、58棟[4]のリゾートマンションの建設があった。その様子を取り上げて「東京都湯沢町」と題した連載が地元紙の新潟日報紙上で組まれた[5]。この連載は日本新聞協会賞を受賞し、単行本になって発行された。その後、バブル崩壊や平成不況に伴うスキーブームの終焉により、スキー客が減少したことで、リゾートマンションは売りに出されて価格は暴落し、スキー場も閉鎖が相次ぐなど湯沢町の経済や都市計画(まちづくり)に大きな影響を与えた。これらの一連の出来事から、リゾート開発や集落形成の一モデルとしてよく取り上げられる。
1999年以降は毎年夏に苗場で開催されるフジロックフェスティバルが人気を集めている。
2011年に発生した東日本大震災での被害は少なく、町が積極的に被災者の受け入れをしたことが高く評価された。
2020年以降の新型コロナウイルス感染症の流行下においては、リモートワーク・ワーケーションの浸透や、行政による補助制度の後押しなどにより、移住者が増えている[6][7]。
地理
新潟県の中部(中越地方)最南端に位置し、群馬県・長野県と県境を接する。全域が特別豪雪地帯。
魚沼盆地につながる北側を除いて町の東、南、西のいずれも越後山脈(三国山脈)に連なる2,000メートル級の山々に囲まれている。町の面積の90%以上が山林[8]。
越後山脈から魚沼丘陵に続く山並みで水系が東西に分断されており、東側は第四紀の成層火山である飯士山のすそ野に沿って流れる大源太川と、中央分水嶺から日本海に向かって流れる魚野川の堆積により、全体的には小さな盆地状の地形をしている。西側は概ね山域で、そこを流れる清津川に沿うように集落が点在している。
最低地点は南魚沼市との境界付近の294メートル、最高地点は佐武流山の2,191.5メートル。
山脈
越後山脈(三国山脈・谷川連峰)
山
白砂山・上ノ間山・稲包山・三坂峠・忠次郎山・上ノ倉山・佐武流山・大黒山・向山・三国峠・三国山・筍山・大源太山(太源太山)・天丸木山・赤倉山・赤湯山・平標山・仙ノ倉山・松手山・万太郎山・谷川岳・苗場山・一ノ倉岳・茂倉岳・神楽ヶ峰・日白山・東谷山・八木尾山・タカマタギ山・武能岳・白板山・向山・雁ヶ峰・足拍子山・荒沢山・七ツ小屋山・正面山・高石山・大源太山 ・柄沢山・方丈山・秋葉山・大峰山・立柄山・高津倉山・飯士山・高平ノ頭・ロクロノ頭
河川
- 魚野川・蓬沢・檜ノ又谷・茂倉谷・万太郎谷・毛渡沢・仙之倉谷・大根下シ沢・平標沢・小松沢・柄沢・松川入川・南沢川・戸沢川・平沢川・駒形川・ツナギ川・松出沢・江沢川・主水沢・仲間沢・滝沢川(滝ノ沢)・大布場川・湯ノ沢川
- 大源太川・北沢・ヒロクボ沢・芝倉沢・足拍子川・小沢・岩の沢・中の沢・奥添地川・居頭沢
- 清津川・外ノ川・高石沢・庄八ノ沢・八木沢・コベヤ沢・葦ノ沢・水無川・カッサ川・祓川・二居川・地王堂川・大川・ヤカイ沢・河内沢・田代沢・棒沢・上ユウビツ倉沢・熊沢・サゴイ沢・西ノ沢・セバト川・大栃沢・赤沢・浅貝川・湯之沢・コベックラ沢・北ノイリ沢
湖沼
いずれも砂防・治水・利水などを目的としたダム・堰堤による人造湖。
二居湖(二居ダム)・田代湖(カッサダム)・カッサ川ダム・大源太湖(大源太川1号砂防堰堤)
自然公園
- 国立公園
- 県立公園
- レクリエーションの森
- 苗場自然休養林
- 浅貝自然観察教育林
- 苗場ふれあいの郷森林スポーツ林
- 田代原スポーツ林
- 飯士高原スポーツ林
隣接自治体
※北から西回りに
気候
寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。日本有数の豪雪地帯であり、周辺の自治体と同様に特別豪雪地帯に指定されている。
湯沢(1991年 - 2020年)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
最高気温記録 °C (°F)
|
15.5 (59.9)
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17.8 (64)
|
22.8 (73)
|
28.5 (83.3)
|
34.1 (93.4)
|
35.4 (95.7)
|
36.6 (97.9)
|
37.2 (99)
|
34.7 (94.5)
|
31.0 (87.8)
|
25.3 (77.5)
|
21.5 (70.7)
|
37.2 (99)
|
平均最高気温 °C (°F)
|
2.8 (37)
|
3.6 (38.5)
|
7.7 (45.9)
|
15.3 (59.5)
|
21.9 (71.4)
|
25.0 (77)
|
28.5 (83.3)
|
29.9 (85.8)
|
25.4 (77.7)
|
19.1 (66.4)
|
12.8 (55)
|
6.1 (43)
|
16.5 (61.7)
|
日平均気温 °C (°F)
|
−0.4 (31.3)
|
−0.1 (31.8)
|
3.0 (37.4)
|
9.2 (48.6)
|
15.7 (60.3)
|
19.9 (67.8)
|
23.5 (74.3)
|
24.7 (76.5)
|
20.5 (68.9)
|
14.3 (57.7)
|
7.9 (46.2)
|
2.3 (36.1)
|
11.7 (53.1)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
−3.2 (26.2)
|
−3.4 (25.9)
|
−0.9 (30.4)
|
3.9 (39)
|
10.1 (50.2)
|
15.4 (59.7)
|
19.7 (67.5)
|
20.6 (69.1)
|
16.6 (61.9)
|
10.3 (50.5)
|
3.9 (39)
|
−0.7 (30.7)
|
7.7 (45.9)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−12.6 (9.3)
|
−11.5 (11.3)
|
−10.6 (12.9)
|
−5.6 (21.9)
|
0.7 (33.3)
|
6.2 (43.2)
|
11.6 (52.9)
|
13.1 (55.6)
|
6.2 (43.2)
|
0.1 (32.2)
|
−6.6 (20.1)
|
−9.8 (14.4)
|
−12.6 (9.3)
|
降水量 mm (inch)
|
314.9 (12.398)
|
213.3 (8.398)
|
165.4 (6.512)
|
109.6 (4.315)
|
99.7 (3.925)
|
135.3 (5.327)
|
214.3 (8.437)
|
204.5 (8.051)
|
175.5 (6.909)
|
177.7 (6.996)
|
194.7 (7.665)
|
309.3 (12.177)
|
2,301.9 (90.626)
|
降雪量 cm (inch)
|
377 (148.4)
|
288 (113.4)
|
159 (62.6)
|
20 (7.9)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
12 (4.7)
|
210 (82.7)
|
1,054 (415)
|
平均降水日数 (≥1.0 mm)
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24.0
|
20.0
|
20.0
|
13.5
|
11.9
|
13.4
|
15.7
|
13.9
|
14.4
|
14.9
|
17.3
|
21.9
|
200.5
|
平均月間日照時間
|
45.8
|
62.3
|
95.2
|
149.0
|
189.4
|
140.1
|
129.1
|
164.1
|
111.7
|
107.6
|
88.9
|
63.5
|
1,346.7
|
出典1:Japan Meteorological Agency
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出典2:気象庁[9]
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歴史
旧石器時代・縄文時代・弥生時代
昭和から平成にかけて大規模なインフラ工事の多かった湯沢町では埋蔵文化財の発掘調査も盛んに行われた[10][11][12][13]。
有史以前には町内の川久保遺跡や岩原遺跡などを中心に旧石器時代から人が住んでいた様子が確認できる。
縄文時代には上記の遺跡を含むいくつかのムラがあり、県内の他の地域と同様に火焔型土器を使用する文化があったと見られる[14]。
弥生時代に相当する土器の破片が竜岩窟で見つかっている[15]。
古墳時代
町内で顕著な遺構は発見されていないが、群馬県と魚野川沿いの古墳遺跡の類似性からこの頃より往来があったと考えられる [1]。
飛鳥〜平安〜室町時代
大化の改新以前は北陸道高志国の一部だったと見られる。
701年(大宝元年)の大宝律令制定により国郡里制が敷かれ、現在の南魚沼市、魚沼市、津南町などと併せて魚沼郡(伊乎乃、いおの)と称する(和名抄国郡部)。当初は越中国としたが702年(大宝2年)に越後国に編入(続日本紀第2巻)。
延暦年間に越後守となった坂上田村麻呂が三国峠に越後の弥彦神社・信濃の諏訪明神・上野の赤城明神の三社を祭ったのが三阪神社(御坂三社大明神・三国権現などとも呼称)の起源であると伝えられている[16]。
群馬県側の永井宿の伝承では空海(弘法大師)も巡錫の折に三国峠を訪れたとされる[17]。
927年(延長5年)にまとめられた『延喜式神名帳』の越後国の式内社一覧のうち魚沼神社・伊米神社は同名の神社が町内に存在。
魚沼神社は天平神護年間の創祀と伝わる。
伊米神社は稲作の神として苗場山の山頂にも祀られている。現在にも役行者の信仰が残ることから苗場山の開山は修験者によるものと考えられる。山頂にかつて存在した山小屋「遊仙閣」(2008年取り壊し)は六日町出身の修験者・雲尾東岳によって作られた。
戦国時代
戦国時代に入ると国衆による統治の時代に入り、一帯を治める上杉氏の家臣団は上田衆と呼ばれた。
この時代の出来事は永正の乱、越後長尾氏、上田長尾家、上杉謙信、御館の乱、上杉景勝も参照。
上杉謙信の関東遠征を特に「越山」と呼ぶ[21]。
大源太川に沿って遡上しシシゴヤノ頭を越えて群馬県みなかみ町に抜ける道が「謙信ゆかりの道」の名で現在も登山道の一部として整備されている[22]。
町内の小坂地内に「謙信手植えの松」として伝わる松があったが雪害等により失われ、現代では三代目の松が地元の有志によって植樹されている。
- 1560年(永禄3年)5月 - 小田原城を攻めるため上杉謙信が最初の三国峠越え。以降、多数の軍馬を通すため軍道沿いの整備が進む。
- 1563年(永禄6年) - 『永禄六年北国下り遣足帳』第三紙表に「湯ノサワ」「アサカイ」の文字が見える[23]
- 1571年(元亀2年) - 浅貝の地に浅貝寄居城が築かれる。
- 1578年(天正6年) - 上杉謙信の死により御館の乱が勃発。景虎方の北条氏の侵攻に備えるため芝原峠に荒戸城(新戸、あらと、荒砥城)が築かれる。北条氏照・氏邦らによって荒戸城が攻め落とされるが、本格的な冬の到来の前に撤退する。
- この頃 - 攻め入ってきた北条氏により泉福寺(後の宝珠庵)が打ち壊される。何者かによって石白古銭が密かに地中に埋められる[24]。
- 1582年(天正10年) - 織田軍の滝川一益の軍勢が三国峠まで迫るが上杉軍がこれを退ける(『北国太平記』)
- 1584年(天正12年) - 郡司に命じられた栗林政頼が荒砥に関所を設ける(後の八木沢口留番所)
- 1598年(慶長3年) - 上杉家の会津移封により堀直寄が坂戸藩2万石として入る。荒戸城廃城。
- この頃 - 荒戸城で戦死した城平城主・樋口主水助の甥の清元によって大岳寺が創建。
- 1600年(慶長5年) - 堀直寄、堀秀治らにより越後一揆(上杉遺民一揆)が鎮定される。
江戸時代
江戸時代には脇往還「三国街道(三国越、三国通り、三国往還とも)」の宿場町として発展していく。
佐渡三道(佐州三路)の一つとして佐渡奉行や新潟奉行、巡見使、関八州取締出役などが通った他、越後で産出する米・鮭・塩・麻・紬・縮(越後上布)や佐渡の金・上田の銀の輸送路として、また長岡藩・村松藩・与板藩(稀に高田藩・新発田藩・村上藩・黒川藩)といった諸大名の参勤交代にも使われようになる[25]。
街道沿いの宿駅には移動のための馬と人足や、宿泊のための本陣や脇本陣が置かれ、旅籠や木賃宿なども軒を連ねた。浅貝、二居、三俣を合わせて三国三宿とも呼ぶ。戊辰戦争で焼かれなかった三俣宿の「池田家」は建物が現存している。
峠越えの立地から、この時代の宿駅機能としては三俣宿が中心であった。関所(番所)もここに置かれた。
なお、河井継之助の三国峠越えは史実ではなく『峠 (小説)』による創作である。
明治時代
統治機関の変遷は南魚沼郡#歴史も参照。
1893年(明治26年)以降は、新潟と首都圏の間の交通は碓氷峠経由の信越本線が主軸となり交通量が減少する。
大正時代
昭和
- 町制施行前
- 1931年(昭和6年) - 清水トンネル完成により上越線が全線開通。土樽信号場の駅舎完成。越後中里駅開業。
- 11月1日 - 慈恵医大山岳部が和田喜太郎の協力で慈恵苗場ヒュッテを建設(現在のかぐらスキー場・和田小屋の前身)[34]
- 1932年(昭和7年)
- 7月9日 - 西山1号温泉井(温度71度、1分間に270L自然湧出)を掘り当てることに成功。その後、次々と温泉掘削に大きな成果を上げたことで現在の湯沢温泉の基礎が出来上がり、大規模な温泉保養地となっていった。明治期には共同浴場だった温泉宿も内風呂を設けるようになった。
- 1933年(昭和8年) - 岩原スキー場前仮乗降場が開業。土樽信号場も冬季のスキー客のため仮乗降が始まる。
- 1934年(昭和9年) - 沼田六日町線が(旧)国道9号の一部として指定され改良工事の計画が始まる。
- 宝珠庵住職の呼び掛けにより寄進が集まり「大峰百番観音」と巡礼路が作られる。開通式の宴会のため主な芸者が出払っていたことで駒子のモデルとなった松栄が川端康成の元へ呼ばれる[35]。
- 9月24日 - 桐生高等工業高校(現・群馬大学工学部)山岳部がバッキガ平に仙ノ倉山荘を創建[36]
- 1935年(昭和10年) - 川端康成の小説『雪国』の発表が始まる(執筆のための川端の滞在は昭和9,10,11年)
- 1937年(昭和12年) -『雪国』の単行本(旧版)が刊行され、作品のモデル及び執筆の舞台となったことで越後湯沢温泉の知名度は全国的なものとなる。
- 6月17日〜18日 - 北原白秋、町田嘉章が「湯沢スキーシャンソン」制作取材のため視察に訪れる[38]。白秋は14年初冬にも湯沢を再訪し、いくつかの短歌を作っている[39]。
- 1939年(昭和14年) - 大源太川第1号砂防堰堤が竣工
- 1941年(昭和16年)
- 1月15日 - 国鉄山の家の高波吾策らの働きかけにより[40] 土樽信号場が土樽駅に昇格
- 1945年(昭和20年) - 雪崩に伴う架線の漏電で越後湯沢駅の駅舎が全焼。再建工事は昭和33年に完成
- 1946年(昭和21年) - 大陸から復員してきた深田久弥が一年ほど滞在する[41]
- 1948年(昭和23年) - アイオン台風
- 1952年(昭和27年) - 道路法施行により(旧)国道9号が一級国道17号に指定される
- 1953年(昭和28年)1月3日 - 城平スキー場で定員超過によりリフトの回転装置が破損。乗客が地面に激突するなどして死亡2人、重軽傷12人[43]。日本初のスキーリフト事故[44]。
- 町制施行後
平成以降
人口
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湯沢町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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湯沢町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 湯沢町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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湯沢町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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8,374人
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1975年(昭和50年)
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10,871人
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1980年(昭和55年)
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9,514人
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1985年(昭和60年)
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9,491人
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1990年(平成2年)
|
9,986人
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1995年(平成7年)
|
9,606人
|
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2000年(平成12年)
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9,130人
|
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2005年(平成17年)
|
8,713人
|
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2010年(平成22年)
|
8,396人
|
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2015年(平成27年)
|
8,046人
|
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2020年(令和2年)
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7,767人
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総務省統計局 国勢調査より
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行政・政治
衆議院は新潟県第5区・比例北陸信越ブロック、参議院は新潟県選挙区、新潟県議会は南魚沼市南魚沼郡選挙区。
2012年(平成24年)、財政力の低下により、34年ぶりに地方交付税交付団体に変更される。
町長
代
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氏名
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就任
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退任
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備考
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初代
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角谷虎繁
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1955年4月30日
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1968年7月6日
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2代
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高橋好政
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1968年8月10日
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1976年8月9日
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3代
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森下菊二
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1976年8月10日
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1986年1月1日
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ホワイトワールド・グリーンワールド観光キャンペーン
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4代
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南雲幸蔵
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1986年2月6日
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1989年11月30日
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5代
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村山隆征
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1989年12月10日
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2005年12月9日
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アーバン・リゾートシティ・サーティ計画
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6代
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上村清隆
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2005年12月10日
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2013年12月9日
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「一流の田舎町」
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7代
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田村正幸
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2013年12月10日
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現職
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開花八策
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町議会
定数12。議会事務局、議場は町役場本庁舎の中にある。
- 総務文教常任委員会
- 生活福祉常任委員会
- 産業建設常任委員会
町役場
副町長を1名置いている。
- 総務部
- 税務町民部
- 健康福祉部
- 産業観光部
- 地域整備部
- 子育て教育部
県の機関
南魚沼地域振興局の所管
国の機関
経済・産業
湯沢町商工会 が統括を行っている。
温泉観光地として発展した結果、2000年(平成12年)には全就業人口の81%が第3次産業に従事している一方、第1次産業・第2次産業はその立地が難しい地勢条件などから年々減少している。1982年(昭和57年)の上越新幹線開通と、1985年(昭和60年)関越自動車道全線開通、1997年(平成9年)の北越急行ほくほく線開業など、交通が便利になることによって、当町の就労人口、特に第3次産業就業者が増え続けた。
南魚沼市への通勤率は11.0%(2010年国勢調査)。
魚沼コシヒカリについては、温暖化の影響で標高300 - 400m地域の品質向上が注目されている。
産業別就業人口
- 第1次産業: 204人
- 第2次産業: 725人
- 第3次産業: 4,026人
総務省統計局 / 国勢調査(2005年)
農業
みなみ魚沼農業協同組合湯沢支店が置かれている。農事組合法人は1件。土地改良区は1箇所。
- 主な農産物[50]
他にソバ、トマト、山菜、野草、タケノコ(ネマガリタケ)、キノコ類など
漁業
イワナ、ヤマメ、ニジマス、カジカなどの渓流釣りが主体で 魚沼漁業協同組合 が遊漁券を扱っている他、管理釣り場や養魚場がある。
林業
関東森林管理局中越森林管理署の管轄
当町に本社がある主な企業
(五十音順)
当町に事業所・支店がある主な企業
(五十音順)
地域・生活
町内の大字
合併前の村名を引き継いでいる。
愛宕(あたご)・一之町(いちのちょう)・駅通(えきどおり)・上熊野(かみくまの)・上中(かみなか)・下熊野(しもくまの)・下中(しもなか)・諏訪(すわ)・滝沢(たきのさわ)・西中(にしなか)・西山(にしやま)・布場(ぬのば)・幅下(はばした)・堀切(ほりきり)・谷地(やち)・湯元(ゆもと)・楽町(らくちょう)・湯沢(ゆざわ)1丁目~5丁目
石白(いしじろ)・小原(こばら)・栄町(さかえちょう)・芝原(しばはら)・堰場(せきば)・田中(たなか)・戸沢(とざわ)・七谷切(ななたぎり)・原(はら)・原新田(はらしんでん)・平沢(ひらさわ)・宮林(みやばやし)・湯鉄石白(ゆてついしじろ)・湯鉄神立(ゆてつかんだつ)
旭原(あさひばら)・岩原(いわっぱら)・小坂(こさか)・古野(この)1~2・添名(そえな)・滝ノ又(たきのまた)・土樽(つちたる)・中子(なかご)・中里(なかざと)・西原(にしはら)・萩原(はぎっぱら)・原(はら)・松川(まつかわ)・谷後(やご)
大島(おおじま)・三俣(みつまた)1~2区・八木沢(やぎさわ)・貝掛(かいかけ)
浅貝(あさかい)・二居(ふたい)・苗場別荘地(なえばべっそうち)・苗場ふれあいの郷別荘地(なえばふれあいのさとべっそうち)・白樺平別荘地(しらかばだいらべっそうち)
郵便
- 湯沢郵便局
- 土樽郵便局
- 三俣郵便局
- 二居簡易郵便局
- 三国郵便局
電話
六日町MAに属し、市外局番は全域で「025」。2002/7/20の市外局番変更以前は0257。
- 越後湯沢電話交換所
- 土樽電話交換所
- 三俣電話交換所
- 三国電話交換所
教育
- 湯沢学園
- 湯沢町立湯沢小学校
- 湯沢町立湯沢中学校
- 湯沢認定こども園
- みくに国際学園(運営:国際教育研究会)
医療
電力
東北電力ネットワーク魚沼電力センターが供給を行う。
豪雪地帯特有の豊富な雪解け水と首都圏に近い立地、ダム建設に適した急峻な地形といった特徴を生かし、水力発電所が複数存在。
奥清津発電所と奥清津第二発電所を合わせた発電量は日本最大級の160万kw[51]。
- 電源開発株式会社 奥清津発電所
- 電源開発株式会社 奥清津第二発電所
- 東京電力リニューアブルパワー株式会社 清津川発電所
- 東京電力リニューアブルパワー株式会社 湯沢発電所
- 東京発電株式会社 土樽発電所
東京電力湯沢発電所の水利権問題も参照。
- JR東日本 湯沢変電所
- JR東日本 新湯沢変電所
- JR東日本 越後中里き電区分所
- JR東日本 土樽変電所
- 東北電力ネットワーク 越後湯沢変電所
- 東北電力ネットワーク 神立変電所
- 東北電力ネットワーク 越後中里変電所
- 東北電力ネットワーク 浅貝変電所
警察
他に、新潟県警察高速道路交通警察隊湯沢分駐隊
消防
交通
鉄道および高速道路は概ね魚野川に沿って敷設されており、いくつかの長距離トンネルで太平洋側と繋がっている。国道17号は町域を結ぶように中央から南西部を通って上越国境の新三国トンネルで群馬県側と繋がる。
国道353号の群馬県境部分は不通。
長野県との県境は全て登山道のみ。
鉄道
越後湯沢駅は上越新幹線をはじめ、上越線、更には北越急行ほくほく線の大半の列車が発着する、新潟県南部のターミナル駅となっている。
新幹線は東京〜新潟間の「とき」の他、東京〜越後湯沢間の「たにがわ」が、それぞれ約1時間間隔で運転される。
土樽スキー場、湯沢中里スキー場(現:湯沢中里スノーリゾート)、岩原スキー場に代表されるように駅前=ゲレンデのイメージ戦略もあり、国鉄の時代からスキー客専用の臨時列車が存在するなど鉄道との結び付きは強い。1982年の上越新幹線開業を経て1987年にJR東日本になってからもその傾向は続き、上越新幹線の保線基地を生かしたガーラ湯沢スキー場直結かつ冬季のみ季節営業のスキー場専用駅であるガーラ湯沢駅が建設された(ガーラ湯沢スキー場は夏季もサマーパークとして営業)。
時を同じくして、JR東日本 SKI SKIキャンペーンの展開により、東京など首都圏から新幹線でスキー場へ(CMの際には東京 - ガーラ湯沢 最短○分と表記)というスタイルも確立された。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本新潟支社)
- 上越新幹線
- 上越新幹線支線(正式には上越線支線)
■ 上越線
路線バス
- 南越後観光バス[3](主な運行営業所:湯沢車庫)
- 湯沢 - 三俣 - 貝掛温泉 - 浅貝 - 西武クリスタル線
- <急行>湯沢 - 三俣ステーション - 田代ステーション - 苗場プリンスホテル線(スキー場営業シーズンのみ)
- 湯沢 - 湯沢学園 - 中里 - 土樽線
- 湯沢 - 湯沢学園 - 小坂 - 谷後 - 旭原・大源太線
- 旧小学校 - 湯沢駅 - 湯沢学園線
- 湯沢 - 清津峡 - 津南 - 森宮野原駅線
- 湯沢 - 塩沢 - 六日町線
- <臨時>清津峡行き直通バス(観光シーズンのみ)
高速バス
道路
- 高速道路
- 一般国道
北陸地方整備局長岡国道事務所の管内(三国トンネルのみ関東地方整備局高崎河川国道事務所)
- 国道17号
- 新三国トンネル - 三国スノーシェッド - 建設路側浅貝 - 火打スノーシェッド1~12号 - 二居パーキング(二居除雪基地) - 二居大橋 - 二居トンネル - 船ヶ沢トンネル - 萱付トンネル - 新境橋 - 貝掛スノーシェッド - 三俣スノーシェッド - 道の駅みつまた - 八木沢トンネル - 芝原トンネル - 七谷切スノーシェッド - 七谷切橋 - 湯沢道路情報ターミナル「みちしるべ湯沢」(湯沢道路ステーション・神立除雪基地) - 建設路側神立 - 堀切スノーシェッド
- 国道353号
- 一般県道
- 林道
- 高石林道
- 一之沢滝ノ又線 (全延長11km、幅員5m)
- 小松原林道
- 田代林道
- 赤湯林道
- 向山林道
- 峠
- 三国峠(標高1,244m) - 上越国境 三国権現 三国路自然歩道 三国山登山道
- 火打峠(標高983m) - 白樺平と浅貝地区の境界である。
- 三坂峠 - 浅貝地区から四万温泉へ抜ける古道(奥州古道・木の根宿古道)で三国峠の間道。2000年頃から慶應義塾大学WV部が登山道として再整備。
- 二居峠(標高810m) - 歴史の道百選 中部北陸自然歩道「越後三国街道石畳のみち」 トレッキング湯沢Ⅱ
- 芝原峠(標高680m) - 芝原地区と八木沢地区の境界 荒戸城
- 鉢巻峠 - 三俣集落から苗場山の登山道としてかつて通られた。現在かぐらスキー場みつまたゲレンデの一部である。
- 蓬峠(標高1,529m) - 上越国境
- 栄太郎峠(標高994m) - トレッキング湯沢Ⅰ(清津峡遊歩道)
- ガーラ峠
観光・文化・スポーツ
登山・トレッキング・ハイキング
- 上信越自然歩道
- 中部北陸自然歩道
- 信越トレイル
- ぐんま県境トレイル
- スノーカントリートレイル
- トレッキング湯沢I - 湯沢高原から栄太郎峠を通って清津川遊歩道を結ぶ
- トレッキング湯沢II - 貝掛温泉から二居峠を通って元橋を結ぶ
- 大峰百番観音巡礼路 - 湯元薬師堂・大峰山・秋葉山・宝珠庵
- 蓬新道(蓬峠登山道)
- 茂倉新道(茂倉岳登山道)
- 吾策新道(万太郎登山道)
- 飯士山登山道
- 方丈山登山道
- 苗場山登山道(祓川ルート・赤湯ルート・昌次新道)
- 平標登山道(平元新道・松手尾根・平標新道)
- 大源太山登山道
- 謙信ゆかりの道
観光スポット
- 浅貝水芭蕉群生地
- 穴沢河川公園
- 清津峡
- 上越線毛渡沢橋梁
- 体験工房「大源太」
- 大源太キャニオンキャンプ場・湯沢アウトドアセンター
- 大源太川第1号砂防堰堤(国内初期のアーチ式砂防堰堤・登録有形文化財)
- 滝沢公園・不動滝
- 田代ロープウェイ(最高地上高日本一:230m)
- ちょうちん岩
- つちたる自然公園
- 電源開発奥清津発電所電力ミュージアム「OKKY」(日本最大級:160万kw)
- 陶芸工房「旭窯」
- ドラゴンドラ(日本最長:5481m)
- 苗場インディペンデンスボードウォーク(日本最長:1.7 km)
- NASPAコスモスガーデン
- 越後のお酒ミュージアム「ぽんしゅ館」
- 主水公園(雪国の碑) - 樋口主水助兼一屋敷跡地
- 山鳥原公園
- 雪国文学散歩道
- 湯沢いちご村
- 湯沢高原ロープウェイ(日本最大級:166人乗り)・パノラマパーク・アルプの里・恋人の聖地(天空の鐘)
- 湯沢中央公園
- 湯沢中里カタクリの里
- 湯沢中里ホタルの里
- 湯沢中里フォレストアドベンチャー
- 湯沢町桜100選
- 湯沢町ブナ100選
- 湯沢町歴史民俗資料館 「雪国館」
- レジャープール「オーロラ」
- 「わらべの詩」童画の父川上四郎記念越後湯沢全国童画展入選作品常設展示場(二居共同浴場「宿場の湯」内)
史跡
- 小坂百庚申塔一群:町指定有形民俗文化財(有形民俗資料)
- 荒戸城跡:県指定史跡
- 八木沢口留番所跡
- 雪災碑 - 三俣の大雪崩慰霊碑
- 鶴女碑
- 三復庵跡
- 三国街道三俣宿 本陣関新右衛門宅跡
- 三国街道三俣宿 旧脇本陣越後屋
- 三国街道三俣宿 旧脇本陣池田家:県指定史跡
- 三俣百庚申
- 三国街道二居宿 旧本陣富沢家:町指定史跡
- 浅貝寄居城跡:町指定史跡
- 浅貝百庚申
- 寺社仏閣
- 諏訪社 - 諏訪社の大杉(町の指定天然記念物)
- 湯元薬師堂
- 布場スキー神社
- 熊野神社
- 大岳寺
- 本城寺
- 宝珠庵
- 泰宗院
- 魚沼神社
- 荒谷毘沙門堂 - 荒谷毘沙門堂の大杉(町の指定天然記念物)
- 両山神社
- 本明院
- 瑞祥庵 - 石川雲蝶の仁王像
- 八木沢十二神社
- 八木沢観音堂
- 大島十二神社
- 大島観音堂
- 三俣観音堂
- 伊米神社
- 二居神社
- 浅貝十二神社
- 御坂三社神社(三国権現)
スキー場
- かつて存在したスキー場
- 布場スキー場 - 1919年開業、1950年リフト開設、後に湯沢高原スキー場と合併
- 土樽スキー場 - 1941年開業、2004年閉鎖
- 城平スキー場 - 1951年開業、1990年頃閉鎖
- 浅貝スキー場 - 1969年開業、1993年に苗場スノーパルマベルカントに改名、1994年に苗場スキー場と合併
- 二居スキー場 - 1970年開業、2000年閉鎖
- 白板高原スキー場 - 1970年開業
- みつまたスキー場(旧・みつまた高原スキー場) - 1970年12月17日開業、2006年にかぐらスキー場と合併
- 三栄ルーデンス湯沢スキー場(旧・ルーデンス昭和スキー場) - 1973年開業、2019シーズンより休業中
- 湯沢ファミリースキー場 - 1973年開業、1980年頃閉鎖
- 三国スキー場 - 1980年12月18日開業、2004年閉鎖
- 田代スキー場 - 1983年12月10日開業、2006年にかぐらスキー場と合併
- 加山キャプテンコーストスキー場 - 1990年12月28日開業、2010-2011シーズンは休業した後、2011年7月に閉鎖決定。夏には湯沢フィールド音楽祭が開かれていた
ゴルフ場
フィッシングパーク
温泉
催事
観光大使・PRアンバサダー
- ミス駒子 - 公募で選ばれ任期は1年
- ミスMt.Naebaクイーンコンテスト - 苗場スキー場とかぐらスキー場によるミスコン
特別観光大使
観光カリスマ
湯沢町を題材、ロケ地にした作品
古典
随筆
小説
映画
TV番組
ドラマ
アニメ
特撮
漫画
歌曲・民謡・詩吟
- 三国馬子唄(民謡)
- 上越線行進曲(四家文子) 1931年 作詞:松村義人 / 作曲:小松清
- 湯沢スキー小唄(新作民謡) 1931年 作詞:松村義人 / 作曲:小松清
- 湯沢スキーシャンソン(新作民謡) 1937年 作詞:北原白秋 / 作曲:町田嘉章
- 土樽小唄(新作民謡) 作詞:高波吾策 / 作曲:松越隆司[74]
- 湯沢ファンタジー
- とろりこ節(三橋美智也・福原千恵子) 1962年 作詞:矢野亮 / 作曲:細川潤一 - 湯沢観光協会制定歌で町内の地名や観光スポットが曲に多く盛り込まれている。運動会や夏まつりの民謡流しなどで今でも積極的に用いられる。
- 雪国エレジー(下谷二三子) 1962年 - とろりこ節のカップリング曲
- あのひとの雪国(瀬川瑛子) 1972年 作詞:星野哲郎 / 作曲:新井利昌
- 雪国(水原弘) 1973年 作詞:志摩美之 / 作曲:平尾昌晃
- 北風小僧の寒太郎 - 1974年の「みんなのうた」放映版で新潟県出身の月岡貞夫が描いたアニメに「越後湯沢」の塚と三国峠の風景が登場
- 湯沢温泉旅情(陣ヶ峰浩一) 作・編曲:桜田誠一
- 苗場音頭(円山京子) 1978年 作詞:長谷川洋 / 作曲:永田哲也
- 浅貝馬子唄(円山京子) 1978年
- 湯沢旅情(加山雄三) 1980年 作詞:安麻呂 / 作曲:丸山楽太郎・弾厚作
- 上越新幹線開業記念 湯沢小唄(小久保尚美) 1982年 作詞:村山俊郎 / 作曲:後藤信之
- 雪国(殿さまキングス) 1985年 作詞:たかたかし / 作曲:市川昭介
- 女の雪国(徳巻駒子) 1987年 作詞・作曲:遠藤実 / 編曲:斉藤恒夫
- 湯沢で待つわ(徳巻駒子) 1987年 作詞・作曲:遠藤実 / 編曲:斉藤恒夫
- あゝ三国峠(三波春夫) 1991年 作詞:三波春夫 / 作曲:猪俣公章
- 女の雪国(村上幸子) 2002年 作詞:星野哲郎 / 作曲:桜田誠一 - 2017年に小桜舞子がカバー
- 北越雪譜(牧村三枝子) 2002年 作詞:水木かおる / 作曲:遠藤実
- 湯沢の女(美川憲一) 2002年 作詞:吉岡治 / 作曲:弦哲也
- 駒子(おおとり舞) 2002年 作詞:石坂まさを / 作曲:さいとう聖子
- 雪国駒子(高城みゆき) 2002年 作詞:山北由希夫 / 作曲:南城よしお
- 越後湯沢駅(香田晋) 2007年 作詞:木下龍太郎 / 作曲:南郷孝
- 雪国〜駒子 その愛〜(坂本冬美) 2007年 作詞:たかたかし / 作曲:弦哲也
- 出逢い橋(入山アキ子) 2013年 作詞:悠木圭子 / 作曲:鈴木淳
- 駒子の愛(仁支川峰子) 2014年 作詞:あおやぎまさかつ / 作・編曲:泉盛望
- 越後湯沢の恋おんな(上村國隆) 2015年 作詞:岩佐多歌子 / 作曲:山中博
- 純愛(三山ひろし) 2017年 作詩:石原信一 / 作曲:中村典正 / 編曲:丸山雅仁
- 大人になる前に(NGT48) 2017年 - ミュージックビデオが町内で撮影された
- 残りの雪(谷龍介) 2020年 作詞:木下龍太郎 / 作曲:岡千秋
当町に拠点を置く主な特定非営利活動法人
メディア
南魚沼エリアとして南魚沼市と一体に扱うものを含む
- 魚沼よみうり [5] - 月2回発行のミニコミ誌 1998年7月創刊 2019年3月休刊
- 雪国新聞 [6] - 週一回発行 有料 2019年3月創刊
- VITA湯沢 [7] - 株式会社ひまわりの発行するクーポンを中心とした季刊の無料ミニコミ誌 2007年7月創刊
- 湯沢ぐらし - 移住者を中心とした二地域居住の無料情報誌 VITA湯沢と合併
- 雪ありて [8] - 株式会社みらいが発行する隔月発行のフリーペーパー 2017年創刊
- 雪国うおぬMAP - エフエム雪国が発行する季刊のフリーペーパー
- ら字お - エフエム雪国が発行するフリーペーパー アナウンサーの紹介やタイムテーブルが記載
- くらしの情報 [9] - 株式会社みらいが発行する月1~2回発行の集合広告
- LINK [10] - 月1回発行の集合広告
- お茶の間通 [11] - 月1回発行の集合広告
- NICうおぬま - 新潟日報販売店インフォメーションペーパー 月1回発行
- 魚沼へ [12] - 八海醸造の発行する季刊誌
- 雪と旅Snow & Journeys [13] - 株式会社滝沢印刷の発行するフリーペーパー。スノーカントリーフリーク(scf)から改題
- ほっくほくマガジン - ほくほく線沿線地域振興連絡協議会
放送局
防災無線を兼ねてほぼ全世帯でエフエム雪国(76.2MHz)が受信可能。町内に中継局があるが、大和FM中継局のNHKFM(83.5MHz)とFM新潟(86.5MHz)の電波も場所によっては届く。AMは関東圏のラジオ局電波がほぼそのまま拾える他、NHK新潟ラジオ第一は六日町ラジオ中継放送所(1323kHz)、BSNは塩沢ラジオ中継局(1485kHz)が比較的近い。
なお町内は在京キー局エリアである群馬県と隣接しているため一部で在京キー局を直接受信する事ができ、さらに苗場地区ではテレビ埼玉も直接受信可能な箇所がある。
湯沢町出身の有名人
湯沢町にゆかりのある人物
関連図書
脚注
参考文献
- 新潟県 編『新潟県史』通史編・資料編・別編(新潟県、1980年-1988年発行)
- 南魚沼郡教育会 編『南魚沼郡誌』(南魚沼郡教育会、1920年発行)
- 南魚沼郡誌編集委員会 編『南魚沼郡誌 続編』上・下(新潟県魚沼郡町村会、1971年発行)
- 湯沢町教育委員会 編『湯沢町誌』(湯沢町教育委員会、1978年発行)
- 湯沢町史編纂室 編『湯沢町史』通史編・資料編(湯沢町教育員会、2004年発行)
- 湯沢町史編纂室 編『湯沢町史・双書1~9』(湯沢町教育員会、2000年-2006年発行)
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
湯沢町に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
- 行政
- 観光
- 計画